May 04, 2020
笠井叡が踊らない《DUOの會》は、内容豊富な「笠井叡、舞踏一代記」だった
笠井叡が《DUOの會》を行い、『犠儀』『丘の麓』『病める舞姫』『笠井叡の大野一雄』の4つのデュオを、川口隆夫と笠井瑞丈に踊らせた。笠井叡自身は振付と「語り」の役割で、踊ることはなかった。
笠井叡は、今年の1月にセルリアンタワー能楽堂で能楽師の津村禮次郎と『nevermore』を踊ったばかり。昨年1月には、世田谷パブリックシアターで《迷宮ダンス公演》を行い、黒田育世、近藤良平、笠井瑞丈、上村なおか、酒井はなといった豪華な顔ぶれをそろえて澁澤龍彦原作の大作『高岳親王航海記』を踊っている。その5月には国立劇場の特別企画公演《神々の残照》“伝統と創造のあわいに舞う”で、近藤良平、酒井はな、黒田育世、上村なおか、笠井瑞丈らを従えて“古事記祝典舞踊”と名付けた『いのちの海の声が聴こえる』を自作自演するなど、相変わらず全力投球の日々を送る。
80歳近くという年齢を少しも感じさせない笠井叡が客席最前列に座り、最初の『犠儀』が始まった。この作品は1963年、朝日講堂初演。19歳の笠井の死骸を、隠坊の大野一雄が焼くところを描いたものであることを、客席から立ち上がった彼が語った。川口隆夫が大野一雄を、笠井瑞丈が笠井叡を踊る。川口は、すでに今世紀初めには山田うんと踊り、2006年頃から白井剛と、2008年頃から岩淵多喜子、太田ゆかりらと、2011年には大野一雄舞踏研究所の面々と舞台を共にし、2013年には自作のソロ『大野一雄について』を披露しているベテラン。適切な人選だ。
笠井叡は、大野一雄との出会い、大野の踊りの特質を語り、同時に自分の舞踊人生スタートの頃の様子も観客に伝えた。日本の古典芸能の義太夫は、舞台の人形の動きに合わせて脇の台座に並ぶ太夫と三味線弾きが物語る。舞台の動きに「言葉」が合わさって演目の内容がはじめて観客に伝わる仕掛なのだ。笠井叡の力強く言い切る「語り」と舞台の川口隆夫と笠井瑞丈のデュオが義太夫の舞台に重なった。
私が笠井叡の踊りを初めて見たのは、1966年8月26日に銀座のガスホールで行われた《笠井叡処女璃祭他瑠(リサイタル)》だった。彼はお母さんの弾くオルガンの調べに乗って『磔刑聖母』『母装束』『龍座の森』などを、高井富子と踊った。細身の肉体から繰り出される、見たこともないとげとげしい動きの奔流が印象に残る。このリサイタルを、土方巽に勧められた澁澤龍彦が見ていた。笠井は、それから53年後の2019年に上演した『高岳親王航海記』で高岳親王を演じ、巨大なベンガル虎を退治したりの大暴れを見せ、最後はパイプをくわえた原作者の澁澤になって幕を下ろす。半世紀の時の経過が心にしみた。
次の『丘の麓』は、1972年に青年座で初演したもの。笠井叡と大野一雄が踊る当時のぼやけた映像を見せ、その前でドレス姿の川口が大野一雄を、洋式の軍服姿の笠井が笠井叡を踊り、王家の愛の物語を繰り広げた。ここにも笠井の「語り」が入り、彼と大野一雄との間にあった「日常」とそこで伝えられたであろう動きの神秘を浮かび上がらせた。
『病める舞姫』は、2002年にスパイラルホールなどで行われた《JADE2002 舞踏サミット・土方メモリアル》でのもの。大野一雄が車椅子で笠井叡と踊った。二人を取り囲んで喝采する観客も見える当時の映像を、川口と笠井瑞丈がていねいになぞる。ここでの「語り」は、当時の情景を控え目に説明するものだった。
最後は新作『笠井叡の大野一雄』。これもデュオで、大野一雄・笠井叡を踊った若い二人の実力を示す舞台となった。日本の古典芸能では、親が子に自分の「芸」を伝承する。子は親のものを受け継ぎ、それに自分のものを足して新たな名跡を創る。笠井叡も自分の作品を息子の瑞丈に渡してきた。例えば、2017年にシアタートラムでやった『花粉革命』だが、この作品は笠井叡が日本各地、アメリカ、フランスなどで上演してきた大事な一本。それを息子の笠井瑞丈が踊った。その時の笠井叡とのカーテンコールは、日本の古典芸能の「代替わりの口上」を思わせた。
笠井叡が踊らない《DUOの會》は、内容豊富な「笠井叡、舞踏一代記」となった。この舞台は、今年の1月8日に81歳で他界した少し年上の盟友、大野慶人に捧げられた。
(山野博大 2020/3/27 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ)