February 07, 2012

エムザブロウ逝く

年が改まった5日、エムザブロウ(本名=京谷純男、前芸名=ジュン・キョウヤ)が亡くなった。彼は1933年1月19日の生れだから、享年は78となる。平均寿命が伸びている昨今では、早すぎる他界だった。
 彼は日本の古典芸能の家柄に生まれながら、なぜかジャズ・ダンスの世界に生き、最後までTOKYOZAダンスカンパニイを率いて自ら踊り続けた。
 1954年6月28日に日比谷公会堂で行われた横山バレエ団公演の『ピノキオ』に、若き日の彼(21歳)が出演した記録が残っている。これは、前田武彦が台本を書き、今井重幸の作曲で、横山はるひが振付け、自ら主演したという作品だ。彼はこのあたりでバレエに出会い、それをきっかけとして舞踊の世界へとはまり込んで行ったのだろう。1954年にはアメリカに渡り、長らく向こうで過ごしジャズ・ダンスの技術を習得した。
 1975年7月20日にヤクルトホールで、第1回ジュン・キョウヤ派ジャズ・バレエ・パフォーマンス(帰国公演)をやり『点と線との延長』『鹿は生きた』などを発表しているので、この少し前頃から日本での活動を始めたのだと思う。出演したのは、ジュン・キョウヤをはじめ、リツコ・ヒキタ、キョウコ・シバザキ、ヒロミ・オグマなどのカタカナ名前のダンサーたち。大倉伸展、花柳茂珠らがゲストとして出演するなど、はなやかな舞台だった。
 立て続けに公演を行い、彼の鮮やかなジャズの舞台は世の注目を集めた。その頃にはユキ・スガヌマ、ミチヨ・ノグチ、サチ・コヤマ、ケイコ・ヤノ、チアキ・クリバヤシ、トモコ・オソザワらもメンバーに名を連ね、キョウヤ・スタイルのジャズの勢いは増すばかり。習いたい人が多くて断るのが大変だと、当時彼が言っていたことを思い出す。1980年代に入ると、公演の記録にアキオ・キムラの名前も入ってくる。
 彼はジャズ・ダンスの独自性を貫こうとさまざまな努力をした。しかしテレビ番組のバック・ダンサーとして使われることが多く、彼の意図するところとは別の方向に現実は動いて行った。しだいに彼のダンスの注目度にかげりが見えるようになったのはこの頃からだ。1990年代になると、練馬在住の他の分野の舞踊家との交流や舞踊作家協会の一員としての活動などが中心となる。
 2003年頃にジュン・キョウヤを改めエムザブロウを名乗った。これは彼の古典芸能の家柄につながる改名だったと思う。一見こわそうな風貌だったが、私には常に親しい仲間として接してくれた。30年以上となるつきあいがとつぜん断たれてしまったことが残念でならない。冥福を祈る。
 2月11日の午後4時から「エムザブロウ氏おわかれの会」が練馬区富士見台のTOKYOZAスタジオで行われる。
(山野博大 2012/01/05)



emiko0703 at 22:47レポート 
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