September 26, 2025
ヒューストン・バレエ《オープニング・ガラ》
2003年からヒューストン・バレエの芸術監督を務めるスタントン・ウェルチによる作品のみで構成されたガラが行われた。これまでウェルチが古典の全幕物を改訂した公演はあったが、筆者は彼の作品の魅力はアブストラクトな小品にあると思ってきたので、日本でこのようなガラが上演されたのは嬉しかった。ジョン・ノイマイヤーがハンブルク・バレエ団を去った今、芸術監督自らが振付をするバレエ団は希少である。
ウェルチの振付は、クラシックのボキャブラリーでダンサーを極限まで躍らせて音楽を視覚化するという意味ではウヴェ・ショルツに近いが、胸がキュンとするような叙情性があり、そういう意味ではナチョ・ドュアトを彷彿とさせ、さらにクスッと笑ってしまう動作や軽いキスを用いた愛嬌がある点では、トワイラ・サープの要素もある。
ウェルチの振付は、クラシックのボキャブラリーでダンサーを極限まで躍らせて音楽を視覚化するという意味ではウヴェ・ショルツに近いが、胸がキュンとするような叙情性があり、そういう意味ではナチョ・ドュアトを彷彿とさせ、さらにクスッと笑ってしまう動作や軽いキスを用いた愛嬌がある点では、トワイラ・サープの要素もある。
彼が創作した数ある作品の中でも『クリア』は、初演したアメリカン・バレエ・シアター(ABT)やヒューストン・バレエにとって宝物のような作品である。アメリカ同時多発テロが起きた2001年9月の翌月にABTで初演。当時筆者はニューヨークに住んでいて、City
Centerで観ている。女性ダンサー1名、男性ダンサー7名で、ABTが黄金期だったことを証明するようなキャストだった。女性は、現在ヒューストン・バレエで共同芸術監督を務めるジュリー・ケント、男性陣はアンヘル・コレーラ、ウラジーミル・マラーホフ、マキシム・ベロツェルコフスキー、マルセロ・ゴメス、エルマン・コルネホ等々、錚々たる顔ぶれだった。(キャストは公演ごとに変更)。ジュリー・ケントがあまりに象徴的であったため、その後女性のパートは“ジュリー”と呼ばれているそうだ。ウェルチによれば、“ジュリー”は「愛そのものの象徴」で、男性達は「一人の人間の心のなかにひそむ幾つもの思いを代弁する存在」だそうだ。この時ケントが“ジュリー”を踊っていなかったら、ヒューストン・バレエの共同芸術監督になることもなかった。『クリア』の初演以来、二人は友情を育み続け、2023年にウェルチがケントに共同芸術監督をオファーし、就任することとなった。彼女のおかげでウェルチが振付に集中できる時間が増え、関係は良好と言う。
ウェルチが語っているように作品には当然アメリカ同時多発テロの影響が見られる。バッハの『ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲』と『ヴァイオリン協奏曲ト短調』の切ない旋律に乗せて悲哀、苦悩、鎮魂、そして救済を描いているようだ。感傷を抜きにしても素晴らしい出来で、振付の個別のボキャブラリー、フォーメーション、展開、全体を貫く世界観、ダンサーのレベルの高さに、これはすごいものを目撃したという感覚と同時に胸が締め付けられたのを思い出す。バッハの曲は振付家が最も使いたがるものの一つだが、安易に起用すると失敗する。しかしウェルチは見事に使いこなし、終演後も興奮冷めやらなかった筆者は、しばらくこの2曲をリピートして聴いていた。衣装は、当時セリーヌのデザイナーであったマイケル・コースによるもので、ベージュのシンプルなパンツに女性はタンクトップ。シンプルさが振付を際立たせる。
張り詰めた空気の中、男性6人が競うように超絶技巧を繰り広げて行き、ジュリーとの美しい救済のようなパ・ド・ドゥで最後を迎える。一瞬でも遅れたり、振りを追う必死さが見えたりすると興ざめしてしまうから、あくまでスムーズにこなさなくてはならない。そのような中にも心の機微を表すような振りがあり、相当なスタミナと繊細さという相反する二つを持ち合わせていないと踊れない。
本公演では、アクリ士門の完成度が最も高かった。彼の雑味のないキレとスピードは他に類を見ない。彼の踊りを観ていて常々、彼の『クリア』を日本で上演して欲しいと思っていたので、夢が叶った形だ。
今回“ジュリー”を踊ったのは、初演時にABTの下部組織であるABTスタジオ・カンパニーに在籍し、初演の『クリア』を観ていた加治屋百合子である。加治屋は表情豊かなのが持ち味で、今回もそうだった。『クリア』は、ウェルチの振りを確実にこなせば自然と伝わるので、表情を付け過ぎるのはふさわしくない。ただ、当時のABTが女性のプリンシパルダンサーを中心に個性豊かなダンサー達が自由に踊るのをまとめていた印象があり、それが今のヒューストン・バレエでは、その役を加治屋が担っているのが感慨深い。英国ロイヤル・バレエ団の高田茜と金子扶生、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の平田桃子、サンフランシスコ・バレエ団の倉永美沙、オーストラリア・バレエ団の近藤亜香等々、今や名だたる世界のバレエ団で日本の女性ダンサーが大黒柱となっており、ボストンバレエに移籍した菅井円加もいずれ必ずそうなるだろう。日本出身のダンサーのレベルの高さを改めて感じる機会にもなった。
加治屋とアクリの他には、エリック・ベスト、ナジール・ムハンマド、ハーパー・ウォッターズ、滝口勝巧、ソン・テン、ジャック・ウルフが踊った。ダンサーたちは体格も肌の色もバラバラで、この多様性もヒューストン・バレエの特徴である。
『シルヴィア』よりパ・ド・ドゥをカリーナ・ゴンザレスとハーパー・ウォッターズが、『魂の音』よりパ・ド・ドゥを藤原青依とエリック・ベストが、『蝶々夫人』よりパ・ド・ドゥを加治屋百合子とコーナー・ウォルシュが踊った。中でも今公演で『ジゼル』全幕を加治屋とダブルキャストで踊ったカリーナ・ゴンザレスは技術の確かさとチャーミングな表現が光っていて、ウェルチがゴンザレスを彼の“ミューズ”と呼ぶのもうなずける。彼女の出身はベネズエラという。ベネズエラ出身のダンサーを観るのは初めてだったが、『ジゼル』も全編余裕があり、看板プリマに相応しい出来で、ベネズエラのバレエ教育の水準の高さが伺えた。『魂の音』を踊った藤原は、透明感と貫禄を併せ持っている。同じ月に開催された《バレエ・アステラス》でもウェルチの作品(『シンデレラ』のパ・ド・ドウ)を堂々と踊っており、プリンシパル昇格が期待される。
今回のガラで上演されたもう一つの小品『ヴェロシティ』では、ウェルチの違った面が見られた。男女11名ずつ合計22名のダンサーが、女性は白のチュチュ、男性は全身黒の衣装を着ており、ウェルチが言うようにジョージ・バランシンの『シンフォニー・イン・C』やハロルド・ランダーの『エチュード』を想起させるが、マイケル・トーキーの現代音楽に乗せて、アクロバティックとも言えるような力強い超絶技巧で、最後までブルドーザーのように席巻していく点がユニークだ。ウェルチがこの作品を「ダンサーたちの限界と才能を試すもの」と言っているが、結果、現在のヒューストン・バレエの力量を証明することとなった。
それにしても、馴染みのないウェルチの演目のみで構成された攻めたガラだったからか、残念なことに観客の入りは5、6割といったところだった。しかし、終演後に観客は口々に「すごかったね!」と感嘆の声をもらしていた。ウェルチが「幕が降りた時、ヒューストン・バレエがきわめて優秀な団員を擁し、多様な作品を果敢に踊りこなすバレエ団である、と感じていただけたら」と語った通りになったのではないか。スタントン・ウェルチは日本でもっと評価されるべき振付家である。これを機に日本でも彼の作品を観る機会が増えることを期待している。
(吉田 香 2025年7月3日 19:00 東京文化会館 大ホール)
ウェルチが語っているように作品には当然アメリカ同時多発テロの影響が見られる。バッハの『ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲』と『ヴァイオリン協奏曲ト短調』の切ない旋律に乗せて悲哀、苦悩、鎮魂、そして救済を描いているようだ。感傷を抜きにしても素晴らしい出来で、振付の個別のボキャブラリー、フォーメーション、展開、全体を貫く世界観、ダンサーのレベルの高さに、これはすごいものを目撃したという感覚と同時に胸が締め付けられたのを思い出す。バッハの曲は振付家が最も使いたがるものの一つだが、安易に起用すると失敗する。しかしウェルチは見事に使いこなし、終演後も興奮冷めやらなかった筆者は、しばらくこの2曲をリピートして聴いていた。衣装は、当時セリーヌのデザイナーであったマイケル・コースによるもので、ベージュのシンプルなパンツに女性はタンクトップ。シンプルさが振付を際立たせる。
張り詰めた空気の中、男性6人が競うように超絶技巧を繰り広げて行き、ジュリーとの美しい救済のようなパ・ド・ドゥで最後を迎える。一瞬でも遅れたり、振りを追う必死さが見えたりすると興ざめしてしまうから、あくまでスムーズにこなさなくてはならない。そのような中にも心の機微を表すような振りがあり、相当なスタミナと繊細さという相反する二つを持ち合わせていないと踊れない。
本公演では、アクリ士門の完成度が最も高かった。彼の雑味のないキレとスピードは他に類を見ない。彼の踊りを観ていて常々、彼の『クリア』を日本で上演して欲しいと思っていたので、夢が叶った形だ。
今回“ジュリー”を踊ったのは、初演時にABTの下部組織であるABTスタジオ・カンパニーに在籍し、初演の『クリア』を観ていた加治屋百合子である。加治屋は表情豊かなのが持ち味で、今回もそうだった。『クリア』は、ウェルチの振りを確実にこなせば自然と伝わるので、表情を付け過ぎるのはふさわしくない。ただ、当時のABTが女性のプリンシパルダンサーを中心に個性豊かなダンサー達が自由に踊るのをまとめていた印象があり、それが今のヒューストン・バレエでは、その役を加治屋が担っているのが感慨深い。英国ロイヤル・バレエ団の高田茜と金子扶生、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の平田桃子、サンフランシスコ・バレエ団の倉永美沙、オーストラリア・バレエ団の近藤亜香等々、今や名だたる世界のバレエ団で日本の女性ダンサーが大黒柱となっており、ボストンバレエに移籍した菅井円加もいずれ必ずそうなるだろう。日本出身のダンサーのレベルの高さを改めて感じる機会にもなった。
加治屋とアクリの他には、エリック・ベスト、ナジール・ムハンマド、ハーパー・ウォッターズ、滝口勝巧、ソン・テン、ジャック・ウルフが踊った。ダンサーたちは体格も肌の色もバラバラで、この多様性もヒューストン・バレエの特徴である。
『シルヴィア』よりパ・ド・ドゥをカリーナ・ゴンザレスとハーパー・ウォッターズが、『魂の音』よりパ・ド・ドゥを藤原青依とエリック・ベストが、『蝶々夫人』よりパ・ド・ドゥを加治屋百合子とコーナー・ウォルシュが踊った。中でも今公演で『ジゼル』全幕を加治屋とダブルキャストで踊ったカリーナ・ゴンザレスは技術の確かさとチャーミングな表現が光っていて、ウェルチがゴンザレスを彼の“ミューズ”と呼ぶのもうなずける。彼女の出身はベネズエラという。ベネズエラ出身のダンサーを観るのは初めてだったが、『ジゼル』も全編余裕があり、看板プリマに相応しい出来で、ベネズエラのバレエ教育の水準の高さが伺えた。『魂の音』を踊った藤原は、透明感と貫禄を併せ持っている。同じ月に開催された《バレエ・アステラス》でもウェルチの作品(『シンデレラ』のパ・ド・ドウ)を堂々と踊っており、プリンシパル昇格が期待される。
今回のガラで上演されたもう一つの小品『ヴェロシティ』では、ウェルチの違った面が見られた。男女11名ずつ合計22名のダンサーが、女性は白のチュチュ、男性は全身黒の衣装を着ており、ウェルチが言うようにジョージ・バランシンの『シンフォニー・イン・C』やハロルド・ランダーの『エチュード』を想起させるが、マイケル・トーキーの現代音楽に乗せて、アクロバティックとも言えるような力強い超絶技巧で、最後までブルドーザーのように席巻していく点がユニークだ。ウェルチがこの作品を「ダンサーたちの限界と才能を試すもの」と言っているが、結果、現在のヒューストン・バレエの力量を証明することとなった。
それにしても、馴染みのないウェルチの演目のみで構成された攻めたガラだったからか、残念なことに観客の入りは5、6割といったところだった。しかし、終演後に観客は口々に「すごかったね!」と感嘆の声をもらしていた。ウェルチが「幕が降りた時、ヒューストン・バレエがきわめて優秀な団員を擁し、多様な作品を果敢に踊りこなすバレエ団である、と感じていただけたら」と語った通りになったのではないか。スタントン・ウェルチは日本でもっと評価されるべき振付家である。これを機に日本でも彼の作品を観る機会が増えることを期待している。
(吉田 香 2025年7月3日 19:00 東京文化会館 大ホール)