August 02, 2020
“ジジ”・ジャンメール逝く 2020年7月17日/スイス
AFP通信の配信により、ルネ(愛称=ジジ)・ジャンメールの訃報を日本の新聞各社が伝えた。7月17日にスイスの自宅で亡くなったのだ。96歳だった。“ジジ”は1933年、パリ・オペラ座で踊りはじめる。しかし、クラシックの枠に収まり切れず、活動の場を新しいバレエの世界、ショー・ビジネス、映画など、多方面へと広げて行った。
彼女は、1924年4月29日生まれ。パリ・オペラ座でいっしょだったローラン・プティとは同い年だった。やはりクラシック・バレエにあき足りず早々にオペラ座を飛び出したプティの振付を踊るようになり、二人は臨時編成のダンス・グループ“バレエ・ド・パリ”を足場として新しい舞踊の世界を目指した。1949年にロンドンで初演したプティ振付、“ジジ”主演の『カルメン』は、当時としては異例のセクシーな演技で、大きな反響を呼んだ。二人は1954年に結婚する。
1964年2月、“ジジ”は40名のショー・ダンサーを率いて来日し、《ルネ・ジャンメール舞踊団公演》を日比谷公会堂で行った。当時39歳の彼女は、背中に大きな羽飾りをつけた豪華な衣裳で群の先頭に立った。プティは同行していなかったが、彼が振付けたイブ・サンローランの衣裳によるエンターテインメント作品『ダイヤモンドを噛む女』は、バレエのすぐ外側に別の世界が開けていることを、日本のバレエ・ファンに示したのだった。彼女が低音で語り掛けるように唄った歌も、深く心に響いた。
ちょうど同じ頃、リアンヌ・ダイデ、ミシェル・ルノー、ロゼラ・ハイタワー、アンドレ・プロコフスキーが来日し、《フランス・バレエ・4大スター合同公演》を同じ日比谷公会堂で行った。彼らのバレエの伝統に忠実な抑制を利かせた表現と、感情を身体の動きに込め、それを小粋なしぐさでさらりとつないだ“ジジ”の踊りの違いに、当時の日本のバレエ・ファンは目をみはった。東京オリンピック開催に沸き、新幹線が走り始めた当時の日本に、“ジジ”の一行は大きな刺激をもたらしたのだった。
(山野博大)