January 25, 2026

新国立劇場『くるみ割り人形』

新国立劇場は開場から2007年までマリインスキー劇場版の『くるみ割り人形』を、2009年から2015年までは劇場新制作の牧阿佐美版を上演していた。牧版は、牧阿佐美バレヱ団がかつて上演していたジャック・カーター版がベースとなっていて、クリスマス・パーティ終了後の給仕たちのやり取りなど、要所要所に懐かしさを感じさせる演出が見られた。一方で、序盤に現代の新宿の風景を挿入したり、二幕の「アラブ」をアラブ文化成立前の古代エジプトに変更したりと、独特のアプローチも追加されていた。この頃まで年末公演は『くるみ割り人形』と『シンデレラ』を交互に上演していたため、牧版の上演は4シーズンにとどまっている。3作目となるウェイン・イーグリング版(2017〜2024年)は、アシュトン、マクミラン、マイヨー、ロビンスといったネオクラシック以降のボキャブラリーのガイドブックのような作品で、毎年上演されていたこともあり、"新国のくるみ"として定着しつつあった。そうした流れの中で今シーズン、新国立劇場では開場以来4作目となるウィル・タケット版『くるみ割り人形』が新制作された。

タケット版は、巨大なゼリーの着ぐるみをはじめとしたユニークな衣装や、華やかな舞台装置、泡立て器などの小道具や、プロジェクションマッピングなど、凝った演出が惜しみなく使われていた。一方で、踊りそのものが見どころとなる場面は控えめであった。たとえばクリスマスパーティ序盤の「マーチ」や「ギャロップ」では、音楽の最初の数小節がダンサーの整列や場面転換に使われ、踊り出すまでに時間を要する。ドロッセルマイヤーが次から次へとマジックを披露するなど、舞台上の出来事には終始視覚的な賑やかさがある反面、チャイコフスキーがスコアの上に立てた”フラグ”が踊りと結びつかない。クリスマスツリーが伸びるシーンでは、音楽が一番盛り上がるシーンに充てられるのが、ムーヴメントではなくピカピカと光る照明であったり、雪の国のコーラスの第一声など、鮮やかな曲の変化が振付と連動しないなど、作品における振付の意義はあまり重視されていないようであった。とはいうものの、仮に踊りの密度が高ければ、凝った衣装や演出が過剰に映った可能性もあっただろう。つまり巨大なゼリーのインパクトを最大化する目的では、ゼリー役のダンサーが着ぐるみを脱ぎ捨てて踊らないのが正解と言える。「振付」と「演出」の足し算の和は適切な値となっており、舞台作品としてのバランスは取れていた。しかし世界的に見ても技術的な水準の高い、同劇場のダンサーのポテンシャルを活かすには、もう少し「踊り」のウェイトを高めても良かったのではないだろうか。

個々の登場人物では、ドロッセルマイヤーの位置づけが興味深かった。クリスマスパーティでは、本来はゲストであるドロッセルマイヤーが采配を振るっているように見られ、一幕の『クララのパ・ド・ドゥ』はパ・ド・トロワ形式となり王子とともにクララを力強くサポートする。二幕になると一歩引いて、舞台後方に設えた雛壇に腰掛け、お菓子の国の踊りを見守るポジションに移行する。クララと王子が最後に踊るグラン・パ・ド・ドゥがピーター・ライト版であることを踏まえると、このドロッセルマイヤー像は、芸術監督・吉田都をスターダムへと導いたサー・ピーター・ライトを暗示しているのではないだろうか。とするとクララの夢の中でネズミの”女王様”として登場する、本作オリジナルの厳格なダンス教師にも、モデルがいるのではないかと想像が膨らむ。大人が演じるクララと子供が演じるクララの友人たちの、年齢的に不自然な組み合わせも、プロフェッショナルとして舞台に立つことで早熟になりがちな若手ダンサーの内面を暗示しているのかもしれない。とまれタケット版の独特な世界観は、作品の背景を考えさせられるところがあった。

1月3日のソワレは、小野絢子と李明賢が主演し、完成度の高い踊りを見せた。ドロッセルマイヤーの中家正博は器用に手品をこなし、クララと王子のスーパーバイザーとしての威厳も感じさせた。幕開き一曲目に被せるかたちで聖歌隊の歌を入れたり、二幕の「スペイン」を別の曲に置き換えたり、「花のワルツ」の後に「ギゴーニュおばさんと子供たち」の音楽を挿入したりと、スコアを多少変更していた。

(隅田 有 2026/01/03 新国立劇場オペラパレス 18:00)



outofnice at 11:00舞台評 
記事検索