January 16, 2025

ウクライナ国立バレエ団『ジゼル』

ウクライナ国立バレエ団(旧キエフ・バレエ団)が、ウクライナ国立歌劇場管弦楽団とともに、全国12都市をツアー中である。1月5日の東京公演ではロマンティック・バレエの代表作『ジゼル』を上演した。タイトルロールには、キエフ・バレエ学校で学んだアリーナ・コジョカルが出演を予定していたが、怪我で降板したため、ハンブルク・バレエ団プリンシパルの菅井円加が代役で登場した。菅井は、技術力、身体能力、音楽性、パとパを繋ぐセンスなど多方面に優れた、世界を代表するダンサーだが、全幕作品に出演する菅井を国内の舞台で観る機会は少ない。アルブレヒトは当初の予定通り、ウクライナ出身でハンブルク・バレエ団プリンシパルのアレクサンドル・トルーシュが務めた。


今回上演されたヴィクトル・ヤレメンコ版は2023年に新制作され、日本で世界初演されたプロダクションだ。ヤレメンコはキエフ・バレエ団のプリンシパルとして活躍した後、同団の芸術監督を経て、現在は振付家・演出家として活動している。日本バレエ協会が2020年に上演したヤレメンコ版『海賊』は、比較的記憶に新しいのではないだろうか。本作は、ヒラリオンとジゼルの母ベルタが気さくに語り合う様子を冒頭で見せたり、ベルタが踊ってばかりのジゼルを嗜める場面で、その後の展開を暗示するミルタの幻影を登場させたりと、物語の分かりやすさが意識されている。またジゼルが花占いに使う花が、ヒラリオンが摘んできた花であるという点も興味深い。そして何よりラストにサプライズがある。アルブレヒトが息絶えて一旦降りた幕が、再び上がり死後の世界でジゼルと結ばれるというドンデン返しだ。これは現在のウクライナ国民の死生観を強く意識させるものであり、涙を禁じ得ない。通常の解釈では、ジゼルに助けられたアルブレヒトは、形式はどうであれ自分の属する貴族のコミュニティに回収され、ジゼルはウィリのまま地上に残るか、アルブレヒトを許した功績で天国に行くかといった違いはありつつも、二人の世界が再び交わることはない。ひるがえって、ジゼルとアルブレヒトが結ばれるというヤレメンコ版のラストは、女性を儚いものとして描くロマンティック・バレエの型からしてひっくり返しているが、主役の二人が巨大な力に屈することなく愛を成就させるラストこそが、今求められているのだろう。2幕ではジゼルの墓を磨くベルタを通じて、子供に先立たれた親の悲しみに寄り添ったり、主人を失ったウィルフリード、そして婚約者を亡くしたバチルダの嘆く様子を挿入したりと、残される側の苦しみにも踏み込んでいた。

小柄だが踊りも演技もダイナミックで情熱的なトルーシュと、芝居は控えめながら、目を見張るテクニックをジゼルの卓越性に落とし込む菅井は、お互いの持ち味を引き出す素晴らしい組み合わせであった。ウクライナ国立バレエ団のメンバーは、立っているだけで見惚れるような、長身で容姿に恵まれたダンサー揃いであった。本作ではプティパ以降のクラシック・バレエのテクニックをちりばめて難易度を上げるという観客サービスを取り入れており、ペザントの二人を筆頭に踊りの見せ場もしっかりとアピールしていた。反面、超絶技巧もあっさりと踊る自然体の菅井や(1幕のヴァリエーションで、ポアントで立ったままパンシェをした際は驚いた)喜怒哀楽を情感豊かに表現するトルーシュと、ウクライナ国立バレエ団のメソッドの違いは明らかで、良くも悪くも一人一人の出演者や、プロダクションの特徴など、個々の構成要素を堪能する舞台となった。

ところで菅井の2幕のチュチュは、胸元に切り込みのないノイマイヤー版の衣装で、周囲のウィリの衣装とは一見して異なるデザインであった。偶然にもたらされた効果とは思うが、一幕のブーケトスのシーンの影響もあり、ウェディング・ドレスを連想させるもので、ヤレメンコ版の解釈を掘り下げるのに一役かっていた。

(隅田有 2025/01/05 15:00 東京文化会館)



outofnice at 07:00舞台評 
記事検索