March 26, 2013

舞踏家・宇野萬(俗名・三津夫)を偲ぶ《萬祭》

舞踏家・宇野萬(俗名・三津夫)を偲ぶ《萬祭》が開かれた。発起人代表=麿赤兒の挨拶で開会。国内外での映像を豊富に使った舞台を次々と見せ、宇野の60年の波乱の生涯を手際よく多数の来会者に示した。  現代舞踊の川野眞子、韓国舞踊の金利恵の献舞もあった。川野は何度も宇野と舞台を共にしている。彼女の中に含まれている舞踏的なテイストに宇野は惹かれたのだろうか。金の韓国ならではの嘆きの舞が涙を誘った。  生前宇野が自宅前庭に作った舟形の舞台を思わせる、船の模型が舞台を漂いはじめ、宇野が生涯の師と仰いだ麿赤兒と大駱駝艦の一統が、宇野萬の弟子の原田拓巳を囲んで舞踏を披露した。白装束の麿赤兒を中心に据えた壮麗な舞台が宇野の霊を送った。  原田拓巳の閉会の辞があり、来会者はそれぞれ自分の名前を書いた板片を船に投げいれ、献花の代りとして散会した。舞踊関係の「偲ぶ会」がいろいろと行われているが、この《萬祭》ほどめんみつに演出されたものは他になかったのではないだろうか。発起人にずらりと並んだ、天児牛大ら実演者、山口情報芸術センター、世田谷パブリックシアターなどの舞台関係者と、会場を提供した世田谷パブリックシアターの全面的な後援があり、この盛大な《萬祭》が可能となったものと思う。宇野は良い仲間をこんなにたくさん持っていたのだ。  会場で配布された宇野萬を偲ぶ約40ページのパンフレット(非売品、限定500部)は、彼を知る貴重な資料であふれていた。そこに記された綿密な年譜だけでも得難いものと言える。
(山野博大 2013/03/25  世田谷パブリックシアター)

emiko0703 at 18:42レポート 
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