February 07, 2012

豊川美恵子を偲ぶ

昨年暮も押し詰まった12月30日に、新国立劇場バレエ研修所でクラシカル・バレエ部門の主任講師を務める豊川美恵子が亡くなった。その知らせを聞いたのは、年も改まって数日経ってからのことだった。すい臓のガンだったそうだ。彼女は、1947年3月27日の生れだから、64歳だった。あまりにも早すぎる大事な人の死を、なかなか受け入れることができなかった。
 豊川美恵子の名前が最初にあがってくるのは、1961年1月28日から2月2、3日にかけて行われた牧阿佐美バレエ団・橘バレエ学校合同公演(産経ホール)の時となる。彼女は橘バレエ学校の第9回卒業生として、森下洋子、加藤みよ子、斉藤弘子、横山雅年、高田紀男と名を連ねている。そして1963年に『レ・シルフィード』、1964年に『白鳥の湖』『四つの大行進』『ル・コンバ』、1965年に『オーロラの結婚』、1966年に『パ・ド・カトル』『ジゼル』、1968年に橘秋子振付の『シルクロード』、1970年に『スコッチ・シンフォニー』、1971年に『パキータ』、1972年に橘秋帆(牧阿佐美)振付の『パリのアメリカ人』とスター街道まっしぐらの活躍ぶりを示す。
 また1973年の東京都助成による“都民におくるバレエ公演”という日本のトップクラスを集めた『シンデレラ』(演出・振付=漆原宏樹)では、妖精の役を本田世津子とのダブル・キャストで演じている。
 1973年10月10日に橘秋子記念財団によって設立された日本児童バレエ(芸術監督=島田廣、谷桃子、橘秋帆 音楽監督=芥川也寸志、福田一雄)の初代バレエ・ミストレスに、彼女は大原永子と共に指名された。当時、彼女はまだ27歳だった。若くして指導する立場についた彼女は、その後も後進を教える地位につくことが多く、それが最後まで務めた新国立劇場バレエ研修所の主任講師までつながってくる。
 彼女の舞台で印象に残るのは、やはり牧阿佐美振付の『火の鳥』とウィリアム・ダラー振付の『ル・コンバ』だ。それに長身を生かした『ジゼル』のミルタ、『眠れる森の美女』のリラの精なども忘れ難い。
 バレエの舞台は、バレリーナを中心にした階層構造がしっかりと出来ていないと安心して見ていられない。そういう意味で、豊川美恵子が身につけていたリーダーシップは、貴重だった。これから先の日本のバレエ界のリーダーとしての活躍が期待された人だけに、その死は惜しみても余りある。心より冥福を祈る。
(山野博大 2011/12/30 )



emiko0703 at 22:46レポート 
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