September 20, 2010
《EKODA de DANCE 2010 -日本大学芸術学部江古田キャンパス新設記念-》
江古田にある日大芸術学部のキャンパスの新設を記念して《EKODA de DANCE 2010》が行われた。
三つのプログラムの第1は「from 江古田=日芸から羽ばたいた舞踊家たち」。
まず舘形比呂一が、木村和男の構成・演出、湊ゆりかの振付による『MORIO』を踊った。エンターテイメントの舞台で活躍する舘形だが、それらしいところは少しも見せず、終始内面的な演技に徹し、精神的なものを追求した。
次は珍しいキノコ舞踊団の登場だった。伊藤千枝の構成・振付・出演、山田郷美、篠崎芽美、茶木真由美、梶原未由、白石明世の出演で、軽めのダンス・ナンバーを並べた『音楽と。』を上演した。いつものキノコ調だったが、マイクを握った伊藤千枝が出たとたんにパワー全開。客席を沸かせた。
最後は山海塾に所属する市原昭仁のソロ『L/R』だった。いかにも山海塾風に整えられた白塗りの肉体の微妙な動きは、学生の多い観客に舞踏の世界を垣間見させるものとなった。
日大芸術学部を出て、舞踊界で活躍する3人の競演は、日本の舞踊の広がりを若い学生たちにそのままフィードバックするものとなった。
プログラムの第2は「since 1975=ポストモダン世代の舞踊家たち」。1970年代にポストモダン・ダンスを標榜し、日本の舞踊界の改革を意図した3人が登場した。まず加藤みや子が1979年に初演した『あらべすく』を再演した。これは、畦地拓治制作の4枚の透明なアクリル板に波型を描いた衝立をそのまま舞台美術に使った、造形とダンスのコラボレーション作品だ。今回は片岡通人、神雄二、菊地尚子、むらやまマサコの4人が踊った。この内、片岡と神は初演時の出演者でもある。ちなみに初演を踊った二人の女性ダンサーは、江原朋子と小黒美樹子だった。
ポストモダンの出現によって、舞踊にやってはいけない制約はほとんど何もなくなった。それまでの日本のモダンダンスは、動きこそバレエの体系から離れて自由に創るようになっていたものの、登場するダンサーは、何者かに扮して、何かを表現するという枠内にとどまり、それがひとつの制約となった。ところが加藤みや子の『あらべすく』は、ダンサーが誰かに扮することなく、自分のままで舞台に現れ、自分の意のままに動いて、それまでの舞踊との間に一線を画すものだったのだ。ポストモダンの考え方がすっかり一般化してしまった今となっては、『あらべすく』のどこが新しいのかわからないという人もいるかもしれない。しかしその歴史的な意義を思い出す上で、意味のある再演だった。
次に《Ekoda de Dance 2010》でワークショップを担当したアメリカ人ダンサー、ジェシ・ザリットが、彼自身の創作した『BINDING』よりの抜粋を踊った。これは「since 1975=ポストモダン世代の舞踊家たち」のプログラムとは関係がない。今の時代のダンスを何の屈託もなくさらりと踊ってみせたという点では、他の日本人3人との年代的な開きを示す意味があったかもしれない。このソロにはすでに、ポストモダンの転換点を苦労して乗り越えた傷跡は何も見えない。当時を知るひとりとしては、30年という時の経過をまざまざと感じさせられた。
黒沢美香は派手な衣装をまとって新作の『燃ゆるキャデラック』を踊った。斎藤史の短歌「夏すこし痩せしこころに出でて買ふ盆花市の夜の桔梗を」と「きらめける柘榴ふくめば地の裏側にいま火点せるリオ・デ・ジャネイロ」の2首がパンフレットには示されていたが、彼女はこの歌を舞踊で表現したわけではない。かつて天才少女と称賛された頃の彼女の鮮やかな肉体のコントロールぶりがうかがえた。何かを巧みに表現することでコンクールの第1位に何度も輝いた黒沢美香は、1982年にアメリカに渡り、ポストモダンの洗礼を受けた。そして今、彼女はかつて身につけたはなやかな技術を、自分自身のためにのみ使って『燃ゆるキャデラック』を踊ったのだ。
最後は厚木凡人のソロ『まどろみ』だった。1936年生まれの彼は、しっかりとからだの状態を整えて登場した。その生真面目さは全盛時代と少しも変わらない。彼は、1966年にアメリカのジュリアード音楽院に留学し、ポストモダンの直前の状況から、その発端、そして過激な時期のすべてを身をもって体験し、自身その世界に身を投じ、日本のポストモダンの最先端を走った。ここでは助演に岡本矩子を使いながら、自身の肉体の今の状態を観客にさらしつつ『まどろみ』を踊った。しばらく舞台から遠ざかっていた彼が、再登場するためには、まず空白の時間をきちんと埋めておく必要があったのだと思う。そのあたりがずっと踊り続けて変化の過程をたどり、今の状態をしぜんに手にすることのできた黒沢美香、加藤みや子と違うところだ。何をやっても問題なしと舞踊のルールを変えたポストモダンだが、今の自分自身をそのまま出すために、厚木は「今」を創らなければならなかったのだろう。その真摯な姿勢はストレートに観客に伝わった。
プログラムの第3は「トライアルステージ」だった。これはワークショップの参加者、講師による即興中心の舞台『How We…』『ウィリアム・フォーサイスの“Vile Parody of Address”によるバリエーションとインプロビゼーション』、そしてダンス・フォーラム・タイペイの『GRACE』だった。
ワークショップ参加者が踊った前の2本は、どちらも参加者のレベルが高く、舞台作品としても充分に見られる水準に達していた。
台北の『GRACE』は島崎徹の振付。振付者がきちんと動きを積み上げたものを、ダンサーたちがしっかりとフォローして、複雑に交錯する動きの世界を作り上げた。ダンス・フォーラム・タイペイは、ピン・ヘンが1989年に創立した台湾を代表するダンス・カンパニーだ。海外公演も多い。
《Ekoda de Dance 2010》は、学校内のホールを使った、やや地味な感じのプログラムだったが、テーマの選択、出演者の人選にそれなりの特色があり、並行して行われたセミナーと共に、見て損のない《江古田キャンパス新設記念》の公演となった。(山野博大 2010/08/27 19:00, 31 19:00, 09/03 19:00 日大芸術学部江古田キャンパス中講堂)