February 05, 2015

【レポート・小川亜矢子の葬儀に列席して】 追悼・小川亜矢子

バレエの道をわき目もふらずひた走った小川亜矢子が、1月7日に亡くなった。81歳だった。その葬儀が2月4日、青山の梅窓院で営まれた。そこは小川が1997(平成9)年の元旦、青山のベルコモンズ・ビルの最上階にオープンしたチケット制バレエ教習所、青山ダンシング・スクエアのすぐ近くだった。


彼女は京都に生まれ、12歳で東勇作に師事し、バレエの世界へ入った。その後、小牧バレエ団に移る。53(昭和28)年、小牧バレエ団の『眠れる森の美女』公演にゲスト・ダンサーとして来日したソニア・アロワの紹介により、53(昭和28)年に20歳でイギリスへ渡り、サドラーズ・ウエルズ・バレエ・スクールで2年間学んだ。

小牧バレエ団では、59(昭和54)年のマーゴ・フォンテインを迎えての公演で、『白鳥の湖』で2羽の白鳥を、『眠れる森の美女』でリラの精を踊るなどの舞台を重ね、長身を使った切れ味のよい踊りで注目された。私はその時の彼女のリラの精を見ているが、さすがに緊張した彼女のやや堅めの踊りが記憶に残っている。

22歳の時に、イギリスの日本文学研究者のアイヴァン・モリスと結婚し、彼と共にパリに渡ったことで、フランスのバレエを学ぶ機会を得た。さらに彼がコロンビア大学の東洋学部の教授として招聘され、60(昭和35)年にはアメリカへ。そこで彼女はニューヨークのメトロポリタン・オペラ・バレエのオーディションを受けて入団。ディレクターを務めていたアントニー・チューダーの教えを受けた。

64(39)年、小牧正英と離婚して小牧バレエ団を退団した太刀川瑠璃子がプロデュースした《スターダンサーの競演によるバレエ特別公演》が行われた。これは、バレエ団の所属にかかわりなく、当時のトップ・スターを幅広く集めたガラ公演で、アベ・チエ、岡本佳津子、鈴木光代、春山信子、北原秀晃、石垣和代、須永晶子、太刀川瑠璃子、菅井利枝子、柴田善、江川明、森竜朗、畑佐俊明らが踊り、関直人、雑賀淑子が作品を創った。その中にイギリスから一時帰国中の小川亜矢子の名前もあった。この公演の成功に力を得た太刀川は、翌65(昭和40)年に《スターダンサーズによるアントニー・チューダー特別公演》を開催した。かつて小牧バレエ団でチューダー作品の『ライラック・ガーデン』などを踊り、現代バレエのすばらしさを身に沁みて知った太刀川にとって、この公演はどうしてもやっておかなければならないものだった。世界各地でバレエを学び、チューダーの教えも受けている小川は、そんな太刀川にとって、願ってもない協力者のひとりだった。小川はこの公演で『火の柱』『底流』を好演し、太刀川の期待に応えた。32歳となり、ひときわ成熟の度合いを増した彼女の演技は、チューダー作品の核心部分を形づくるものとして、深く私の心に残った。

太刀川のプロデュースにより、公演のたびに一時的に集められていたダンサーたちの中から、バレエ団結成の声があがった。太刀川はその声に押し切られたかっこうでスターダンサーズ・バレエ団を結成し、小川も振付担当の尺田知路、遠藤善久らと共にその主要メンバーとなった。しかし彼女は、バレエ団結成にはもともと否定的だった。そして約5年でスターダンサーズ・バレエ団と袂を分かった。

自由になった小川は、コマ劇場のスタジオでバレエを教えはじめ、それが発展して六本木の「スタジオ一番街」、さらに「青山ダンシング・スクエア」と、着実にスケールを広げて行った。

葬儀会場は、牧阿佐美、森下洋子、大原永子をはじめとする日本バレエ界の主だった者、彼女の教えを受けた多くの参列者でいっぱいだった。全員の焼香、弔電の紹介が終わり、藤堂真子の弔辞となった。広島の洲和みち子のところでバレエをはじめた彼女は、上京して小川の教えを受け、チャイコフスキー記念東京バレエ団へ入り、プリマ・バレリーナとして活躍した。小川は、コマ小川亜矢子バレエスタジオ第3回公演(新宿コマ劇場)で藤堂のために『影と少女』を振付け、その門出を祝ってくれたということだ。小川との酒を交えての真剣なバレエ談義が深夜まで続いたこと、バレエの師としての譲らない厳しい教え方などについても語り、追悼の念にあふれた藤堂の弔辞は終わった。小川の日本バレエに対する遠慮のない見解の披歴、そのとどまるところを知らない豪快な飲みっぷりを、私も懐かしく思い出した。

最後に喪主の小川和也の謝辞があった。20代でアイヴァン・モリスと結婚した彼女は、アメリカから帰国し、日本でのバレエ活動に専念しはじめた頃に離婚した。そして24歳年下のバレエ仲間である桑名和也と再婚。彼は、大きく年の離れた二人の関係がどのようなものだったかに少し触れ、彼女のバレエ人生が本人にとって大いに満足すべきものだったことを語って謝辞を終えた。

小川亜矢子の日本バレエ界への大きな貢献に感謝し、そのご冥福を祈る。

(2015年2月4日、山野博大)


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