February 25, 2024
パリ・オペラ座バレエ団『白鳥の湖』
パリ・オペラ座バレエ団が前回ヌレエフ版の『白鳥の湖』を披露したのは2006年だった。プロローグに登場したマリ=アニエス・ジロが開幕後に降板し、パ・ド・トロワに出演予定だったエミリー・コゼットが、急遽代役を務めたことが話題になった。あれから18年、その舞台でジークフリートを踊ったジョゼ・マルティネスが、2022年末に芸術監督に就任し、今回はマルティネス体制になってから初の日本ツアーであった。
ヌレエフ版『白鳥の湖』は王子の内面に焦点を当てている点に特色がある。幕が開くとシモテ手前の椅子に座った王子が悪夢にうなされており、背後ではオデットがロットバルトに連れ去られる場面が演じられるが、そこで幕が降りず王子が眠ったまま一幕が開始する。連続して上演される一幕と二幕は王子が舞台にいながら背景が城から湖に転換し、三幕のラストに至っては王子はオデットの後を追うことなくその場に倒れ込み、ここでは一旦幕は降りるものの、王子が倒れたまま背景だけが湖に変わり四幕が始まる。
場面転換に奇妙な点が多いが、それもそのはずで、ヌレエフは本作を、ジークフリートの白昼夢であるとし、湖は憂鬱な運命から逃れるために王子が作り上げた幻影と位置付けている1。本公演で王子を務めたジェレミー=ルー・ケールは、オペラ座のエレガンスを体現する堂々としたエポールマンがあり、登場している間は常に場の中心となる華があった。とりわけアンダンテ・ソステヌートを使った一幕終盤のソロや、二幕に挿入された王子のヴァリエーション(1895年の初版のスコアにある二幕のアダジオの終盤をアレンジしている2)のような、テンポの緩やかな踊りを得意とし、大きなステップ直後の小さな足さばきなどでは、間の取り方にハッとさせられるようなセンスがあった。出演が予定されていたアマンディーヌ・アルビッソンに代わりオデット/オディールを踊ったパク・セヨンは、バランスも回転もやるべきことは過不足なくやっているのだが、ポーズからポーズの移行があっさりとしていて存在感が薄い。感情を表す箇所はあるものの、曲ごとにムラがあり全体を通したキャラクターが立ち上がってこない。これらは通常であれば物足りなさに繋がったであろうが、本作では全て王子の幻影に回収されるので問題はなさそうだ。翻ってロットバルト/ヴォルフガングのジャック・ガストフはアグレッシブで勢いがあり、他のプロダクションであれば十分に観客にアピールしただろう。しかしヌレエフ版のロットバルトには、メンターの立場を使って王子を操るようなスケール大きさが求められるため、ガストフの若々しさが多少妨げとなっていた。
ダンサーの大半は生前のヌレエフを知らない世代にもかかわらず、ヌレエフ版『白鳥の湖』の世界観がしっかりと打ち出された舞台だった。生え抜きのオペラ座バレエ学校出身者以外にも活躍の機会が広がっているようで、かつてなくダンサーの多様性が感じられた。踊りのスタイルが異なるダンサーを違和感なく配置するには至っておらず、この点は今後の課題だろう。世界最高峰のカンパニーがこれからどこに向かっていくのか興味が尽きない。
(隅田有 2024/02/11 13:30 東京文化会館)
1. The Rudolf Nureyev Foundation. 1984-Swan Lake. https://nureyev.org/rudolf-nureyev-choreographies/rudolf-nureyev-swan-lake/ [Accessed 2024-02-18]
2. Moscow: P. Jurgenson, n.d.[1895]. https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/535915 [Accessed 2024-02-18]
* 2幕のアダジオの音楽は、1895年のバージョンの他に、現在一般的に上演されているバージョンも、当初から作曲されていたようである。https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/509669 [Accessed 2024-02-18]