March 01, 2013

日本バレエ協会神奈川ブロック第30回自主公演『ドン・キホーテ』についての裏の事情

日本バレエ協会の神奈川ブロックが、第30回の自主公演で『ドン・キホーテ』を上演した。神奈川ブロックが『ドン・キホーテ』の全幕を上演したのは、8年前の2005年だった。第22回自主公演で夏山周久の演出・振付、岩田唯起子のキトリ、黄凱のバジルでやったのだ。今回は横瀬三郎が演出・振付を担当した。



 『ドン・キホーテ』は、谷桃子バレエ団が1965年7月24日に東京文化会館で全幕日本初演した。この時に振付を伝えたのはスラミフィ・メッセレルだった。その時の配役は、
キトリ=谷桃子/小林紀子(交替)
バジル=小林恭/小林功(交替)
ドン・キホーテ=有馬五郎/浅見捷二(交替)
サンチョ・パンサ=齋藤勝
エスパーダ=内田道生
だった。横瀬三郎は、この日本初演を経験しているが、こんど演出した『ドン・キホーテ』には自分のアイデアをいろいろと盛り込み、宿屋の看板娘キトリと大道で髭剃りをやっている街の人気者バジルの、ドタバタまじりの恋物語を軽快に展開した。
 配役は、
キトリ=樋口ゆり
バジル=浅田良和
ドン・キホーテ=桝竹眞也
サンチョパンサ=岩上純
ジプシー=岩田唯起子
エスパーダ=小林洋壱
ガマーシュ=マシモ・アクリ
ロレンツォ=陳鳳景
森の女王=山田みき
キューピッド=芳野綾
大道の踊り子=伊地知真波
公爵=原田秀彦
公爵夫人=三井亜矢
キトリの友人=飛沢由衣・朝日奈舞
ボレロ=石井沙絵・今勇也
第1バリエーション=岩崎美来
第2バリエーション=浅井蘭奈
だった。
 公演が済んですでにかなりの時間が経っている。しかし公演当日、キトリの樋口が足の肉離れで普通に歩けない状態だったにもかかわらず、アンダー・スタディの用意がなかったために、無理をして責任を果たしたことを、どうしても書いておかなくてはいけないと感じてここにとりあげることにした。
 1幕のバルセロナの広場に登場してきた樋口を見て、私はいつものような精彩が感じられないなという印象を持ったけれども、怪我を押しての出演だったとは少しも知らなかった。その後の演技も無難にこなしていたし、グラン・パ・ド・ドゥではフェッテ・も最後まできちんと回ったのだ。
 樋口が、献身的に務めてくれたおかげで日本バレエ協会神奈川ブロックは、『ドン・キホーテ』の幕を無事に下ろすことができた。しかし、そういう裏の事情を客席にいた人たちはほとんど知らなかったわけだ。私も「いつもの精彩が感じられないな」という第一印象を持ったていどで、まさかそんな状態で踊っていたとは考えもしなかった。「とても踊れない」と言って役を下りてしまっても、まわりの者もそれをいけないとは言わなかったにちがいない。しかし樋口は、そうしなかった。
 そのいきさつを知って、私の舞台の印象はすっかり変わった。批評家はそんな事情を考えないで、舞台の良し悪しを書けばよいのだという考え方もある。批評家は舞台で見えたことだけを書けばよいというわけだ。私に舞踊批評の書き方を一から教えてくれた光吉夏弥は、裏の事情を知ると書けなくなることもあるから舞踊家とのつき合いをなるべくしないようにと言っていた。
 しかし私は、その教えに従わなかった。批評という仕事は、ひとつの舞台という芸術作品を作るプロセスの最終段階に位置する大事な仕事であり、舞台という総合芸術の一端を担うものと考えたからだ。芸術はそれが鑑賞者に渡された段階ではじめて完成する。批評は何を見たのかを言葉にして残す仕事であり、パフォーミング・アーツの場合には、それしか後に残らない。実際に舞台を作る人たちとの距離は、批評を書く者の考え方しだいでいろいろあると思う。私はそれをかなり近いところに置いて批評を書いてきた。それは作品の出来ぐあいに批評家も、大きな意味で関わる部分があるわけだし、同じ日本の舞踊の世界に生きているのに、自分はまったく何も責任がないと言ってよいのだろうかと思ったからだ。
 樋口ゆりのことを書いているうちに、とんでもない方へ脱線してしまった。とにかく彼女が怪我を押してがんばってくれたことを知り、私はこの『ドン・キホーテ』を見直した。後になって感動し、そのことを他の人にも知ってもらいたくなった。
 この『ドン・キホーテ』では、もうひとつ冨田美里が俊友会管弦楽団を指揮してバレエの舞台に指揮者として初登場したことも書いておいた方がよさそうだ。バレエ指揮の第一人者である堤俊作の下で指揮法を習得した彼女は、ていねいに舞台の進行をフォローし、ひとつひとつの踊りに寄り添うようにして指揮棒を振った。後で聞いたのだが、リハーサルに何度も顔を出し、細部まで納得して振るようにしたということだ。特にキトリの演技に、微妙に合わせていたように私には感じられたところもあった。樋口の怪我を気遣ってそうしていたのかもしれない。女流指揮者ならではの繊細な指揮ぶりとその背後にあるもろもろのことを知り、私は見終わった後でもう一度感動を味わった。
 冨田美里のバレエ指揮デビューでは、もうひとつ余計なことを書いてしまおう。開幕前に、指揮者がオケ・ピットの後の方のドアーから登場して指揮台に上がり、観客に一礼する。この『ドン・キホーテ』でもそうだった。しかし一礼後に客席前方の観客にひそやかな笑い声が起こったのだ。その原因を確かめる間もなく序曲が始まったので、そのまま忘れていたのだが、後になってその笑いのもとが判明した。指揮者が客席に向かって一礼した時に、オケ・ピットと客席をへだてる柵におでこをごつんとぶつけていたのだ。それを見た客席前方の人たちがくすりと声を出したのだった。慣れない環境での突発事態にもめげず、冨田美里はみごとにオーケストラをコントロールした。痛いデビューだったが…。
 この『ドン・キホーテ』では、さらにもうひとつ嬉しいことがあった。余計なことついででこれも書いてしまおう。招待席の同じ列におられた林文子横浜市長が、最初から最後まで舞台を楽しんで見てくれたのだ。バレエがお好きで劇場にしばしば来られるし、舞台のことをよくご存じで、見せ場ではちゃんと拍手もしてくれる。だからとうぜんのことだったと言ってもよい。しかし政治、行政、経済関係などのトップにある人たちは、招待席に座っていても落ち付かなくて、途中で帰る人が多い。林市長も忙がしいはずなのだが、神奈川ブロックの『ドン・キホーテ』を最後まで楽しんでくれた。お好きなのだから周りでとやかく言うほどのことはないのかもしれないが、私はそういう市長を他に知らない。
(山野博大 2013/01/13 神奈川県民ホール)



emiko0703 at 17:23レポート 
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