March 14, 2017

黒沢美香さん追悼特集

舞踊家の黒沢美香さんが2016年12月1日に59歳で永眠されて、早3ヶ月が経ちました。ダンス・タイムズには美香さんと個人的に親交があったメンバーもおり、心の整理をして言葉を紡ぐのに時間がかかりましたが、ここに、これまでウェブサイトに掲載してきた美香さんの振付・出演作の舞台評と、メンバーが寄せた追悼文を掲載いたします。ご覧いただき、美香さんの業績や作品、そして人柄に思いを馳せていただければ幸いです。



目次

追悼文

◇山野博大  「美香さん、すばらしい舞踊をありがとう!どうぞ安らかにお眠りください」

◇稲田奈緒美「確かさと美しさと」

◇吉田 香  「天国への書簡」

◇折田 彩  「黒沢美香さんに寄せて」

 

過去の舞台評(掲載順)

◆2010/9/20   《EKODA de DANCE 2010-日本大学芸術学部江古田キャンパス新設記念-》(山野博大)

◆2010/10/4   薔薇の人 黒沢美香・高野尚美編『南国からの書簡』(吉田香)

◆2011/2/2     黒沢美香&ダンサーズ『ダンス★ショー-きみの踊りはダンスにしては重すぎる』(稲田奈緒美)

◆2011/2/22   ダンス・タイムズが選ぶ【2010年ベストパフォーマンス&アーティスト】(吉田香)

◆2011/8/13   《ダンスが見たい!13》上杉満代❤黒沢美香❤堀江進司『東京ロケット』(吉田香)

◆2011/8/25   第31回ニムラ舞踊賞授賞式(山野博大)

◆2011/11/29 黒沢美香&ダンサーズ:ミニマルダンス計画2『虫道』(山野博大)

◆2011/12/12 黒沢美香&ダンサーズ公演 ミニマルダンス計画2『虫道』(吉田香)

◆2012/3/15   薔薇の人 黒沢美香・高野尚美編『南国からの書簡』(再演&続編・旅立ち)(吉田香)

◆2012/7/9     小林十市・大柴拓磨『ファウスト・メフィスト』のことなど(山野博大)

◆2013/3/3     ダンス・タイムズが選ぶ【2012年ベストパフォーマンス&アーティスト】(稲田奈緒美)

◆2013/3/18   黒沢美香&ダンサーズ公演 ミニマルダンス計画3『大きな女の踊り』(稲田奈緒美)

◆2014/4/9     《踊りに行くぜ!! vol.4》(吉田香)

◆2016/10/22 黒沢美香&ダンサーズ プレゼンツ《家内工場 第17回 遠泳》「太陽」「30年」(稲田奈緒美)

 


美香さん、すばらしい舞踊をありがとう!

どうぞ安らかにお眠りください

                            山野博大(舞踊評論家)

 

 黒沢美香さん、あなたは2016年12月1日、59歳という若さで彼岸へと旅立たれました。お若い頃から美香さんが作り上げてこられた豊かな踊りの空間に、もう接することができないかと思うと、ほんとうに心が痛みます。

 あなたは黒沢輝夫さん、下田栄子さんのお嬢様として、1957年4月28日、横浜で生まれました。ご両親とも、日本の現代舞踊界を代表する一流の舞踊家でしたから、美香さんの人生は初めから舞踊へと向かっていて、おそらく他に選択の余地はなかったと思います。

 1967年の東京新聞主催の第24回全国舞踊コンクール・洋舞第2部において『もくれん』を踊られたあなたは、第1位入賞を果たされ、天才少女出現と騒がれました。9歳でした。さらに翌年の1968年の第25回で『珊瑚』を、1971年の第28回で『琥珀』を踊り、いずれも洋舞第2部の第1位となったことで、あなたは舞踊界のホープと、大きな期待を寄せられるようになりました。

 1979年の東京新聞主催《現代舞踊展》において、黒沢輝夫、下田栄子、黒沢美香の親子三人は、輝夫さん振付の小品『三昧』を踊りました。その時、お父上は51歳、お母上は48歳でした。脂の乗りきったご両親にはさまれて、22歳のあなたの光輝く姿がありました。

 美香さんは、ご両親の創るいろいろな舞台で主要な役割を果たしたばかりでなく、安藤哲子、庄司裕、渥見利奈、石井かほる、三輝容子、正田千鶴ら、第一線の振付者からの出演の依頼にも応じて、その役割をみごとに果たしました。そんな経験を生かして、あなたは創作に取り組み、『遠い風の音』『夕暮れのヤナ』『ファンキー・タウン』『風のララバイ』などの佳品を次々と発表するようになりました。そして1983年、文化庁の新進芸術家在外研修員としてニューヨークへ旅立ちました。

 1985年、在外研修から帰国した美香さんは『6:30AM』を発表し、舞踊界に衝撃を与えました。この「午前6時半」というタイトルは、NHKの第一放送でラジオ体操が始まる時間のことでした。あなたは、ラジオ体操の動きそのままを自分の「作品」としてしまったのです。盛装した黒沢輝夫、下田栄子のご両親と共に大まじめで体操の動きに取り組む様子を見た観客は、大いに笑い、大きな拍手を贈りました。

 アメリカに渡った美香さんは、ニューヨークでポスト・モダンダンスの動向に接し、舞踊には新しい別の世界が広がっていることを知りました。それまでの舞踊では、出演者は舞踊の中で何かの役になって舞台をつとめるのが普通でした。しかしポスト・モダンの世界では、何かに扮するということをせずに、ダンサーが自分そのままを出すことで観客に対しました。ポスト・モダンの動きは、1975年頃から日本にも紹介されており、新しい流れが出来つつありました。そんな舞踊界の変革期に、ホープと目された美香さんが、斯界の主流中の主流である黒沢・下田のご両親と共に『6:30AM』を踊ったのですから、これはたいへんなことでした。この問題作をあちこちで上演し、さらに『6:30A.M.第二のヴァリエーション』まで作って、あなたは日本における現代舞踊の概念を大きく変える役割を果たしました。

 美香さんは、『船を眺める』(1992年から)、『偶然の果実』(1993年から)、『怠惰にかけては勤勉な黒沢美香のソロダンス・薔薇の人』(1999年から)の舞踊シリーズに、長期にわたり取り組み、ご自身の舞踊をいっそう深めて行きました。あなたは、公演のパンフレットに「どんな瞬間にもダンスが起こり得るのに、ダンスを呼ぼうとすると必ず来てくれるものではない」と書きました。常にダンスとの出会いを真剣に求めてきた、あなたらしい言葉でした。

 また一方で、美香さんは日本の現代舞踊の財産を後世に伝える仕事にも力を注ぎました。石井漠の初期の代表作に『山を登る』という男女のデュエットがあります。これは漠さんが義理の妹の石井小浪を伴ってヨーロッパへ行く直前に創ったもので、海外でもたびたび二人で踊り好評だった小品です。それを漠さんの内弟子として過ごした黒沢輝夫さんが再演する時に、相手を務めたのは美香さんでした。その後もいろいろな機会に踊りましたが、2012年に行われた石井漠没後50年を記念しての《黒沢輝夫・下田栄子舞踊公演“まだ踊る”》で、84歳の父親と55歳のあなたが踊った『山を登る』は、とりわけ大きな反響を呼んだ記念碑的上演となりました。

 美香さんは、日本の現代舞踊の最先端に立っていた人ですが、そのからだにはご両親から受け継いだしっかりとした日本生まれの現代舞踊の技術が蓄積されていました。あなたは、それを後進に残す活動も怠りませんでした。スタジオくろちゃんでの《黒沢美香&ダンサーズ・家内工場》をはじめ、精力的に日本各地を飛び回って若者たちにあなたの「舞踊」の心技体を伝え続けました。

 美香さんはかなり前から癌と闘っていました。癌はからだの奥深くにまで達しているらしいということを、私は人づてに聞いていました。しかしあなたは、まったく変わることなく次々と自分の舞台をこなしていました。そんな状態がずいぶん長く続いたせいで、私たちはあなたが癌で踊れなくなるなんてことを考えてもみませんでした。

 美香さんの訃報は大きな衝撃でした。あなたは癌との闘いの苦しさを、少しも見せずに踊り続け、人間の奥深さを探究してやみませんでした。そしてとつぜん姿を消したのです。私たちはその潔い人生の収め方に改めて心を打たれました。

 癌との闘いをはじめ、かずかずの面倒なことから解放されたあなたは、先に逝かれたお父上と、今彼岸で気持よく『山を登る』を踊っていることでしょう。すばらしい舞踊のかずかずを見せてくれてありがとう。どうぞ安らかにお眠りください。       合掌


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確かさと美しさと

                                                  稲田奈緒美


 黒沢美香さんが旅立たれてから、ひと冬が過ぎ、春を迎えようとしている。追悼文を記したいと思いながら、何から書けばよいのか定まらないまま月日が経ってしまった。

 黒沢美香という名前を意識し始めたのは、30年近く前だろうか。既に“前衛的な”ダンサー、振付家として知られていたが、私が初めて見たのは、恐らく現代舞踊協会公演での黒沢ファミリーの作品。ご両親(黒沢輝夫さん、下田栄子さん)と一緒に踊る美香さんの、迷いのない一歩、一歩の輪郭の鮮やかさ、その確かさに驚いた。重心を移動させながら動くという、ダンスの最も基本であり実は難しい運動を、無駄なく、よどみなく行う美香さんの、ダンサーとしての力量の確かさが清々しく心に響いたのだ。以来、看板通りに“前衛的な”作品を数知れず見てきたが、単なるコンセプト頼りや出鱈目ではない、周到に準備され、厳密に吟味された動きと身体で、私たち観客を驚かせ、混乱させ、魅了した。個々の作品について、いかに私が魅了され、楽しみ、刺激されたかについては、本特集に過去の批評記事が掲載されているので、拙文をお読みいただければ幸いである。

 本文では作品から離れ、幸運にも美香さんと親しくお付き合いさせていただいた近年の思い出を記そうと思う。舞台の外で出会い、語り合い、一緒に踊った美香さんからは、その一言一言に才気が感じられ、ダンスには鋭く厳しい一方で、細やかな気配り、目配りで人々を包み、衰えを知らない好奇心とチャレンジ精神で、さらに深く広く、私たちを魅了した。そんな日常の美香さんゆえに、あのような素晴らしい作品が次々と生まれたのだろう、と納得できたからだ。

 舞台の外の美香さんに出会ったのは、2010年春、慶応義塾大学の事業の一環として横浜・石川町の民家を改造して始められたオルタナティブ・スペース「カドベヤ」だった。寿地区のおじさんたちや近所に住む方々、アーティストや学生たちと一緒に行う、ワークショップ「動く教室」の案内人の一人として、美香さん、私も参加し、ここでいろいろな人と踊ったり、体操したり、食事をするようになった。(詳しくは、「カドベヤ」HP、ブログをご覧いただきたい。http://www.kadobeya2010.net/ http://ameblo.jp/kadobeya2010/

 美香さんのワークショップは、じっくり体の隅々までストレッチすることから始まる。ゆらゆらと四肢を動かして関節をほぐし、徐々に筋肉を温めていく。自分のからだを慈しみ、慎重に調整し、踊れる状態にするための丁寧な作業と、その間のたわいもないおしゃべりは、贅沢にして心地よいものだった。その慎重さと丁寧さが、病を抱えた美香さんの肉体に必要であることは承知していたが、そんなことはおくびにも出さず、美香さんは淡々と体に向き合っていた。様々なワークショップを行った中で印象深いのは、みんなで「愛と戦いのんだんだレゲエ」を振り付けたり、「カドベヤ体操」を考えたこと。参加者は、ダンスの経験がない人がほとんどで、年齢も様々だし、障がいを抱えている人も抱えてない人もいる。そんな多様な人々のアイデアをくみ取り、動きを引き出し、構成して一つの作品にしたのである。それらの集大成として、2011年5月11日には慶応日吉キャンパスで《ダンス・ライブ「先ず獣心を成して後に人心を養う」》が開催された。ここでは美香さんが総監督を務め、カドベヤの成果や、黒沢美香&ダンサーズのダンスが披露された。

 このようなカドベヤでの活動は、私にとっては研究してきた英国のコミュニティダンスの実践の場であった。美香さんも、その後“コミュニティダンス”のワークショップや創作の依頼を引き受ける機会が増えていった。でも美香さんは「私はコミュニティダンスが何なのかわかりません!」と言っていた。わざわざコミュニティダンスと名札を貼るまでもなく、年齢や障がいの有無やダンスの経験などに関わらず多様な人とダンスすることを既に行っていたからであろう。黒沢美香&ダンサーズのメンバーにしても同様だ。ダンス経験も年齢も体格もバラバラ。美香さんが求めるのは、既存のダンスの基準に照らした美しい動きや、優れた技術ではなく、その人それぞれが自身のからだと対話しながら生まれた、嘘のない動き。ただし何でもよいのではなく、その人それぞれの方法で、からだと思考は常に厳しく鍛えられ、動き一つを生み出すにも真摯でなければならない。そのような美香さんのダンスに対する姿勢は、どのような人、場所、機会が対象であっても変わらなかったのだ。

そうして生まれた動きやシーンをいかに構成するかが、才能の見せ所。美香さんの参加者の個性と動きを見極める目、それを効果的につなぎ、構成していく手腕はほれぼれするものだった。因みに、私が今まで見たコミュニティダンス作品の中で最も素晴らしく、忘れがたいのは、美香さんが指導、演出した《Dance 4 All 2012 コミュニティダンスフェスティバル》での『ひとつの明るい建物』(2013年3月、@京都芸術センター講堂)である。美香さんには、「コミュニティダンスだから、こういうもの」「コミュニティダンスの参加者だからこれでよい」などという考えは全くなかったと思う。多様な参加者に、真剣に、厳しく接し、彼らから純度の高い動きを引き出して練磨し、その人それぞれの精一杯の真面目さで踊り、楽しむことを求めた結果が、単にダンスとして素晴らしい作品になったのだ。

もう一つ言えば、そのようなワークショップや練習をする中で、あるいはその後にみんなで食事をする中で美香さんが発する言葉が、また天才的なのだった。「解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘」のように意外性に満ちてはいるが、概念からではなく、美香さんの身体と時間という確かな根拠から、リアリティをもって紡がれる言葉たちの衝突と調和は爽快で、新鮮な驚きに満ち溢れていた。

このように書いていると、黒沢美香という人は気難しい人のように思われそうだが、まったくそうではない。むしろ“可愛い人”であった。2011年3月末、東日本大震災から間もない時期に、私たちカドベヤのコアメンバーは鳥取で開催された全国アートNPOフォーラム「トットリデハッタリ」に参加した。震災とアートについてディスカッションをする傍ら、いくつかのワークショップに参加し、さらに、島根のしいのみシアターへ移動して、地域に根差した活動のお話を伺った。あの時期、私たちはやりきれない思いや自分の無力さを前にして、みな気持ちがざわついていた。その時、ワークショップの途中や旅の合間で美香さんが率直に自分の思いを語り、私たちの気持ちを解きほぐしてくれたのだ。それは飾らない言葉と笑顔であり、軽やかな好奇心と旺盛な食欲(!)だった。街を歩いていると、美香さんはいろいろな建物で立ち止まり、店をのぞき込む。そして、作り立てのたい焼きとかアンパンとか、揚げたてのコロッケとか、そんなものを買って、即食べるのだ。「今、食べたい」「歩きながら食べるのが美味しい」と、買い食いのススメ、である。そんな美香さんにつられて、私たちもついつい買い食いをしてしまった。その楽しかったこと、美味しかったこと。凡人の私は、「いい年をしてお行儀が悪い」などという常識で自らを縛ってしまいがちだが、美香さんはそんな姑息な発想からは自由だったのだ。あの震災後の時期に、食欲という本能に忠実であった美香さんの、生きることの確かさを今にして思う。

美香さん、あなたの生きざまは、踊ることに対しても、話すこと、食べること、生活することに対しても、自分にとって確かなものを追求し、選び取っていく厳しさと美しさを、私に教えてくれるものでした。心から敬愛するアーティストであり、生意気にもこう名乗ることを許していただけるならば、同志であり、友人でした。あなたを失ったことの大きさは計り知れません。でも、そこに立ち止まっていると、あなたの明るく高い声が聞こえてきそうです。あなたの踊る姿、生き様に叱咤激励されて、私も一歩一歩、鮮やかに、確かに、踊り、考え、食し、多様な人たちと共に歩んでいきたいと願っています。どうぞ安らかにお眠りください。また、一緒に買い食いしましょう!
 

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天国への書簡

吉田 香

 

黒沢 美香 様

 

思い余って何度か口にしてしまったこともありますが、常々お慕いしておりました。その理由をここにまとめるなんてできるはずもなく、野暮だとは思いつつも、貴方が旅立たれて、そんな機会が突然にやってきてしまったのです。少しの間お付き合いください。

 

あえて言うならそれは、貴方のソロダンスシリーズ《薔薇の人》のキャッチフレーズ“怠惰にかけては勤勉な”に集約されている気がしています。二項対立するような事象の、貴方の言葉を借りて言えば、その“両層に片足ずつ浸しながら”歩まれている姿に惹かれていたのです。フレーズ通り、真剣に面白いことをされている姿には、いつもニヤニヤさせられました。普段はとてもクールで真面目で楚々としているのに、舞台ではギラギラして、クレイジーで、そのギャップにあてられました。貴方のその小さな身体が内包するとてつもない多様性に憧れていたのです。

 

かつては天才少女と呼ばれ、エリート街道を歩まれた貴方。そして、コンテンポラリーダンスのゴッドマザーと呼ばれるいわゆる大御所になられました。しかし、常に現状に甘んじることなく、自分の深いところを見つめ、さらけ出し、尖り続けることにこだわられていました。それだけに、指導は厳しかったと聞いていますが、貴方の作品にはどんな人も排除しない、温かい眼差しがありました。笑いとなり、ペーソスとなり、人間の弱い部分をも愛しむ人間賛歌が根底に流れているのです。

 

ダンスと同じくらい、貴方の“言葉”にも惹かれていました。短い中に、借り物でない、貴方独特の言葉が込められたフライヤーは宝物です。今回読み返してみたのですが、読んでは立ち止まり、考え、笑い、感動し、また読んでは立ち止まりで、大変な時間を要しました。

 

多様性を抱きながら飄々と歩まれている中にも一本筋が通っている。それは“ミニマル信者”としての自負に支えられていたのだと、貴方の舞台や言葉から感じます。そんな貴方の原点『Wave』(1985年初演)の再演(2013年)に立ち会えたのは光栄でした。初演当時、ミニマルで世間に受け入れられ難い『Wave』の目くらましの盾として、ラジオ体操第二をもとにした“口当たり爽快な”『6:30am』も同時期に発表し、そちらが人気になって困ったというエピソードを書かれています。しかし、再演時にはこう述べられています。

 

“「Wave」と「6:30am」は2つの別のもののように当時は思っていましたが、今はその隔たりが自分の中で縮まっています。好きな女の子をいじめてしまうように、ぎとぎとした過剰さにミニマルがまみれて台無しになるとたのしくて仕方ありません。”

 

残念ながら、ミニマル信奉最前線当時の貴方のパフォーマンスは目撃できませんでしたが、それから30年近く経って、“ミニマル”も“ぎとぎと”も渾然一体とした感覚を良しとするようになった貴方を目の当たりにできて幸せでした。貴方のパフォーマンスも言葉も、説明をし過ぎず、たしかにミニマルです。しかし、そのミニマルはとても豊かで、どれだけ多くのことを含んでいるでしょう。思ったことをそのまま口に出すことが正直と称えられたり、気に入らない者、自分と異なる者は一刀両断に排除したりする風潮が世界的に見られる中、貴方のパフォーマンス、そして貴方の言葉が、今こそ必要なのだとしみじみ感じています。

 

横浜・寿町のかどべやで行われたワークショップでは『燃ゆるキャデラック』で使われた金色に輝く長手袋を借りて興奮しながら貴方の指導を受け、地元の方々が作ってくださった料理を一緒に食べました。「んーだ んーだ んーだ んーだ ばばばばんばばんばばんば・・・」。一緒に歌い踊った『愛と戦いのんだんだレゲエ』、忘れません。

 

応援してくれるお礼にと『南国からの書簡』の楽屋で撮った写真を送ってくださいましたね。美香さんと尚美さんが、かつら、半ズボン、白タイツという姿のまま、お二人で冷蔵庫を開けている。貴方の脚がバレエのポジションになっていることを指摘すると「あ、細かいところを見ましたね。あの右足が私の性。なかなか無防備になれないので無防備に憧れています」との返信がありました。写真には大笑いしましたが、その言葉にはしばらく考えさせられました。そして、『南国からの書簡』でニムラ舞踊賞を受賞された時、私のような者にもいち早くお知らせくださいました。本当に嬉しかったです。この作品を観た後には、山野博大先生と一緒に、日暮里で餃子を食べ、ビールを飲みながら「ホントに面白かったねえ〜」と興奮して語りあったのですよ。

 

国立(くにたち)の庭劇場では、首くくり栲象さんのパフォーマンスを、雨の中、傘をさしながら、隣に座って観る機会がありました。貴方は背筋を伸ばし、キリリとした横顔でした。演じるのも観るのも一期一会。パフォーマンスに対峙する貴方の姿勢を見る思いがしました。「濡れたのですから、ちゃんと着替えてくださいね」と栲象さんにきっぱりと言い放って、貴方は立ち去られました。私も一緒に襟を正したのも束の間、その後私達は、焼酎をご馳走になって、はしゃいで、へべれけになってしまったのですが…。

                      

かつては、ダンス初心者にも関わらず、贅沢にも貴方に振り付けてもらって踊っている「ミカヅキ会議」の不器用な身体の大学教授の先生方(失礼!)に嫉妬したものです。しかし、もうそんな小さなことは言いません。ダンスを、舞台を、言葉を、そしてアート全体を愛する人々全体を、貴方は応援してくれているでしょうから。

 

今回、この書簡をしたためるにあたって、私が書いた貴方の公演に関する批評を読み返してみると、それぞれの舞台がまざまざと蘇ってきました。写真を見ても映像を見ても、ここまでの感慨は戻ってきません。自分の言葉で書き起こしたからこそなのです。期せずして、書き残すことの大切さを再確認し、それを続けて行って良いんだと、貴方に背中を押された気がしています。本当にありがとうございました。あなたが旅立ってとても寂しいですが、書き残す作業をこれからも続けて行きますので、どうか見守っていてください。

 

この書簡が、遠い南の島などに寄り道せずに、真っ直ぐに貴方のもとに届きますように…。

 

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黒沢美香さんに寄せて

 折田 彩

 

黒沢美香さんが亡くなられてもう三ヶ月が経つ。ご本人との個人的な関わりも無く、公演もあまり追いかけられていない浅いファンだった筆者に語れることは多くないが、私個人にとってもダンス界にとっても大切な存在だった美香さんについて、少しだけ書かせてほしい。

筆者が美香さんの舞台を初めて見たのは20年ほど前で、曖昧だが、黒沢輝夫・下田栄子モダンバレエスタジオが出演していた神奈川県芸術舞踊協会の公演だったように記憶している。一人で広い舞台に立ち、無音で動いたり、止まったりを繰り返すさまを見て、筆者がそれまで現代舞踊、あるいは舞踊そのものに対して抱いていた既成概念が揺らいだのを覚えている。その後10年以上経ってコンテンポラリーダンスの存在を知り、舞台上の美香さんと再会することができた。彼女は10年以上前に初めて見たときと同じように、立つ、動く、止まるなどのごく基本的な動きを深く掘り下げながら、踊りそのものの意味を追求していた。『Wave』で彼女が舞台奥から手前に歩いてきてまた戻るムーブメントを繰り返している時に、ふとその動きの中から踊りの輪郭が浮かび上がってくるように感じられる瞬間があった。多くの観客は、ダンサーやダンス作品を、体のラインの美しさやテクニック、アイディアの新しさや作品構成の巧みさで評価するが、美香さんは、幼少の頃からの鍛錬と長い創作活動を通してこれらを習得した上で、全く違う価値観でダンスと向き合っていた。

また、彼女は一人のダンサー、振付家として優れた作品を我々観客に残してくれたのみならず、「コンテンポラリーダンス界のゴッドマザー」として、後進に新しいロールモデルを示した。日本ではダンスのジャンルを問わず、ダンサーは教室を経営することで収入を得て、指導により培った強固な師弟関係を基に舞踊団を結成したり公演を行ったりするのが一般的である。美香さんは、教室を経営するご両親のもとに育ちながらもご両親とは異なるダンサーの在り方を選んだ。全国各地の劇場や学校でワークショップを開催し、プロフェッショナルのダンサーからダンサー志望の学生、ダンス経験の全くない小学生から中高年まで、様々なレイヤーの参加者と共に踊った。彼女が率いた舞踊集団、黒沢美香&ダンサーズも、ダンス歴やバックグラウンドの異なる10代から50代までのダンサー達が公演毎に集まるユニークな体制を採っていた。日本でコミュニティダンスが盛り上がりを見せ、美香さんと関わりの深かったダンサーの中から北村成美や磯島未来ら、コミュニティダンスに熱心に取り組む後進が現れる姿を見ると、美香さんの歩みの先に確かな道ができていることを確信する。

最後に、ごく個人的なことではあるが、美香さんとの結べなかった縁について書いておきたい。10年前、ダンスをお稽古ごととしてではない方法で続けていく道を模索していた時に、偶然ArtTheater dBの身体表現講座「夏塾」の参加者募集チラシを見つけた。見ると美香さんが講師を務める連続集中講座だという。美香さんに教われる良い機会だと浮き足立ったが、そこに書かれていたのは「教えるなんて横柄な習うなんて甘えないでね」という挑発的な講座名だった。筆者は散々逡巡した挙句、結局尻ごみをして申し込まなかった。踊ること、踊り続けることへの覚悟の足りなさを見透かされている気がしたのだろう。あの夏、あの講座を受講して踊ることを一から見つめ直していたら、今とは踊りとの向き合い方が違っていたのだろうか。小さな後悔を抱えながら、それでも美香さんから頂いた幾つもの気づきを大切に、これからもダンスと生きていきたい。


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【舞台評一覧】

◆2010/9/20 《EKODA de DANCE 2010-日本大学芸術学部江古田キャンパス新設記念-》(山野博大)

江古田にある日大芸術学部のキャンパスの新設を記念して《EKODA de DANCE 2010》が行われた。続きを読む


◆2010/10/4  薔薇の人 黒沢美香・高野尚美編『南国からの書簡』(吉田香)

黒沢美香のソロダンスシリーズ《薔薇の人》に今回は彼女の30年来の友人である高野尚美が加わった。続きを読む

 

◆2011/2/2 黒沢美香&ダンサーズ『ダンス★ショー-きみの踊りはダンスにしては重すぎる』(稲田奈緒美)

黒沢美香の周りには、優れたダンサーだけでなく、ダンス経験のない若者から中年まで、吸い寄せられるように集まって来る。続きを読む

 

◆2011/2/22 ダンス・タイムズが選ぶ【2010年ベストパフォーマンス&アーティスト】(吉田香)

2010年も様々な舞踊公演が行われました。バレエ、モダン、コンテンポラリー等々、ジャンルを問わず鑑賞した中で、ダンス・タイムズのライターが、最も心に残る公演とアーティストを選びました。続きを読む


◆2011/8/13  《ダンスが見たい!13》上杉満代❤黒沢美香❤堀江進司『東京ロケット』(吉田香)

8年ぶりの再結成という。セーラー服にうさぎのぬいぐるみを持った上杉、白いブラウスと紺のスカートにラテンの赤いフリフリ袖を付けた黒沢、紅白格子のド派手なジャケットに半ズボン、上履きという堀江がロケットに乗って出発する。続きを読む


◆2011/8/25  第31回ニムラ舞踊賞授賞式(山野博大)

8月22日、諏訪市図書館視聴覚ホールにおいて第31回ニムラ舞踊賞が、黒沢美香・高野尚美に、賞運営委員長の山田勝文諏訪市長から贈られた。続きを読む


◆2011/11/29 黒沢美香&ダンサーズ:ミニマルダンス計画2『虫道』(山野博大)

黒沢美香&ダンサーズが、ミニマルダンス計画2『虫道』を上演した。黒沢美香が演出、振付を担当し、自身は踊らなかった。続きを読む

 

◆2011/12/12 黒沢美香&ダンサーズ公演 ミニマルダンス計画2『虫道』(吉田香)
 “心底の願いは隠して、他のものになりすまして、より強く活きる術”が黒沢美香いわく「虫道」なのだそうだ。続きを読む


◆2012/3/15  薔薇の人 黒沢美香・高野尚美編『南国からの書簡』(再演&続編・旅立ち)(吉田香)
 2010年に上演され、翌年にニムラ舞踊賞を受賞した作品の再演と続編(新作)である。《薔薇の人》は、黒沢美香のソロシリーズだが、本作では、二人で一人を踊るからソロというわけだ。続きを読む


◆2012/7/9  小林十市・大柴拓磨『ファウスト・メフィスト』のことなど(山野博大)
 2012年7月7日、袋井の月見の里学遊館うさぎホールで、昨年12月に、東京新宿のBLAZEで初演した小林十市・大柴拓磨二人だけによる『ファウスト・メフィスト』再演を見た。続きを読む


◆2013/3/3   ダンス・タイムズが選ぶ【2012年ベストパフォーマンス&アーティスト】(稲田奈緒美)
 2012年1月から12月に上演された公演の中から、ダンス・タイムズのライターが最も心に残る公演とアーティストを選びました。続きを読む

◆2013/3/18  黒沢美香&ダンサーズ公演 ミニマルダンス計画3『大きな女の踊り』(稲田奈緒美)
 余分な技術、装飾を排してミニマルな動きでダンスを成立させることは、決して容易ではない。続きを読む


◆2014/4/9  《踊りに行くぜ!! vol.4》(吉田香)
 公募により選出されたアーティストが新作を創り、巡回公演を行なうJCDNによるプロジェクト《踊りに行くぜ!!》を東京で観た。続きを読む

◆2016/10/22 黒沢美香&ダンサーズ プレゼンツ《家内工場 第17回 遠泳》「太陽」「30年」(稲田奈緒美)
 黒沢美香&ダンサーズが普段稽古に使っているスタジオクロちゃんを会場にして、次々と作品を発表する《家内工場》シリーズ。続きを読む



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