November 24, 2023

東京バレエ団 新制作『眠れる森の美女』

新制作の『眠れる森の美女』の公開が続き、バレエファンには至福の秋である。東京バレエ団による『眠れる森の美女』の上演の歴史は長く、1968年に創立5周年を記念して制作されたプロダクションは、バレエ団の代表作としてたびたび再演されてきた。他にマラーホフ版(2005年, 翌年日本初演)や、飯田宗孝改訂振付の子どものためのバレエ『ねむれる森の美女』(2012年初演)をレパートリーに持ち、今回初演された斎藤友佳理版はバレエ団として4つ目の『眠り』となる。本作を知り尽くした東京バレエ団ならではの、隅々まで気が配られた贅沢なプロダクションであった。

1968年版、マラーホフ版、飯田版は、いずれも上演時間の短縮が意識されているが、斎藤版は古典の趣を尊重し、いかに短縮しないで上演するかがテーマの一つとなっていた。さすがにプティパの時代の4時間を越すようなパフォーマンスは、今日のバレエ公演では困難だが、上演されるべき曲を時間の許す限り挿入した、休憩2回を挟むトータル3時間の舞台だった。ソリストの見せ場とは直接関連しないコール・ド・バレエの踊りや情景なども省略せずに上演されたが、その結果、時間の経過に心地よいフローが生まれていた。細部を省略するよりも腰を据えて全部見せる方が、長さを感じさせないというのは発見であった。

過去の資料にあたり、構成要素をサポートする解釈が添えられていた点も、斎藤版の特色だろう。『眠り』は唐突な展開や、物語に直接関連しないキャラクターの登場が、様式美の一点突破で押し切られる傾向にある。そもそも100年間眠っていたオーロラ姫が、初対面の王子の口づけで目覚め、次の幕で結婚する展開に、現代の観客の共感は追いつかない。斎藤版は、リラの精を中心にオーロラと王子の絆を強めることで、この展開に説得力を付与した。王子に行動をもたらす背景には、リラの精に対する全幅の信頼が鍵となるが、リラの精をオーロラと王子双方のゴッドマザーと位置付けることで、この信頼の裏付けとした。また森の場面で王子とオーロラはアダジオを踊らず、王子がコール・ド・バレエに阻まれながら、オーロラの幻を追い求めるさまが強調されていたが、その切なさや遣る瀬なさの延長線上に、オーロラもまた同時刻に別の場所で、王子の到来を一途に待ちわびている様子が暗示された。リラの精に導かれて、王子がオーロラのもとへと旅する場面は、先行する多くの版と同様に舟に乗るが、舟の手前の木立を進行方向と反対向きに動かすことで効果的に移動距離を表現した。これはプティパによる初演時の演出が採用されていたとのことである。結婚式に登場する寓話のキャラクターは、仮面舞踏会の余興として宮廷のメンバーによって踊られるという設定が追加されていた。目隠しの幕を使って二人一役のダンサーを入れかえる方式で、演出の意図がスムースに伝わった。

主演を務めた秋山瑛と宮川新大は、クラシック・バレエの技術的な見所をしっかりとおさえた、完成度の高い踊りを見せた。髪の色を明るく染めて一層華やかな秋山と、白いタイツ姿でスタイルの良さが際立つ宮川は、『眠り』の主役として申し分ない。強いて言えばどのパもそつ無くこなすため、余韻があっさりしている点が、重厚なプロダクションとの間にギャップを生んでいたが、二人は近い将来、役の大きさに匹敵する、唯一無二のオーロラ姫とデジレ王子となるのではないだろうか。カラボスはバレエ団きっての世話物の名手、柄本弾と伝田陽美によるダブルキャストで、性別よりも芝居の上手さがキャスティングに反映されているようだった。筆者が観た日は柄本だったが、白髪混じりのカツラを被り腰をかがめて歩く姿は、どこか憎めない老女といった風情で、男性が女性役を演じる際にありがちな滑稽さに落とし込むことなく、純粋に芝居の上手さと存在感で場を制していた。玉座に座る場面では、腰掛ける前に座席をひと撫でするなど、仕草の一つ一つに解釈の余地があり、本作の方向性とも一致していた。リラの精は今年春にソリストに昇進した榊優美枝、ブルーバードとフロリナ王女に、池本祥真と足立真里亜など、ダンサーの層の厚さが反映された配役であった。

(隅田 有 2023/11/12 東京文化会館大ホール)



outofnice at 19:30舞台評 
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