February 11, 2025

東京バレエ団 ベジャールの『くるみ割り人形』

モーリス・ベジャール版『くるみ割り人形』は1998年に世界初演され、約半年後に東京バレエ団が日本初演を果たした。今回は7年ぶりの再演となる。母を亡くしたばかりの少年ビムの視点を借りて、振付家の原風景となるイメージやエピソードが、郷愁や多幸感をともなって描かれる。天井まで伸びるクリスマスツリーに代わり、巨大なヴィーナス像が姿を現し、その像によじ登ったり、祠のような像の内部に潜り込み、聖母子像の下で、ボッティチェリの絵画のヴィーナスになぞらえた母に抱きついたりと、少年のママンへの愛が炸裂する。本家『くるみ割り人形』ではドロッセルマイヤーが少女クララを夢の世界に導くが、本作のカウンターパートとなる"M..."は、時には少年ビムの父、また時には"クラシック・バレエの父"マリウス・プティパとなり、厳しいながらもビムが現実の世界で居場所を見いだす手助けをする。母を中心とした内的世界と、M...が導くダンスの世界を、猫のフェリックスが自由に行き来する。

少年ビムは池本祥真が務めた。体育座りをする、夢中で走り出すといった仕草を、少年らしい説得力を伴って見せることが求められる難役だ。亡き母を舞台に召喚する、能のワキのような役回りも果たしている。母役の榊優美枝は昨年8月の子どものためのバレエ『ねむれる森の美女』のリラの精でも見せた、息が長く連続性のある大きな上半身の動きを通じて、母性的な優しさを表した。子供たちの働きかけに嬉しそうに応える様子が印象に残る。この『常に幸福そうな母』というのは、少年が望む思い出の中の母の姿でもあるのだろう。猫のフェリックスは、当初出演を予定していたダニール・シムキンが怪我で降板したため、宮川新大が3公演を通して演じることになった。2017年の前回公演と同じ役を踊る、数少ない出演者の一人である。ベロを出したり、猫パンチを繰り広げたりといったユーモラスな仕草を交えつつ、留まる瞬間や、見せるべきポーズをしっかりとキメて、振付の面白みを体現した。M...の柄本 弾は芝居っけは十分ながら、踊りの迫力で父権的な威圧感を与えるまでには至らず。初演でM...を務めたジル・ロマンがプティ・ペール役で出演していたのは、柄本にとって少々不利だったかもしれない。ラストのグラン・パ・ド・ドゥは秋山 瑛と宮川の出演が予定されていたが、シムキン降板からの玉突きで、男性は生方隆之介が踊った。直前の配役変更にもかかわらず、リフトの難所も乗り切って華やかに踊り上げた。

本作は要所要所で、振付家によるナレーションが挿入される。日本版は『思い出すなあ。。。』で始まるセリフを、ベジャール本人が日本語で話す音声が使用されているが、これは東京バレエ団のみならず日本のバレエ界にとって宝物のような音源だ。今回ゲスト出演したロマンは、昨年2月にベジャール・バレエ・ローザンヌの芸術監督を解任されているが、カーテンコールでロマンに送られたひときわ大きな拍手は、日本の観客がロマンの長年の活躍と貢献を熟知していることを示している。ベジャール本人による日本語の音源も、ロマンに向けられた喝采も、一朝一夕には成し得ないバレエ団の国際交流の成果とも言えるだろう。

(隅田有 2025/02/07 19:00 東京文化会館)


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