May 23, 2023

東京バレエ団『ジゼル』

東京バレエ団が『ジゼル』を上演した。2021年2月にも上演されているので、比較的短いスパンでの再演である。前回2日目に登場した秋山 瑛と秋元康臣のペアが今回は初日を踊り、翌日と翌々日には、中島映理子と柄本 弾、足立真里亜と宮川新大が主演した。初日の様子を報告する。


冒頭で述べておきたい。本公演は控えめに言っても、2023年の舞踊公演を代表する素晴らしいステージであった。近年、秋山は舞台ごとに驚くべき進化を遂げている。テクニックの見せ場の多い溌剌とした役を得意としてきたが、先月披露したロビンズの『イン・ザ・ナイト』では詩情豊かな一曲目のパ・ド・ドゥを踊りこなしていた。本公演では従来の瑞々しさと、近年開拓されてきた叙情性が統合し、新境地を切り開いていた。ボーイッシュな一面を持つ秋山は、古典的なヒロイン像に収まりきらないところがあり、どのような工夫で役に説得力を持たせるかが、毎回見所の一つでもある。今回秋山は、アルブレヒトとヒラリオンはもとより、ベルタ、バチルダ、村人、ミルタなど、周囲との関係性を丁寧に積み上げることで、秋山らしいジゼル象を作り上げ、さらにヒロインの内面の変化も描いた。特にジゼルの抗いがたい魅力を表す上で、母ベルタ(奈良春夏)とのやりとりが効果的だった。アルブレヒトには初々しく憧れを持って接っするかたわら、ベルタには全身で甘えるように纏わりつく。身体を労わるようたしなめるベルタと、もっと踊りたいジゼルの掛け合いには、子猫のようなジゼルの可愛らしさが存分に表現されていた。ステップの丁寧さも際立っており、ジャンプを高く跳ぶだけでなく、着地の際の深くスムースなプリエが、弾むような軽やかさを引き立たせる。わずかな時間差をもたせて、上体の動きを追いかけるように使う腕や、アラベスクのポーズをとった後に、更に脚が高く上がっていく様子は、重力の存在を忘れさせるのに一役買っていた。

王子の秋元は、正確な技術でノーブルな王子を演じていた。演技の面でも一皮向けて、おっとりとした雰囲気の延長線上に、ジゼルに対する偽りのない愛情を表していた。狂乱の場面ではジゼルが生きているうちから、ウィルフリード(大塚 卓)の方を向いて泣いていたのが印象に残る。一幕のラストは逃げ出さず、その場にとどまり幕。2幕では後半の宙に浮かび上がるような連続のアントルシャ・シスからパッセ・トゥールのシーケンスが圧巻であった。秋山と秋元は共に、テクニックを見せることをゴールとせず、テクニックを表現の必然性と結びつけることに成功していた。

ミルタの伝田陽美、ドゥ・ウィリの二瓶加奈子と三雲友里加も、舞台に大きく貢献していた。ジゼルの登場までの間に、客席が湧くほど盛り上がるのも珍しい。ミルタの登場直後のアラベスク・パンシェでは、技術的な難所を物ともせずに、上げている脚と同じ側の腕を後方に長く使う美しいポーズで観客のため息を誘った。岡崎隼也のヒラリオンは、役作りの着想をめいっぱい詰め込んだような演技であった。一つ一つは素晴らしいものの、情報量の多さがアイデア同士を打ち消してしまうようなところがあった。一幕の登場直後からカミテの小屋を訝しんで見せるのは有効だが、小屋を怪しむ様子が繰り返されると、冒頭の効力が薄れてしまう。着想を形にできるのは、それ自体が舞台人として稀有な才能だ。そのギフトに満足せず、是非とも採用するアイデアを厳選し、更なる高みを目指して欲しい。

東京バレエ団はコール・ド・バレエの美しさにも定評がある。一幕では秋山のトゥ・シューズの音が全く聞こえないことに関心したが、二幕のウィリたちもトゥ・シューズの音がほとんど聞かれなかった。そうなるとこれは個人の気配りではなく、出演者全員に共通の理解があると考えるべきだろう。踊りや芝居のトーンを出演者が共有している点は他に類を見ない。東京バレエ団は来たるオーストラリア公演でも『ジゼル』を上演するとのことだが、成功を確信する舞台だった。

(隅田 有 2023/05/19 19:00 東京文化会館大ホール)


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