April 11, 2026
新国立劇場『マノン』
米沢唯と井澤駿による『マノン』が6年越しに実現した。前回2020年の上演は公演期間中に新型コロナウイルスによるロックダウンが開始し、前半3回は上演したものの、2月29日(土)と3月1日(日)の2公演は中止になった。29日にデ・グリューを披くことになっていた井澤には、大きな試練になったのではないだろうか。そんな待望の『マノン』千秋楽の様子を報告する。
マクミラン作品の主演経験が豊富な米沢は、オフバランスの連続で構成された本作のスタイルを見事に表現した。一幕の二つのパ・ド・ドゥはしなるように全身を使い、時間差で腕の揺らぎを加えることで、より複雑な動きを表現する。一見体の力を抜いて踊っているようでいて、ポジションを変化させる際は、最も大胆な軌跡を通るため、視覚的な期待を裏切らない。三幕の沼地のパ・ド・ドゥでは、一旦後ろにのけぞってから前方に倒れるなど、重力を味方につけてギリギリまでレバレッジを効かせていた。音の使い方は、一音ずつ振りを当てはめていくというよりも、正しい範囲の中にムーヴメントを収めていく手法が多用されており、米沢はもとより、レスコーの愛人を踊った木村優里も音取りのセンスの良さを発揮していた。対する井澤もかつてなく感情を込めて踊っていたが、マクミランのスタイルには苦戦していたようだ。踊りと芝居が分かれているプティパ作品などとは異なり、本作はドラマと振付が切っても切り離せない。三幕の看守のオフィスで見せる、連続のポーズが流れてしまうなど、振付やポーズを通じてデ・グリューという役を作り上げる難しさが感じられた。複数の男性陣がクラシック・バレエの型からマクミランの型への切り替えに苦労をしていたのと比較すると、女性陣は、二幕の娼館でライバルの娼婦を踊った根岸祐衣と直塚美穂を筆頭に、独特の型を巧みに使いそれぞれの階層に生きる女たちの描写に結びつけていた。余談だが、高級娼婦は過去にも厚木三杏と長田佳世という名コンビがいた。今回新たな名コンビの誕生で、二人の娼婦のシーンが新国立劇場の『マノン』の見どころの一つとなった感がある。他に、渡邊峻郁(レスコー)、中家正博(ムッシューG.M.)、石山 蓮(ベガー・チーフ)、関優奈(娼家のマダム)、小柴富久修(看守)が出演した。
本作は20世紀中盤に花開いた"物語バレエ"の代表作の一つである。プティパ作品などの(狭義の)クラシック・バレエのキャラクターにも、プロダクションや踊り手個人による解釈の余地はあるが、物語バレエでは役の解釈こそが重要な見どころの一つとなっている。『ロミオとジュリエット』のジュリエットや『オネーギン』のタチアナなどは、主人公の内面を踊り手がどのように解釈し、それをどう提示するかが、作品の出来栄えに大きく影響する。観客にとっては、主人公の視点を通じて物語を擬体験するという愉しみもあるだろう。さてでは『マノン』はどうだろう。
国内外の様々なキャストによるマノンを比較すると、役へのアプローチには大きく分けて2種類あると感じる。一つは、他の物語バレエの主人公と同様に、人物像を掘り下げ、感情や行動に一貫性を持たせるアプローチである。自ら人生を切り開き破滅していくタマラ・ロホのマノンはこのタイプで、たとえ不実なヒロインであっても魅了されずにはいられなかった。もう一つのアプローチは、周囲の男たちの魅力的な客体に徹する役作りである。各場面をマノンと踊る男の目に映る姿で繋いでいくため、一貫性がなく、人物像を理解することも難しい。このアプローチの一例は2012年に新国立劇場に客演したサラ・ウェッブで、ヒロインに共感も同情もできないが『マノン』という物語バレエの深みや独創性が際立つ舞台だった。マノンの死後に流刑地ルイジアナから戻ったデ・グリューの思い出話として展開する、原作の様式に近いのはこのアプローチだ。他のダンサーによるマノンは、このいずれかのアプローチのスペクトラム上にあり、どちらに比重が置かれるかはダンサー本人の持ち味も影響する。米沢のマノンはどちらかと言えば後者のアプローチに寄っていて、屈託なく自然体でいるかと思えば、自分を偽っているかのように振る舞ったりと、常に周囲の男たちの憧れや願望を投影しているようだった。観客が唯一拠り所にできるのはムーヴメントそのもので、たやすく共感を許さないところに強く惹かれた。
(隅田有 2026/03/22 18:00 新国立劇場オペラパレス)