August 25, 2011

永田千晴さん逝去

2011年8月19日、永田千晴さんが亡くなった。


1964年2月の《厚木凡人ダンス・リサイタル》(都市センターホール)で、『鼻糞の勝利』という作品を永田千晴、厚木凡人、若松美黄の3人で創り、踊ったこと、1965年5月の《BONJIN ダンスリサイタル》(厚生年金会館小ホール)で厚木凡人振付の『3人の対話による伝説的な情事』『高貴にして優雅なる典舞』などを、厚木凡人、折田克子、和田寿子、種子島良子、江川明といったトップクラスのダンサーたちと踊っていたことなどが懐かしく思い出される。
 1969年4月の《厚木凡人リサイタル》(虎ノ門ホール)では、厚木の代表作のひとつとなる『噛む』を、厚木凡人、有富幸子、亀ヶ谷環、種子島有紀子、平井あつ子、小川亜矢子、新井咲子、遠藤善久、渡辺元ら、名のあるダンサーたちに交って踊る。すでに彼女は、厚木作品になくてはならないダンサーとなっていたのだ。
 しかし1970年代に入ると、彼女の名前はどこにも現われなくなる。厚木凡人と結婚して舞踊界の一線を退いたからだ。その後、厚木三杏が生まれる。三杏は両親とは別の分野であるバレエを目指し、新国立劇場バレエ団のプリマとなる。その娘が同じ新国立劇場バレエ団の逸見智彦と職場結婚し、2009年5月、オデット/オディール=厚木三杏、王子=逸見智彦という夫婦のカップルによる『白鳥の湖』が実現する。2010年には、さらにボリス・エイフマン振付の『アンナ・カレーニナ』における厚木三杏の演技が高く評価されるという喜びも続いた。
 2010年8月の《日本大学芸術学部江古田キャンパス新設記念Ekoda de Dance 2010》の《since 1976=ポストモダン世代の舞踊家たち》(日大芸術学部江古田キャンパス中講堂)で、厚木凡人が久しぶりに『まどろみ』を踊った。彼は70歳をかなり過ぎていたにもかかわらず、からだをきちんと作り上げて舞台を務め、周囲を驚かせた。
 幸せな舞踊一家の生活がこのままずっと続くかに見えた。しかし永田さんは、それらのすばらしい記憶をしっかりと刻みこんで、逝ってしまった。惜しまれることだが、幸せな人だったと思う。
 永田千晴が引退してすでに40年以上になると思う。もう彼女の踊る姿を知っている人はほとんどいなくなってしまった。しかし、私の記憶の中には彼女の迫力十分な舞台の印象がしっかりと残っている。彼女は日本の洋舞にとってとても大事な人であったことをきちんと記録して、後に残さなければならない。
 地方の舞台を見歩いていたせいで、葬儀に出席することができなかった。とても心残りだ。心から冥福を祈る。(山野博大)



emiko0703 at 14:54レポート 
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