May 10, 2010

舞踊公演案内(山野博大調べ)
◆この公演データは、新聞、雑誌等の報道、配布されたフライヤーの情報をはじめ、個人的に知り得たものなどを日付順に並べて、半月に1回の更新ペースでお届けするものです。
◆正確にお届けできるように心がけておりますが、時に誤入力が発生することがあります。
◆公演データご利用の際には、じゅうぶんご注意くださいますよう、お願いします。
◆なお、公演データが誤っていたことにより発生した損害等につきましては、弁償いたしかねますことを、あらかじめお断りしておきます。           (ダンス・タイムズ 山野博大)
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emiko0703 at 17:59公演情報
5月2−4日に渡ってジュニア1−3、シニアのクラシック部門とコンテンポラリー部門の予選が行われ、5日にクラシック部門の決戦が行われた。筆者は中学生に当たるジュニア2の決戦、女子のみを見た。(所用のため男子は見られなかったが、場当たりの様子を見た限りでは、これから楽しみなダンサーばかりだ)
中学生はトゥシューズに慣れ、高度な技術にも挑戦する年齢に当たるため、決戦参加者にはピルエット、イタリアン・フェッテ、ピケ、シェネなどの回転技術を楽々とこなす者が少なくない。続きを読む

inatan77 at 13:12舞台評

May 05, 2010

イスラエルを代表するダンスカンパニーのバットシェバ舞踊団が、2年ぶりに来日した。バットシェバの作品といえば、ダンサーのダイナミックな動きと何らかの“仕掛け”である。例えば『アナフェイズ』(1993年初演)では、黒のパンツスーツを着た20人程のダンサーが半円形に並べられたイスに順に乗ったり、倒れたりして、迫力あるウェーブをみせたかと思えば、衣装を脱いで中央にうず高く積み上げる。2005年初演の『テロファーザ』では、ダンサーをスクリーンに写し、そこから観客に話しかけ、観客も一緒に踊るよう促した。しかし、今回の『MAX マックス』は、そうした演出や装置、そして凝った衣装も一切排したミニマルな作品であった。

ダンサーが身にまとうのはタンクトップと短パンだけ。時折、赤と緑など数色の照明が同時にダンサーの体に投影されるのが面白い。使われる音楽は、呪術的に聞こえる力強い男性ボーカルのほかは、ファイヤーダンスのバックで演奏されるような規則的に延々と続くドラムの音や不思議な言葉を使って数をカウントする声ぐらいで、無音の場面も多い。音楽を担当したのは、作品のタイトルにもなっているマキシム(通称マックス)・ワラット。カウントに使われていた言葉はワラッティという世界で1500人程度しか話す人がいない特別な言語だという。

四肢の関節をフレックスさせ、舞台を踏みつけるなど力強く動いては、倒れる。芸術監督であり、振付を担当するオハッド・ナハリンがよく使うイディオムだ。音楽に引きずられずに、ものすごい集中力で自分の世界を作り上げるソロもいいが、見どころは群舞にあった。10人のダンサー全員がワイルドに、それぞれ異なる動きをするのだが、たとえ無音の場面であっても、アンサンブルが美しく、ピタリと決まる。ダンサーの強さとしなやかさを併せ持つ動きは、ナハリンが編み出した「緊張」と「脱力」に主眼を置いた“GAGA”というメソッドを習得している成果なのだろう。彼らの迫力に圧倒されつつその美しさに陶酔しながら、心地よい時間が過ぎていく。

ナハリンは舞台から余分なものを一切取り払って、ダンサーの身体、技術、そして振付そのものをみせることに集中し、それが成功した。観客はダンサーの筋肉の動きにまで見入り、彼らが倒れたり、体を叩いたりする音にまで聞き入った。バットシェバは見事に新境地を開拓した。 (吉田香 2010/04/17 15:00 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)




 



jpsplendor at 01:56舞台評

May 03, 2010

2010-2011シーズンから新国立劇場舞踊芸術監督に就任する予定の、デヴィッド・ビントレー振付による作品がひと足早く上演された。『カルミナ・ブラーナ』(カール・オルフ作曲、1995年初演)は既に、2005年に新国立劇場で上演されているのだが、筆者は見損ねていたため今回が初見。同時上演は、「ガラントゥリーズ」(モーツアルト作曲、1986年初演)。一般的に舞踊批評というのは作品の内容や出来栄えについて論じるものだが、今回は、それは控えめにして、劇場、バレエ団と新芸術監督の関係に焦点を当てたい。続きを読む

inatan77 at 14:05舞台評

May 02, 2010

バレエを教えるところなのに、そこの名称《新川崎シティアーツ》には「バレエ」の字が入っていない。ところが、そこでバレエを学ぶ子どもたちの数は、ゆうぽうとホールで発表会を2日もやれるほどというのだから、まったく驚いてしまう。主宰者は、かつて牧阿佐美バレヱ団で踊っていた押領司博子。
今回のメインのプログラムは『眠れる森の美女』より第3幕だった。オーロラ姫を踊ったのは日高有梨。初日は逸見智彦が、2日目は森田健太郎がフロリモンド王子を踊った。二人の日本を代表するダンスール・ノーブルを相手に、日高はじつにきまじめに役に取り組んでいた。彼女は細心の注意をはらってグラン・パ・ド・ドゥを踊った。男性と組まないバリエーションで、少し緊張が解けた以外は、指導の押領司の指示を忠実に守った。発表会はまず勉強の場なのだから、これでよいのだ。しかしそこから先の、一流クラスへのワンステップをどう踏み出すかが問題だ。バレリーナとしてものになるか、ならないかは、教えられたことをどれだけ自分のものとして出して行けるかにかかっている。内面的な気持の持ち方をはじめ見えない部分の充実を図り、ひとりの人間として見る者を惹きつけるバレリーナとして大成してくれることを期待する。ブルーバートを長瀬慎也と踊った新倉みか(17日は吉田浩子)、リラの精の尾形結実にも同様のことが言える。
客席には、牧阿佐美をはじめ、高木淑子、豊川美恵子ら、橘バレヱ学校系列のそうそうたる顔ぶれが居並んでいた。戦前のエリアナ・パヴロバ以来の日本のバレエ教育は、日本舞踊の師弟関係の方法を借りて、今の形に落ち着いてきた。すでに、大手バレエ団を頂点とするバレエ・スタジオの系列化が日本全国に及び、ダンサーの供給源として機能している。このスタジオをベースとした教育システムが日本バレエ界を形作っていると言ってもよい。しかし師弟関係中心で成り立つ日本の方式は、フランス、ロシア、イギリス、アメリカなどのやり方と大きく違うために、批判されることが多い。すべて上意下達でものごとが進められる中国などでは、国策として中央集権的にバレエ芸術の進展を図る先進国の方法をそのまま取り入れて、きわめて能率的にダンサーの供給を行っている。日本も早くそうした方式にした方がよいという意見があるけれども、スタジオの現場には届いていない。
日本の今のやり方がすべてだめというわけではない。日本の現実を見据えたバレエ教育の方式を考え出す必要がある。(山野博大 2010/04/18 15:00 ゆうぽうとホール)


emiko0703 at 13:05舞台評
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