June 22, 2020
勅使川原三郎+KARAS《アップデイトダンス》シリーズ第71弾『永遠の気晴らし』
勅使川原三郎+KARAS《アップデイトダンス》シリーズの第71弾で、勅使川原三郎と佐東利穂子が『永遠の気晴らし』を踊った。KARASの本拠、荻窪のアパラタスの入口では、フェイス・シールド着用のスタッフが、観客の体温をチェックし、手、靴底の消毒を行うなどして、新型コロナウイルスの感染に備えた。客席の間隔を十分にとり、定員をいつもの半分に抑えての公演だった。音楽、演劇は、電子映像でもあるていどのところまで感動を共有できるような気がする。しかし舞踊は、密着・密閉・密集のどれを外しても、その本当の良さを受け取ることができない。どうしても手間をかけて劇場を開き、観客とじかに向き合うことになる。
舞台が明るくなる。いつもと同じように勅使川原が何気なく立つオープニング。舞踊公演を見るのは2ヵ月半ぶりだ。踊りを見始めてそろそろ70年になるが、見ない間隔がこんなにあいたのは初めてのこと。勅使川原の動きは繊細そのものだ。それでいてパワーがある。小さく両手を動かし、それを全身に伝え、さらに舞台いっぱいに広げて行く。佐東の力強く流麗な動きが続く。観客は、作品につけられたタイトルを頼りに踊り手の動きと向き合い、それぞれに自分の身内に作品を形作る。それが舞踊を見るということなのだ。私は舞踊にひどく飢えた状態でこのプロセスをたどり、いつも以上に自分のからだの中で激しくうごめく何かを感じた。
『永遠の気晴らし』というタイトルには、コロナ禍のなかで外出を自粛し、そこに発生した長い時間をどう過ごすかという、今の世界の人々の日常につながるところがある。しかし勅使川原は「身体の奥底のうごめき/無目的な戯れ/機能性から外れた無限再生遊戯/危機/ある晴れた日々」と公演案内に目指すところを記し、この作品ががより根源的な問題の提起であることを示した。二人の動きは冒頭から、観客のうっとうしいコロナの日常を瞬時に遠く引き離すものだった。
勅使川原と佐東の微妙に異なる心地よい動きのリレーから、観客は身辺に起こるかもしれないドラマをさまざまに思い描いた。二人は、曲想をいろいろと変え、踊りの世界を多彩に広げた。しかし『永遠の気晴らし』はあっという間に終わってしまったという印象だった。ダンス・シリーズ恒例のアフター・トークがあり、初日に集まった観客はそれをいつものように楽しんだ。佐東はたくさんの植物を自宅で育てている日常を語った。久しぶりにたっぷりと踊りを見たという満足感が身内に残った。
永遠の気晴らしありや夏の宵
永遠の気晴らし探す梅雨晴間
ほどほどの気晴らし果てゝ明け易く気晴らしの後のあれこれ梅雨はじめ
永遠の気晴らし初夏のアパラタス 博大
(山野博大 2020/6/12 カラスアパラタス)