September 07, 2011
現代舞踊協会中部支部:Emotional Danceシリーズvol.1 A公演《モダンダンス エクステンション》
現代舞踊中部支部の新企画 Emotional Danceシリーズvol.1 A公演《モダンダンス エクステンション》を見た。
小品をただ並べただけの公演を続けているだけでは、舞踊作家がさっぱり育たないという反省に立って、新しい公演の形を考え出したのは、現代舞踊協会中部支部の野々村明子、南條冴和、秀和代、倉知八洲土、佐藤典子の面々。たっぷりと時間を使って作品を発表できる環境を整え、作品を募集した。それに応じた作品を、8月25日千種文化小劇場、12月12日愛知県芸術劇場小ホール、来年の2月21日熱田文化小劇場の3回に割り振って、企画をスタートさせた。
その第1日には、野田ますみ・福田晴美作品『おむすび』、木方要作品『GO』、近藤夕希代・秀奈都代・飯田佳世、秀実希子作品『フォー・W』、篠田侑子作品『潜』、山本祐実作品『点:点』の5本が並んだ。
上演作品を5本に絞ったことで、それぞれに見せる工夫を凝らす時間的な余裕が出てきた。短い時間で終わってしまう作品ばかりやっていると、時間をもたせて観客の興味を持続させるために努力するという舞踊創作の基本がお留守になる。今回の5作品は、そのような状態にブレーキをかけようという制作者の意図に応えるものであり、やはりそれぞれにおもしろかった。
千種文化小劇場は、地下鉄桜通線の吹上駅から数分のところにある。八角形の舞台を囲むように客席があり、気楽に舞台の中へ入って行ける雰囲気が漂う。舞台の床を上下させることができるので、テーマによってどのレベルで見せるかを作家は考える。たとえば篠田作品の『潜』は、舞台面を低くして、その中央にダンサーの篠田志緒がうずくまっているところから始まる。舞台面が下にあることで、女性の引きこもり状態を暗示する効果がある。その後もいろいろに女性の心理的な変化を踊り分ける振付が続き、『潜』はなかなかの見応えある舞台となった。
山本作品の『点・点』は踊れるダンサーを9人集めて、動きの美しさ、鮮やかさをねらったもの。さらりと見られる良さがある。野田・福田作品は、アコーデオンの生演奏で女性2人が踊る。木方作品はチェスの盤面をイメージさせる床照明の上で黒いブーツのダンサーたちが踊る。近藤・秀・飯田・秀作品は、踊りそのものの展開で見せようというもの。いずれももうひと工夫がほしいところながら、長い時間を踊りで埋めて行くことへの意識の感じられる舞台となり、この企画を立ち上げた制作者たちは、名古屋の現代舞踊を良い方向へ導く、ひとつのきっかけをつかんだのではあるまいか。
この中で『潜』が傑出して見えたのは、作品の中に作者の狂気が潜んでいたからだ。普通の人間はそのような狂気を意識しないまま日常を過ごしているが、その存在自体を心のどこかで恐れている。篠田侑子はその領域に踏み込んで作品を創り、それが他の4本との違いとなった。
日本の現代舞踊は、海外の新しい舞踊の動きにならって後発的に始まったものと考える向きもあるけれども、石井漠が独自に舞踊詩を世に問うた20世紀初頭は、世界の各地で同様の舞踊の革新が起こっている。日本も、時代の変革に呼応した新しい舞踊を生み出していたと考えるべきではないか。戦前の日本の現代舞踊は、日本古来の舞踊文化も取り入れて、日本ならではの特異な形を作り出し、大衆の支持を得ていた。しかしそれは、敗戦後の急激なアメリカの現代舞踊の流入という大きな渦に巻き込まれ、また『白鳥の湖』全幕日本初演によって引き起こされたバレエ・ブームにも圧倒されてしだいに勢いを失い、古臭いという不当な評価を与えられて、すでに半世紀以上の年月が経つ。
現代舞踊中部支部の新企画《モダンダンス エクステンション》は、かつて石井漠たちが独自に開発した、日本的な現代舞踊の復活を目指す動きとも、私には重なって見える。かつて名古屋には奥田敏子という現代舞踊作家がいて、地域の舞踊文化に大きな影響をもたらした。今回の中部支部の企画はその復活につながるものであり、日本人の心情になじみやすい現代舞踊の再生という大きな意義を持つものとして注目して行きたい。
《モダンダンス エクステンション》に来てくれた観客に、日本の現代舞踊のほんとうのおもしろさを知ってもらうために、なおいろいろの働きかけが行われることを期待したい。舞踊の専門家が、来場した観客ひとりひとりとダンスのおもしろさについて歓談するような場を作ってもよいのではあるまいか。(山野博大 2011/08/25 19:00 名古屋市千種文化小劇場)