May 03, 2012

石田種生の逝去を悼む

 2012年4月30日、石田種生の訃報を聞いた。肺がんで入院加療中だったのだ。1929年4月11日の島根生まれなので、享年は83。葬儀は近親者のみの密葬(5月3、4日/東村山市・シティホール久米川)で済ますとのこと。
 彼が所属していた東京シティ・バレエ団の事務所へ問い合わせたところ、後日「お別れの会」を開き、多分野にまたがる友人、知人に声をかけて、その業績を語り合い、自身のバレエに対する姿勢を生涯かけて損得なしに貫き通した人柄を偲ぶ予定とのことだった。
 石田がバレエと出会ったのは、慶応義塾大学在学中のことだ。バレエ好きが集う学生団体「慶応義塾バレエ研究会」に入ったのだ。この会には実技部門と鑑賞部門があった。彼は実技指導者として教えに来ていた松尾明美からバレエの手ほどきを受け、たちまちこの世界にのめり込む。1946年の日本における『白鳥の湖』全幕初演でオデット/オディールを踊った松尾明美の下でひと通りの基礎を身につけ、1953年に服部・島田バレエ団を脱退した小森安雄、河内昭和、松岡みどり、粕谷辰雄らが結成した青年バレエ・グループに参加した。さらに1954年からは松山バレエ団に属し、1955年の『白毛女』初演の舞台に立つ。同団による1961年の『オセロ』、1964年の『祇園祭』、1966年の『白鳥の湖』などでは、いずれも男性パートのトップを踊った。1962年のチャイコフスキー記念東京バレエ学校公演の『まりも』でも主役を小林恭とダブル・キャストで踊り、日本を代表するダンスール・ノーブルとしての地位を確立して行く。
 一方では、1963年の日本バレエ協会主催《バレエ・フェスティバル》で『枯野』を発表し、1967年の松山バレエ団による『赤い陣羽織』では松山樹子と共に振付者として名を連ね、舞踊作家としての道を進みはじめる。1960年の「安保反対闘争」の時には、有馬五郎、小森安雄らと共に舞踊人青年協議会を結成し、舞踊界の安保反対運動の中核の役割を果たした。
 1968年6月、谷桃子バレエ団の有馬五郎、松山バレエ団の石田種生が同時に退団して、日本コンサート協会の野口辰雄を巻き込み、東京シティ・バレエ団を結成する。彼らは日本におけるバレリーナ中心のバレエ団のあり方に疑問を持ち、作品第一の考え方に基づく集団指導体制のバレエ団を目指した。これに、谷桃子バレエ団から石井清子、小林紀子、小林功、袴田夏代、市橋敬子、碓井陽子、河合久美子、広瀬和子らが、松山バレエ団から柿沼田鶴子、金井利久、加茂律子、宮坂博子、岩淵渙子、尾寺敏晴らが同調し、総勢33名の新しいバレエ団が誕生した。彼は翌1969年には、文化庁の在外研修員として海外のバレエ状況視察の旅に出ている。
 東京シティ・バレエ団で石田は、1971年の『エスメラルダ』を皮切りに、1975年の『お夏清十郎』、1978年の『動物の謝肉祭』、1979年の『せむしの仔馬』『雪姫』などを創作。自分の持味を反映させた舞台づくりを一作ごとに進めて行った。
 1988年3月16日の夜、調布にあったバレエ団のスタジオで稽古を終えた石田は、スクーターに乗って帰宅の途中、不法駐車していたダンプカーの後部に激突して瀕死の重傷を負ってしまった。彼は傷の模様を「左前頭葉骨折、脳挫傷、左頬骨陥没、左下顎骨骨折、左下腿複雑骨折などなどで、45日間は意識不明、1年9ヶ月入院し、18回手術を受けた」と自著「随想〜バレエに食われる日本人〜」に書いている。しかし彼はその重傷から回復し、創作の現場に復帰する。
 東京シティ・バレエ団は、1995年に《石田種生の世界》公演を行い、彼の手になる『うしろの・しょうめん・だぁれ』『影の情景』を、2003年にも《石田種生の世界供娶演で『まほろば断章』『伝説』『ヒロシマの残照』『女面』などを上演し、舞踊作家としての石田の健在ぶりをアピールした。
 1988年に橘秋子特別賞、1996年にニムラ舞踊賞と東京新聞舞踊芸術賞を受賞。1997年に紫綬褒章、2003年に勲4等旭日小綬章を受章している。著書に「舞踊への旅標」「ボリショイ・バレエ 白鳥の湖」「随想〜バレエに食われる日本人〜」などがある。最後に彼が手がけた舞台は、2010年7月の石田版『白鳥の湖』の再演だった。
 好きなバレエの世界に身を捧げ、日本の未熟なバレエ状況に精一杯の抵抗を試みた石田種生の生涯は、また一方で多くの幸運に恵まれたものでもあった。特に衝突事故を起こした時に、担ぎ込まれた病院の当直医師が脳外科のエキスパートだったという奇跡が、彼のバレエ人生をここまで永らえさせたのだ。しぶとくどこまでも自分の考えを押し通す意志の強さが、彼の活動の範囲を狭めることもあったが、熱烈に支持する者もあり、その周辺はいつもにぎやかだった。
 石田種生の激動のバレエ人生は終った。安らかな眠りにつかれることを祈るばかりだ。

(山野博大 2012年4月30日)



emiko0703 at 09:56レポート 
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