July 24, 2026
英国ロイヤル・バレエ団『ジゼル』
英国ロイヤル・バレエ団(ロイヤル)が来日公演で前回ピーター・ライト版『ジゼル』を披露したのは2016年。日替わりの豪華キャストが話題となったが、今回も5公演に5組のジゼルとアルブレヒトが登場した。金子扶生とワディム・ムンタギロフが主演した、12日のマチネを観た。
幕が開くと最初にアルブレヒトが登場する。マントを羽織ったムンタギロフは、温厚そうで品があり、若い伯爵らしさは申し分ない。ジゼルの金子は、ロマンティック・バレエの型に寄らないソリッドな踊りで、ヒロインに芯の強さを付加した。金子のジゼルは村娘たちの中ではリーダーシップを発揮し、ヒラリオンの横暴な態度に対しては頭を抱えて拒絶する。一幕ラストの狂乱の場においても儚さは強調されず、むしろ彼女が信じる"あるべき世界"とのギャップに苦しんでいるかのようだった。二幕は金子とムンタギロフの技術力の高さが光った。二人とも丁寧に床を使い、着地の際の足音がほとんど聞かれない。ジゼルの見せ場の一つ、二幕のアダジオ冒頭の、アラセゴンから一番を通ってアラベスクまでを一気に繋ぐバランスや、一旦脚を開いてからしっかりとクロスさせる、アルブレヒトの連続のアントルシャ・シスなど、パの完成度の高さと美しさに、ため息が漏れる瞬間が度々あった。主なキャストは他に、ヒラリオンにテオ・デュブロイル、ミルタにアネット・ブヴォリ、パ・ド・シス(ペザント)のリードダンサーに、チェ・ユフィと中尾太亮が出演した。
ライト版は振付や演出に特色があり、ジゼルが発作ではなく、自殺によって命を落とすという設定はよく知られている。構造的な特色は、収穫祭を貴族のシーンの前に置いている点で、貴族の登場から狂乱の場までがひと纏まりになっている。わけてもクールランド公は村人たちの行動に、時には大げさに反応するため、貴族たちが背景に沈まず、むしろ中盤以降は視点が貴族側に寄せられているような印象を受ける。マント姿のアルブレヒトを一番初めに登場させるのも、物語を貴族の視点から構築していると仮定すると、演出の目的がより明確になる。ライト版は、身分違いの恋をする村娘の悲劇というよりも、共同体を越境した若い貴族が、試練を経てファウスト的な救済を得るという、よりロマン派らしい解釈に基づいていると見なすことはできないだろうか。
さらに今回の公演では、ヒラリオンがウィリに殺される二幕の音楽にも構造上の意図が感じられた。この場面のスコアを参照すると[1]、中盤に休符によって緊張感を高める部分が2回繰り返されるが、一度目はロ短調のまま演奏され(A)、二度目はカタルシスを伴ってロ長調に解放される(A')。この短調から長調へのドラマチックな転調は、ミルタの勝利宣言とも、ヒラリオンの死の瀬戸際の官能とも捉えられる。近年のプロダクションでは短調の旋律(A)は省略され、長調(A')の転調のみが演奏されるケースが多い。前回の来日公演ではライト版もこれを採用していた。しかし今回の公演では、長調(A')をカットし、短調(A)から終盤のアレグロに続く流れで長調に切り替えていた。この新たな編曲は、シモテにしゃがみ込むヒラリオンを、ウィリたちが嫌悪を込めて拒絶する、この場面の振付にフィットするが、同時にヒラリオンから死の官能を取り上げることにもなった。結果として、ヒラリオンの死には、物語が要求する"コスト"としての意味合いが強まり、貴族のアルブレヒトが救済されるラストをより際立たせていた。
(隅田有 2026/07/12 12:00 NHKホール)
[1] Adolphe Adam, Giselle, Act II, ed. Karl Paulsson (IMSLP, file #105986, rev. 2014), pp. 103–104.