March 23, 2013
SPAC 演劇 unit ミズノエタツ《鷹の井戸》
とてもプライベートでパブリックな公演であった。場所は愛知県豊橋市の中心からローカル電車で約25分、渥美半島の付け根にある太平寺というお寺。実は静岡県舞台芸術センター(SPAC)の元スタッフのご実家で、それゆえ観客は知り合いか関係者が多いという印象を受ける。だが決して内輪向けの作品ではない。非常に質の高い洗練された作品に仕上がった。
W・イェーツの同名の戯曲で、松村みね子の翻訳を短く書き直して上演した。舞台は寺の本堂で、ご本尊を背景に畳の座敷を舞台として用い、三方に椅子を並べ、客席としている。舞台の上には大きな黒い五つの岩。それらはストーンヘンジのようにも墓石のようにも見える。
「心の眼をもて見よ…」で始まるナレーションの後しばらくすると、舞台向かって右後方、客席の方からケープのようなものをかぶった老人が静かに姿を現す。この老人は、涸井戸から不老不死の水が湧き出るのをもう50年も待っている。その井戸は鷹の女に守られている。女の姿は見えない。イェーツが原作に指示した楽人もいない。
そこにサルタムの子クウフリンを名乗る若者が現れる。彼もまた井戸を求めてやって来た。若者の衣装は着物のように見える。老人は顔に老醜の面をつけている。イェーツはケルト神話を「能」にしようと試みたのだが、この和風の衣装も本堂の薄暗い照明も幻想的な雰囲気を醸し、どの国の神話時代と言っても違和感が無い。
老人と若者が問答していると、鷹の女に異変が現れる。灰色のケープを着た老人が、赤い着物の若く美しい鷹の女に入れ変わる。1人二役である。この作品には、老人と若者、男と女等、様々な対比がある。老人と少女を1人の役者に演じさせたのは、これらの対比が表裏一体であることを暗示して秀逸なアイディアである。
井戸から水が湧き出ている間、鷹の女が老人と若者を欺き、2人は決して水を口にすることができない。それでも希望を捨てない若者と、もはや何の望みも無い老人。それは若者の未来の姿でもある。
演じる役者は2名のみ。箱として使用した寺そのものが鬱蒼とした木々に囲まれ、観る者も鷹の井戸のある秘境に入り込んだかのような錯覚に陥る。棚川寛子の音楽は木琴を中心に、時折ヴァイオリン(鷹の声など)や打楽器を使用して、静かでもの哀しく、儚さを極める。舞台上に置かれた岩と彫金は、昨2012年に亡くなった彦坂玲子の作品。その縁で彼女の実家である太平寺で上演される運びとなった。武石守正はむこうみずな若者の強さと危うさを凛々しく演じ、老人と二役の本多麻紀は堂々たる存在感で運命の鷹の女を演じた。
今回の《鷹の井戸》は、演劇作品で舞踊場面は無い。ではなぜここに批評を書いたかというと、それが日本と西洋の舞踊史における大変重要な作品だからである。
明治期に岡倉天心と共に日本美術の保護に努めたことで知られるA・フェノロサは、1908年ロンドンで客死した。その遺稿を元にE・パウンドは『能または日本古典演劇の研究』(1916)を著す。パウンドはイェーツの秘書をしており、影響を受けたイェーツは『鷹の井戸』(1917)を書いた。この戯曲は出版に先立つ1916年ロンドン、海運王キュナードの私邸で上演される。この時、鷹の女を演じたのが伝説的舞踊家の伊藤道郎である。東洋趣味というものは当時既にあったが、西欧人ではなく本当の東洋人が演じるのを、ようやく欧米の人々が目にし始めた時代である。
その後、《鷹の井戸》は日本でも上演されるようになる。だがイェーツの原作は日本の能の規範から外れており、《鷹の泉》《鷹姫》と翻案変更され上演されて行った。イェーツの原作に立ち返った今回の上演は、挑戦的な試みと言えるだろう。
SPACは本年2月に《マハーバーラタ》のフランス公演で大成功を収めている。今回の《鷹の井戸》は、SPACの有志メンバーで結成されたユニットによる公演だが、こちらも是非、イェーツの原文を用いて英国公演を実現させてほしい。そしてW・サイードが指摘したような西欧人の東洋趣味に過ぎないオリエンタリズムとも、歌舞伎や能の引っ越し公演とも異なる、新しい東洋の夢幻美というものを見せてあげてほしい。そしてその時は、本多麻紀の鷹の女は本当に魅力的だったので、少しでも舞踊場面を挿入して頂きたい。
(平野恵美子 2013/3/22 18:00 愛知県豊橋市太平寺 )