April 07, 2017

出雲の春音楽祭2017《オーケストラ×日本舞踊》『燦 そして、はじまる』 出雲神話シリーズ第3弾「KUNIYUZURI」〜国譲

 出雲大社は縁結びの神様として知られる。そのお膝元にある出雲市民会館で、日本舞踊と西洋音楽、神話とオーケストラが“ご縁”あって結ばれ、豊かな実りをもたらした。そのきっかけを作ったのは、いわば神話のトリックスターとして出雲の外からやってきたプロデューサー、音楽監督、舞踊家、作曲家であるが、元々の土壌がなければ生まれない。フィクションである出雲神話を、素朴な信仰心によって生活に取り入れながら伝えてきた人々と風土があり、かねてより小中学校の部活動からアマチュア社会人まで音楽(合唱、ブラスバンド、オーケストラなど)が盛んであった出雲市の文化の蓄積があればこそである。地域独自の伝統、伝承、風土という文化資源をベースに、現代的(西洋近代的あるいはグローバル)な芸術文化が出会い、試行錯誤を重ねながら創造され、発信されたのがこの公演、作品である。



 オープニングを飾ったのは、出雲の春フェスティバル邦楽合奏団による「かぐや姫の手事」(長澤勝俊作曲)。邦楽の流派、団体の枠を超えて結成された合奏団が、筝アンサンブルを中心に、キリリとした和服姿も艶やかなメンバーが華やかに演奏した。

 続く第一部は、平野一郎作曲による交響神楽 第一番〈國引(クニビキ)〉の世界初演() である。現代音楽の作曲家である平野が出雲の土地と出雲神話に惚れこみ、現地でのリサーチと構想を重ねて、オーケストラ、バリトン独唱、混声合唱、児童合唱による交響曲ならぬ“交響神楽”を書き上げた。クラシック音楽に馴染んだ出雲の音楽人も、これには驚いたようで、「現代音楽」と聞いただけで、あるいは難解な楽譜を見ただけでしり込みした人は少なくなかったそうだ。しかし根気よくメンバーを集め、練習を重ねることで、出雲の春フェスティバル合唱団と同オーケストラの総勢200名を超える老若男女が、見事に世界初演を成功させた。筆者は現代音楽の専門外だが、非常に興味深く、また心地よく聴くことができた。それは、平野の作曲がいたずらに神話をなぞるのではなく、「出雲國風土記」から言葉を拾い集めて、その詞、発生される音声の力強さを最大限に活かし、オーケストラの音と融合させたためだろう。出雲神話の神話性が、物語の筋としてではなく、まさに神話的な混沌と雄大さをもつ音の連なりによって表現されていた。クライマックスで、八束水臣津野命(バリトン・出雲出身の福島明也)が群衆(出雲の春フェスティバル合唱団)と共に「くにこ、くーにこ!(國来國来)」と歌う壮観な音と情景が忘れがたい。この交響神楽はこれから4年間にわたり、今回の「國引(クニビキ)」から「國譲(クニユズリ)」まで6作を創作、世界初演し続けるのだという。出雲でしか創造、発信できない、壮大でオリジナルな文化プロジェクトである。


 この連作交響神楽の始まりを準備し、一足先に“クニヲユズル”のが日本舞踊とオーケストラによる「出雲神話シリーズ」である。
2015年の第一部『国引き』ではラベル作曲『ボレロ』を用い、2016年の第二部『受難』ではホルスト作曲『惑星』、ビゼー作曲『カルメン』などからコラージュし、今回の完結編ではストラヴィンスキー作曲『火の鳥』を用いた『KUNIYUZURI−国譲』が、藤間蘭黄によって振付けられ、藤間蘭黄、藤間恵都子と地元の舞踊家(西川沢妙、藤間茉里恵、福田珠希)によって踊られた。演奏は、出雲の春フェスティバルオーケストラ。筆者はようやく今回拝見することができたのだが、東京から見に行く価値(公演後の、楽しく美味しい島根観光も含めて!)が十分あり、オーケストラと日本舞踊による新たな表現を堪能したのである。

 この作品では、大国主神(おおくにぬしのみこと)が治め、栄えていた出雲国に天照大神の遣いが再三やってきて、あわや争いになるところを大国主神が国を譲って平和を保ち、その代わりに杵築宮を建てたという、出雲大社の起源までを描いている。音楽は、バレエ・リュスのバレエ作品『火の鳥』から7曲を編んだ、バレエ組曲『火の鳥』1919年版が選ばれた。音楽は毎回、音楽監督・指揮の中井章徳が提案する中から藤間蘭黄が選んだそうだが、今回の組曲は曲順、構成を変えて演奏することは許されていない。20世紀初頭、バレエに革命を起こしたバレエ・リュス、そしてストラヴィンスキーの音楽と、日本の伝統芸能である日本舞踊がどのようにコラボレートするのか、まったく想像がつかなかった。しかし作品が始まるとともに、それは杞憂だったことがわかる。

 ストラヴィンスキーが初期バレエ・リュスのために作曲した『火の鳥』(1910)、『ペトルーシュカ』(1911)、そして『春の祭典』(1913)の作風は原始主義として一般にも知られている。一方で、ディアギレフらが民話から題材をとって、バレエ『火の鳥』を創作した背景には、19世紀ロシア文化におけるネオ・ナショナリズム芸術の流れがあった。それまでの西欧の振付家、作曲家主導のバレエから方向を変え、バレエ・リュスはディアギレフのディレクションのもとでロシアの民族的なテーマを採用し、フォーキン、ニジンスキー、ストラヴィンスキーらに振付、作曲を依頼することで彼らの文化に根差した“ロシア的”なバレエ作品を完成させ、自らのアイデンティティを確認したのだ。(ロシアバレエ研究者、平野恵美子氏の論考を参照した)

 よって、今回の出雲神話を題材にした舞踊作品で、『火の鳥』を選択したことは、その民話構造に基づく楽曲構成も、作風も理にかなっている。しかしながら、その音楽を用いてミュージカルやモダンダンスのような具象的な表現を多用したとしたら、作品はまったく別ものになっていただろう。もちろん具象的なダンスで物語をわかりやすく伝えること、観客が容易に感情移入できて、舞台と観客の一体感を得ることは、舞台作品に必要な要素である。しかし、この「オーケストラ×日本舞踊」のシリーズは、物語のわかりやすさ、娯楽性だけでなく、芸術的な洗練も目指している。そこで振付家は、日本舞踊が持つ言葉に振りをあてて意味を説明する踊りと、非具象的、抽象的な踊りの両者から動きを厳選し、鍛えられた身体によって踊ることで、美しく鮮やに造形した。その芸術的洗練によって、神話の題材、ストラヴィンスキーの音楽が孕む熱量、時に過剰な意味が中和され、特定の民族主義などを超えた、寛容で大らかな感動を呼んだのである。この壮大な出雲神話を5人で何役も踊りながら描き、最後に藤間蘭黄が客席の急な階段を昇りながら、杵築宮を築いていく様は圧巻であった。舞台美術もなく、オーケストラを背景にしただけの作品が、巧みな構想、振付、踊り、そして演奏によって観客の想像力を大いに刺激し、観客は完成する杵築宮を見ながら出雲市民であることの誇りを感じただろう。出演者、スタッフの皆さんの尽力、そしてこの企画を考え、実現させたプロデューサー柴田英杞の慧眼である。


 「オーケストラ×日本舞踊」による出雲神話シリーズは今回で完結した。しかし、ここで培われた経験、技術、自信と誇りは、出演者、スタッフ、観客を今後も鼓舞し、発展を続けるに違いない。出雲の人々と、外からやってきたトリックスターの芸術家、プロデューサーたちの“ご縁”はこれからも続くだろう。本公演のタイトルが『そして、はじまる』であるように。(稲田奈緒美
2017/3/20 14:00 出雲市民会館)



inatan77 at 19:07舞台評 
記事検索