舞台評

September 20, 2020


コンドルズが新作『ビューティフル・ドリーマー』を上演した。ライン・キューブ渋谷(渋谷公会堂)の大舞台でAプロ“シャングリラスペシャル”と、Bプロ“アルカディアスペシャル”の2公演をやったのだ。各プロの上演時間を約1時間としたのは、コロナ感染対策のためだったと思う。私は1人おきに指定された客席でBプロを見せてもらった。コンドルズの公演はいつも開幕前に、舞台前面に下ろしたスクリーンにテレビ番組のようなタイトル、スタッフ、キャスト、そしてコマーシャルを流す。スクリーンの白幕が落ちると全員の踊り。黒い学生服姿のメンバーを白い衣裳の近藤良平が颯爽とリード。

1996年創立のコンドルズは、全国各地の劇場で踊り続け、2005年3月、近藤良平振付・主演の『ジュピター』で、ついに渋谷公会堂の大舞台をわがものにしたのだった。20周年のNHKホールをはじめ、海外の舞台など多くの公演を積み重ねて、コンドルズが新装のライン・キューブ渋谷(渋谷公会堂)に戻ってきたのは、コロナ感染騒動真っただ中の2020年。15年ぶりだった。

いつものように、コント、人形劇などを交えたバラエティー風の舞台を、時に観客を取り込んだりして手際よく進める。その間にダンスが入ってくるのだが、全体の技術水準が、創立当時とは格段に上がっているので、踊りそのものを見たいという観客の要求にも十分に応えられる。それをリードする近藤良平はさらに別格の存在。彼は、1995年頃から野和田恵里花、山崎広太、笠井叡、木佐貫邦子、伊藤キム、川野眞子、平山素子、井手茂太、黒田育世といった個性豊かな舞踊家たちと舞台を共にして自分自身を磨いてきた。しかし彼は、強い体幹を生かしたシャープな動きで自分の踊りを貫き、他の舞踊家の影響をあまり受けていない。終り近くに、学生服姿の近藤の長めのソロが用意されていた。52歳になる彼の踊りは、今回もコンドルズの中心にあってひときわ輝いた。近藤良平の演出・振付・主演、石淵聡、オクダサトシ、勝山康晴、香取直登、鎌倉道彦、黒須育海、古賀剛、小林顕作、ジトク、スズキ拓朗、田中たつろう、橋爪利博、藤田善宏、安田有吾、山本光二郎の出演、勝山康晴の制作で、コロナ感染予防で厳重警戒下の渋谷の大舞台に戻ってきたコンドルズに、多くのファンが熱い声援を送り続け、カーテンコールを繰り返した。

[山野博大 2020/9/5 ライン・キューブ渋谷(渋谷公会堂)]

jpsplendor at 15:17

勅使川原三郎+KARASの《アップデイトダンスシリーズ》が8年目に入った。今回はロード・ダンセイニの幻想小説『妖精族の娘』の舞踊化だった。この短編は、死と無関係に生き続ける妖精族の世界のある出来事を描く。彼らは、自然の造形の美しさに対して、人間のように敏感な反応を示すことがないという設定で物語は進行する。その妖精族のひとりの娘が、死によって必ず最後を迎える人間ならではの得難い心のときめきを感じてみたいと願うところから、話は始まる。中央に光の筋が揺れ動くオープニング。しだいに妖精族の娘役の佐東利穂子の姿が見えてくる。暗い舞台の床には白い円形の板があちこちに置かれている。それにサスペンション・ライトをあてて鮮やかな明暗の対比を作り出す。前方に紗幕を下ろした舞台で、朗読、音響と共にダンスが進む。ほとんどが白いドレス姿の佐東のソロで、黒いスーツ姿の勅使川原が物語の流れに応じて、さまざまな役割を受け持った。

娘は人間のように自然の美しさを体験してみたいと願うのだが、そのためには魂を持たなければならない。娘の希望を叶えてやろうと妖精族の大人たちが、自然界のいろいろなものを組み合わせて魂を作り上げる。娘がそれを左胸の少し上のあたりに埋め込むと、人間の感性が芽生える。嬉しそうに踊る妖精族の娘。人間のように、繊細な自然の美しさを楽しんだのだが……。魂を身体から取り出して、元の姿にもどりたいともがく娘を見せて作品は終わる。人間が必ず死ぬ存在であることの意味が伝わった。舞台床の白い円形にライトをあてて場面を組み上げた妖精族の世界が、紗幕の向こう側に広がっていた。そこを佐東が圧倒的な迫力で駆け抜けた。

終演後のトークで、今回の『妖精族…』と前回の『タルホ』で紗幕を使ったのは、コロナ対策だったことが判った。誰もが死を身近に感じる最近の状況下での『妖精族の娘』上演は、死ななければならない人間が、その代償として得ているものの「大切さ」を考えさせる舞台だった。

(山野博大 2020/8/24 カラス・アパラタス)

jpsplendor at 14:04

August 30, 2020


新国立劇場バレエ団《こどものためのバレエ劇場 2020》で上演された森山開次振付『竜宮』が、2012年から芸術監督をやってきた大原永子の最後の公演となった。《こどものためのバレエ劇場》は、2009年4月の『しらゆき姫』が最初だった。これは小倉佐知子の振付を牧阿佐美が監修したもの。台詞入りでストーリーを進め、子供たちにバレエという舞台芸術の最初の一歩を気軽に踏み出させようという意図が込められていた。新国立劇場バレエ研修所で上演したものを仕立て直し、芝居部分を三輪えり花が、ダンス部分を小倉が作った。ヨハン・シュトラウスの音楽を巧みに使いまわして楽しさを盛り上げた福田一雄の働きもあった。

大原は、2012年7月に小倉佐知子振付、牧阿佐美監修『シンデレラ』で、この子供向けの企画を引き継ぐ。オリジナルを大幅に短縮し、ぬいぐるみが登場したりするこの作品は、新国立劇場ばかりか日本各地でも上演されるヒット作となった。大原は、好評だった『しらゆき姫』を2014年にオペラパレスの大舞台で再演する。さらに2015年には『シンデレラ』も再演し、2016年には大原自身が振付を担当して子供向けの『白鳥の湖』を新制作する。子供に分かりやすいように各幕の冒頭にナレーションを入れ、飽きないようにあちこちをはしょって全体を短くした。しかし見せ場となるダンス・シーンはしっかりと残し、名作の全体像を損なうことはなかった(台本改訂=佐藤弥生子)。

大原は、2017年にも『しらゆき姫』を再演し、日本各地の大劇場でも上演する。そして今回の《こどものためのバレエ劇場》は、森山開次振付の新作『竜宮』だった。これまで上演してきた『しらゆき姫』『シンデレラ』『白鳥の湖』は、いずれもクラシック・バレエの入門編という位置づけだったが、『竜宮』にはコンテンポラリー分野の森山を振付に起用した。

森山開次は、2000年、山崎広太作品のダンサーとして登場する。当時、彼は26歳。2001年に、アサヒ・アートスクエアで自作の『夕鶴』を踊り、和風のテーマで舞台を創るコンテンポラリー・ダンサーとして注目される。

2003年9月の《新国立劇場ダンスプラネット》ダンスコンサート“舞姫と牧神達の午後”で、加賀谷香と組み『弱法師』を踊る。このコンサートは、当時の現代舞踊界の注目株だった蘭このみ・清水典人、平山素子・能美健志、内田香・古賀豊、軽部裕美・島地保武という男女ダンサーのデュエットを並べたプログラムだった。彼はその一角を占めたのだ。以後《ダンスプラネット》の常連となり、さらにミュージカル、演劇、新作能から、ファッション・ショーのアトラクションなどへ、活動の領域を広げて行く。

2009年2月、《ダンスプラネット》“森山開次作品集”で『弱法師 花想観』『OKINA』『狂ひそうろふ』を、2012年10月、《新国立劇場2012/2013シーズンダンスオープニング:森山開次》“曼荼羅の宇宙”で『書』『虚空』を、2015年6月、《新国立劇場2014〜2015シーズンダンス:森山開次》で『サーカス』を上演するうちに、彼の和の感覚を盛り込んだ振付は、新国立劇場のダンス部門で重要な地位を占めていた。

また彼は、セルリアンタワー能楽堂《伝統と創造シリーズ》の『Shakkyou』、アーキタンツ公演の『HAGOROMO』、KAAT神奈川芸術劇場の『不思議の国のアリス』など、各方面の創造的な舞台で、児玉北斗、平山素子、近藤良平、田中泯、大島早紀子、宇野萬、小野寺修二、津村禮次郎、酒井はな、白井晃といった日本の舞踊界の多彩な才能と出会う。そこで得た手法を自分の個人リサイタルで試し、踊りの幅を広げた。そして2013年、芸術選奨文部科学大臣賞・新人賞、松山バレエ団顕彰・芸術奨励賞を同時受賞する。40歳だった。

『竜宮』は、《こどものためのバレエ劇場》でコンテンポラリー系統の振付者による最初の作品となった。森山の、新国立劇場ダンス部門での評価が高かったので、当然の成り行きとも考えられる。しかし、大原は芸術監督としての最後の舞台にバレエ以外の彼を使ったのだ。スタッフとして、振付補佐に湯川麻美子、貝川鐵夫という《こどものためのバレエ劇場》に最初から関わっていたベテラン二人を据えた。新国立劇場バレエ団は、バレエ・マスターに陳秀介、バレエ・ミストレスに遠藤睦子、プリンシパル・ソリスト・コーチに菅野英男という常任のスタッフをそろえている。そればかりか、大原自身がバレエの世界を長く生きてきた大ベテランなのだ。『竜宮』で森山がはたしてどこまで自分を出すことができるのかが心配になる布陣だった。

和風の舞台に紋付羽織姿の時の案内人(貝川鐵夫)が登場し、この作品の大事なポイントが時間であることを観客に知らせる。彼は舞台の進行役だった。舞台は型通りに、浦島太郎(渡邊峻郁)が島の子どもたちにいじめられている亀を助けるところから始まる。竜宮城のプリンセスだった亀(木村優里)は、浦島を海底の御殿に誘う。接待係のフグ(奥田花純、五月女遙)、用心棒のサメ(井澤駿、福田圭吾)、女将のタイ(本島美和)、大勢の舞妓の金魚などの魚たちが舞い踊る。ダンサーたちの動きは、ほぼバレエ仕様で進むが、森山は美術、衣裳、演技、照明、プロジェクション・マッピング、音響などの技法を使いこなして自分のペースを守った。多彩な経験が生きていた。

夢のような時間の経過。しかし御殿で故郷の四季に想いをはせた浦島は、家に戻りたくなってしまう。浜辺にたどりついた浦島。長い時間が経っていた。玉手箱を開けた浦島は、突然老人に…。しかしこのバレエはハッピーエンドで締めくくられた。森山は、子ども向けの作品であることを忘れていなかった。『竜宮』は、新国立劇場の特級の人材を、森山がさまざまな出会いで身につけた手法を駆使して仕上げた、特製の《こどものためのバレエ》だった。

(山野博大 2020/7/25 新国立劇場 オペラパレス)

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July 24, 2020


シアターΧ(芸術監督/プロデューサー=上田美佐子)主催の《国際舞台芸術祭(IDTF)2020》で藤田佳代舞踊研究所の『この子が無事に帰るまで』(作舞=菊本千永)と江原朋子の『ムシ to be continued』を見た。他に劇舎カナリアによる『ムシムシメヅルシ-Bye o! Hi story』(作=山崎永莉、演出=山本健翔)も上演されたが、舞踊分野の2本のみ、見たままを記す。

シアターΧの《国際舞台芸術祭(IDTF)》は、2年ごとの開催で14回目。毎回、実行委員会がメイン・テーマを設定し、参加者はそれに沿った創作を上演する。今回のテーマは「蟲愛づる姫と BIOhistory=生きものの物語」だった。
 
藤田佳代舞踊研究所に所属する菊本千永作舞の『この子…』から始まった。「この子」をとり囲んで白装束の3人が踊る。「この子」はハンチングを被った反抗的な身振りの少年だ。外の世界に遊び自分を試そうと、舞台を降りて客席の通路で踊る。舞台で踊る白衣の3人にも、それぞれにソロを割り振り、動きのつながりも綿密に作って、確固とした生活空間があることを示す。疲れ果てた「この子」が「無事に帰り」横たわる。それを白衣の3人がとり囲むところで作品は終わる。菊本作品は、どこにでもある少年の放浪を受け止める強靭な社会の仕組みを描いたもの。少年と白衣の3人のていねいに作り込まれた動きの流れ、日本の神社の巫女を思わせる白衣の衣裳デザインの巧みさなどがひとつになり、格式を感じさせる佳作が出現した。師匠であり、母である藤田佳代を通じて法喜聖二、法喜晶子ら関西現代舞踊界の本流に連なる菊本の作品は、時間をかけて自らの世界を練り上げた佳作だ。

江原朋子の『ムシ to be continued』は、人類よりもずっと長い歴史をたどる「ムシ」の生態を描いたもの。ゆるやかな動きをさまざまにつないだ踊りが続く。7人の群舞のひとりひとりに動きを任せたように見える無統制な動きの連鎖は、虫たちが無秩序に繰り広げた盛衰史を思わせる。その混沌に乗って江原が何度も登場し、彼女ならではの踊りを披露した。若くして三条万里子、厚木凡人ら海外の舞踊動向に敏感な舞踊家たちの影響を強く受けた江原は、自らも海外に進出して舞踊の最先端に接し、その後も異色の舞踊家たちと舞台を共にして、独自の領域を探り続けてきた。『ムシ…』は、その末にたどり着いた世界なのだ。江原は2011年の舞踊作家協会公演で『虫めづる姫君たち』を踊っている。彼女のあでやかなソロは、それにつながるもの…。

日本の現代舞踊の歴史を引き継ぐ正統派、菊本千永の『この子…』、今の時代の野放図さを象徴するような緩やかな作りの、江原朋子の『ムシ…』という、対照的な佳作が並んだ。

(山野博大 2020/7/11 シアターΧ)

jpsplendor at 14:15

July 20, 2020


史上初の緊急事態宣言が出され、舞台公演の中止が相次いだ2020年4月に嬉しいニュースが舞い込んだ。中止と思われていた《上野の森バレエホリデイ》がオンラインで開催されるというのだ。《上野の森バレエホリデイ》は、2017年に始まって以来、ゴールデンウィークの輝く太陽のもと、大勢の人が東京文化会館に集まり、拍手や子供達の歓声が入り混じる中、様々な催しが行われていた。果たしてオンラインではどうなるのかと、期待と同時に不安を抱きつつパソコンの前に座ったが、蓋を開けてみれば、世界中のダンサーがキャスティングされ、短い準備期間でよくぞここまでと感心するほど多彩なラインアップだった。公式ホームページによると、4月25日から29日までの6日間のサイト訪問者は15万6千人、訪問回数は27万9千回、動画視聴回数の合計は37万回。リクエストに応えて5月6日まで延長されたプログラムも含めると、サイト訪問者は16万9千人、動画の視聴回数は実に53万2千回にもなったそうだ。

日本のカンパニー(井上バレエ団、貞松・浜田バレエ団、東京シティ・バレエ団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 、東京バレエ団、Noism1、牧阿佐美バレエ団)による過去の舞台映像、東京バレエ団の海外ツアーに密着したドキュメンタリー、ダンサー同士の対談、スターダンサーへのライブインタビュー、ダンサー達によるレッスン、SNSと連動した視聴者参加型のダンスの企画やダンサーをスケッチする企画等々、全てには目を通せないほど多数の動画が公開されていた。その中でもコロナ禍の今を体現しているものや印象に残るものをメインにレポートし、この危機を乗り越えた後に「オンラインで開催されたこともあったなあ」と振り返れるよう記録に残しておきたい。

まず、今だから、遠隔だから、これだけ豪華に実現できた企画として、ダンサー同士の対談《ダンサー・クロストーク》と《ライブインタビュー》があった。二人のうち一人はモニターでの遠隔出演。どの回においても、外出自粛という初めての事態にダンサーとしてどう向き合っているかが話題になり、舞台に立てる、仲間とレッスンができるという日常はかけがえのないものだったという思いが吐露された。そして、自分に向き合える良い機会と捉えているというポジティブな意見も多く聞かれた。

《ダンサー・クロストーク》

以下の8組で対談が行われた。※五十音順
・秋元康臣(東京バレエ団 プリンシパル)× 柄本弾(東京バレエ団 プリンシパル)
・秋元康臣 × 福岡雄大 (新国立劇場バレエ団 プリンシパル)
・池本祥真 (東京バレエ団 ファーストソリスト)× 高田茜 (英国ロイヤル・バレエ団 プリンシパル)
・上野水香 (東京バレエ団 プリンシパル)×小野絢子(新国立劇場バレエ団 プリンシパル)
・上野水香×高田茜
・上野水香×町田樹(慶應義塾大学・法政大学 非常勤講師/元フィギュアスケート日本代表)
・高田茜×山本康介 (元英国バーミンガム・ロイヤルバレエ団 ファーストソリスト)
・柄本弾×八幡顕光(ロサンゼルス・バレエ団 ゲストプリンシパル)

◆秋元康臣×柄本弾

同じバレエ団に所属しながらレッスンも公演もない状況下で、対談は「久しぶり〜」からスタートした。器用に話をリードしていく柄本に対し、終始恥ずかしそうで、初々しさの残る秋元。初めて踊った役は「リス」、「隣で踊る女の子に5番ポジションを直された」と、幼い頃の記憶が鮮明な秋元に比べ、初めて観たバレエも初めて踊った役も「全く覚えていない」と、あっけらかんと話す柄本が、好対照で可笑しい。幸せを感じた演目は、秋元は『白鳥の湖』、柄本は『ボレロ』と二人とも予想通りの回答。秋元にとって、ロシアのバレエ団ではようやく踊れた作品であり、東京バレエ団の初の主役が『白鳥の湖』だった。たしかに東京バレエ団での彼のデビューは鮮烈であった。柄本がメロディ役でデビューした『ボレロ』は、横浜の屋外ステージで、雨が降りだし、赤い円卓の舞台が濡れている中で行われ、筆者もその状況をよく覚えているが(http://www.dance-times.com/archives/4949923.html)、本人も「滑るし、泣きそうだった」と回想した。舞台上での女性のサポートについての話になると、柄本が「特に本番では、良い意味で相手を信用し過ぎない。失敗する可能性を頭の片隅に入れながら、視野を広く持って臨む」と言うと、秋元が感心したように「さすがの包容力です」と反応。対して柄本は「褒めて頂いて、ありがとうございます!」と両手を広げる。柄本によると、バレエ団には秋元のファンが嫉妬するぐらい多く、秋元はクールなのに喋ると面白いという、一番ずるいパターンだそうだ。終始、仲の良さが伝わり、ほのぼのとした対談であった。

◆秋元康臣×福岡雄大

大阪のガラで出会った当初から、秋元は福岡を「完璧」と思っていると明かし、主に秋元が福岡に質問する形で進んだ。バレエを始めた時にはすでに小学3年生で、ぽっちゃり体形だった為、可愛い時代はなく、先生に「痩せなさい」と言われていたこと、コンクールは辛かった思い出しかないこと、スイスのチューリッヒ・バレエに留学した際は、はじめは英語ができなくて引きこもっていたが、当時バーミンガム・ロイヤルに留学していた福田圭吾と会うのが楽しくて、太ってしまったこと等々、福岡は、華々しい経歴にも関わらず、それを美化することなく、淡々と明け透けに話すのが面白い。筋力の維持について聞かれると、福岡は、根底にあるのはクラス、そしてリハーサルをきちんとすること、そして、例えば『マノン』の場合には、半年前から、ふくらはぎを鍛えようとか、ルルベを強くしようとか、パートナーとのバランスも考えて早めに対策をしておくと言い、プロ意識の高さがうかがわれた。秋元が「どこかが痛いと、僕はコントロールと言って休んでしまう。でも練習しておきたい。そのせめぎあいです」と告白すると福岡は「それは永遠の課題。正解は分からない。重症化させないのが大事」と返した。コンテンポラリーとクラシックにおける身体の使い分けについて聞かれると、福岡は、クラスから変えていくが、コンテの後のバレエは難しく「スイッチで変えられたらいいのに」と表現した。最後は、こんな時だからこそ、いつもは忙しい二人が対談できて良かったと締めくくった。

◆池本祥真×高田茜

同時期にボリショイ・バレエアカデミーに在籍していた二人。クラスが異なり、お互いに人見知りだった為、在籍時にはほとんど話したことがなかったそうだ。今回も二人ともはじめは緊張していたが、ロシアの思い出で盛り上がり、打ち解けていった。途中で、二人がアカデミーで踊った『パリの炎』のパ・ド・ドゥの秘蔵映像が流されるという嬉しいサプライズもあった。池本は、舞台上でのキリリとした佇まいとは異なり、シャイで、おっとりしている。対して高田には、いつもとは違って、しっかり者の一面が見られ、対談は、高田がリードする形で行われた。ボリショイ・バレエ団の元ファースト・ソリストの岩田守弘による講習会に参加したのをきっかけにボリショイ・アカデミーに入った池本は、はじめは言葉の違いに苦労し、緊張してバーを握りしめ、手にマメができてしまったと言う。高田は、バレエに加えて、キャラクター、ジャズ、宮廷舞踊と踊り漬けの毎日、そして、音楽史もバレエ史も学べる環境が本当に楽しかったと振り返る。また、食中毒が発生し、食堂で食べた子は学校の中の小さな病院に入院することになり、彼女もその一人だったことを明かして、懐かしそうに笑った。池本は、卒業後に国立バレエ・モスクワに入団。同級生が一緒だったこともあり、戸惑いはなかった。むしろ、日本に帰ってから最初に入団したバレエ団はロイヤル・スタイルだったため、池本はロシア的過ぎると言われ、あまり活躍の場がなく、プロは求められているものをきちんと見極めないといけないことを学んだと言う。一方の高田は、ローザンヌでの入賞をきっかけに、アカデミーを卒業することなくプロになることを選び、英国のロイヤル・バレエ団に入った。ロシアで伸び伸びと学生生活を送っていたのが一変し、プロになると自己管理をしっかりしなくてはならず、演目も多くて覚えることに必死、そして言葉が大変だった。2年間ロシアにいた為に「イギリスにいるのにロシア語で返事をする変な日本人になっちゃった」と笑った。初めてホームシックになったという。それぞれの苦悩の時を経て、充実の時を迎えている同年代の二人。満を持して対談の機会を持てたことを喜んでいた。

◆上野水香×小野絢子

「おうちでバレエしてますか?」との上野の問いかけに小野は「してます。今、流行りなんで」と答える。真っすぐに熱く語る上野に対して、小野は照れくさそうに少しはぐらかしながら、飄々と話すのが好対照だ。二人とも舞台が無い期間というのは久しぶりだが、一人で自分に向き合い、見直す機会になっており、悪くないと感じているそうだ。自宅等の小さな空間で自分の身体や動きを細かく見ていると、大きな空間では見過ごしていた悪い癖が目に付くと言う。上野が、小野には変なところがないから、同じように感じているのは意外だと話し、上野のプロデュースしたガラ公演に小野と福岡が参加した際のエピソードを紹介した。上野が二人の踊りを完璧だと見ていたのに、袖に入るや否や二人でずっと問題点について打ち合わせをしている姿に、ここまで突き詰めるからこそなせる緻密な踊りなのだと衝撃を受けたそうだ。一方、小野は上野に対し、白のレオタード一枚のようなシンプルな衣装で踊っていても、後ろにいつもダリアの花が咲いているようで、輪郭がくっきりとして匂い立つような踊りをすると感じていると言う。上野が「皆で集まってレッスンして、作品を作っていたのがどれだけ奇跡だったのかと思う。私生活で嫌なことがあっても、バレエ団に行ってレッスンすれば忘れられる」と話すと、小野がすかさず「忘れますか?」と反応したのには笑った。一点集中型で他は忘れてしまうのが、悪いところでもあると言う上野に対し、小野は、周りを見過ぎてしまい「集中して!」と言われるそうだ。「それだけ気遣いしつつ、プリマを続けているって強靭ですね」と指摘されると、「周りがどうにか扱ってくれているんです」と小野。そして上野も「私もそれはそうです」と微笑んだ。好きなバレエ音楽を聞かれると、小野は、難しくて選べないとしながらも、ストラビンスキー、そして、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』を挙げた。彼女を見出したデヴィッド・ビントレーが振付で、ビントレーは音へのこだわりが強くて大変だった。どの作品でも不可能と思われる課題を毎回与えられている感じだったと振り返る。上野は、彼女を見出したローラン・プティに同じことを感じており「こんなことできない」と思っても実際に踊ってみると自分にマッチしていて、評判も良く、こんな自分もいたのだと気づかされた。そういう出会いは貴重だと語った。日本を代表するプリマ二人の素の部分が垣間見られる対談だった。

◆上野水香×高田茜

本番に向けての意識の高め方について、高田は、英国ロイヤル・バレエ団では、カンパニー専属のサイコロジストにイメージトレーニングを習っているとのこと。過去にスタジオと舞台での感覚の違いに悩んでおり、舞台では身体のコントロールが思うように効かなかったことがあったが、スタジオで稽古中に舞台にいる自分を想像するトレーニングをするようになって、舞台上で楽になり、練習と同じことが本番でできるようになった。メンタルの大切さを痛感し、スタジオでの練習から、床を感じながらやっていくとうまく行くということも学んだと言う。トウシューズに話題が移ると、上野が「縫っている糸1本で変わるし、作品や幕によって使い分けている。トウシューズは永遠の課題」という言葉にプロとはそういうものかと感心した。どの作品が体力的にきついかという話では、パ・ド・ドゥだけで言うと二人とも『くるみ割り人形』で一致。バリエーションからコーダ、特にバリエーション後半のパ・ドュ・シャが辛いと本音を漏らした。スターダンサーの二人でもやっぱりここは辛いのだなと、深くうなずいた。

◆上野水香×町田樹

バレエとフィギュアスケートの第一人者が、それぞれの踊りに最も大切な「音楽」について深く語り合った。町田の何事も突き詰める姿勢に圧倒されながらも、上野の考えがどんどん引き出される形で対談が進んだ。町田は現在、高岸直樹にバレエを習っており、フィギュアスケートは音のダイナミズムを表現するのに対し、バレエは顕微鏡でミクロの世界を覗くような、細かい音の息遣いまで表現すると感じている。そのダイナミズムと繊細さを融合できたからこそ、自分の世界が創れたと言う。町田は、尊敬している人としてマリインスキー劇場の指揮者ワレリー・ゲルギエフを挙げ、彼は通常はタクトを持たず、指1本1本で指揮をして、色々な楽器から出る周波数を指で表現し、統御していく。指先で踊っている、その指先の繊細さがバレエに通じると語った。「バレエをしていると指先で空気を触っているようで、空気の抵抗に敏感になり、感覚が研ぎ澄まされていく」と表現すると、上野から思わず「私が、なんとなく感じていたことを言葉にしてくださった」と感嘆の声が漏れた。フィギュアスケートには古典がなく、オーダーメイドで作って、それをシーズン通して踊り込んでいくが、町田が上野のホームページを見て、レパートリーを数えたら54作品もあって驚いたことを告白すると、数えているのが町田らしく、笑いを誘った。そのレパートリーの殆どは踊り継がれてきた作品だが、そこではどのようにして自身の個性を出すのかという質問に対して、上野の答えは「間(ま)」だった。音符と音符の間の無の瞬間をどうアーティストが捉えているかによって、個性が出る。音と振りが決まっているところは同じでもその「間」にその人が見えると言う。町田のパフォーマンスを見た上野が、音楽に対して敏感で、ジャンプから着地の音まで決めているのに感銘を受けたと伝えると、町田は、モットーは音楽を視覚化すること。そしてシンフォニックな要素に、思想や感情も入れたいので、一つの動作の必然性を考える。だから、ジャンプの着地まで計算している。音楽に合うとテクニックも成功しやすいという面があると明かした。他にもベジャールとプティなど振付家と音楽の話や家でのトレーニングの様子など、話は尽きない。分野は違えど、互いの踊りや音楽に対する姿勢を知り、良いところを取り入れようとする姿勢が印象的だった。

◆高田茜×山本康介

イギリスからの帰国後の隔離期間を経て久しぶりに外出した高田に対し、帰ってきた姿を見てホッとしていると、山本が声を掛ける。山本はロイヤル・バレエの平野亮一と仲が良く、その関係で、自身を人見知りと言う高田は、気さくに声を掛けてくれる山本に感謝していると言う。高田の所属するロイヤル・バレエと山本が所属していたバーミンガム・ロイヤルバレエは姉妹関係にあり、カンパニー間での移動も多い。ロイヤルの監督であるケヴィン・オヘアもバーミンガム出身であるし、ロイヤルに移ったアレクサンダー・キャンベルもウィリアム・ブレイスウェルもそうだが、バーミンガムは気さくで優しい人が多いイメージだと高田が語る。山本の場合は、ロンドンにいた親戚経由で資料を取り寄せ、国際郵便で手書きの願書を送り「頼もう!」とドアを叩いて入学した感じで、 ローザンヌでの入賞を機にイギリスに渡った高田に比べ、アンティークな手法だったと笑う。ダンサーからどのように次のキャリアに移ったのかという質問に対し、山本は、バーミンガムでは自分で求めた以上に王子を含め全ての役をさせてもらい、達成感があった。また、日本に住んでみたいという気持ちが強くなり、若くてパワーがあるうちに次のステップに行く準備をしたほうが良いと思うようになった。イギリスでは、ダンサーの次のキャリアについてサポートする体制がしっかりしており、講習会に参加してみてやはり、イギリスのバレエと日本をつなぐことをやってみたいと、10年ぐらい前から思うようになった。今、こうしてお話しができる環境にいられて嬉しいと話すと、高田も同じように、日英の懸け橋になって行きたいと明かした。最後に、今の状況でモチベーションをどう保っているか聞かれると、高田は、好きな役を一つ決めて、「一人バレエ」をしている。子供の頃から行っているので、これが原点だとはにかんだ。山本は、ストレスをためる期間じゃなく、踊りたい気持ちを育てる期間だと思って、「一人バレエ」でもなんでもして、頑張って行こうと結んだ。

◆柄本弾×八幡顕光

12年以上前に初めて会った二人。当時の印象は、柄本については「少年」、八幡に対しては、憧れのダンサーであり、テクニックの切れが素晴らしく、なんでも100%というイメージだったと言う。八幡は、自身について、体力的にそれほど衰えているとは思わないが、最近はコントロールしていかないといけないと感じていて、昔より無駄な力が抜けたと言う。柄本が、数年前に足首を痛めて手術をしたことで、ジャンプが今迄通りにはできなくなったり、調子が悪い日が多くなったりしたのを機に、踊り方を変えないといけないと思うようになったと告白したのに対し「痛みが出るというのは、自分を見つめ直すきっかけになる」と八幡が返した。お互いに観てみたい役を聞かれると、八幡は、今迄あまり観る機会がなかったから、改めて、柄本によるベジャール作品を観てみたいと言い、柄本は八幡のブロンズ・アイドル(『ラ・バヤデール』)を挙げた。八幡は、東京バレエ団のマカロワ版は、3幕がブロンズ・アイドルが座っているところから始まっていて、憧れている。ただ、金粉を塗っているとヌルヌルしてウォーミングアップが儘ならないし、転ぶと床に付いてしまうから、実際は大変だと笑った。ダンサー冥利に尽きると思った瞬間については、八幡は、やはり『アラジン』の初演で主演したことと答えた。一から作らせてもらえたし、小柄なダンサーが全幕物の主役を踊る機会になったことで、格別な思いだったそうだ。柄本もバレエ団の初演の主役に選んでもらえるのは、バレエをやっていて良かったと思う瞬間と言う。マッツ・エックの『カルメン』でシルヴィ・ギエムがカルメン、柄本がエスミリオを踊った折には、スウェーデンに一緒に行き、エック夫妻を尋ねたことがあった。とても緊張して、ギエムに対して、エック独特の振付(お腹を蹴ったり、顔をベチョっと触ったり)をどこまでしていいのか葛藤があったが、あれこそダンサー冥利に尽きる経験だったと振り返った。

《ライブインタビュー》

バレエ専門WEBメディア「バレエチャンネル」提供で、編集長の阿部さや子がゲストアーティスト4人に1対1でそれぞれ約1時間のインタビューを行った。視聴者からの質問がたくさん寄せられ、基本はそれに答える形で進んだ。

◆飯島望未(ヒューストン・バレエ団 プリンシパル)

所属するヒューストン・バレエ団の拠点、アメリカはテキサス州ヒューストンからの参加。プリンシパルに登り詰め、そのステータスを維持し続けるには、当然、並々ならぬ努力があるのだろうが、ストイックさを表に出さず、言われなければバレリーナとは思えない、おしゃれな今どきの若者という話しぶりだ。15歳で単身渡米した際にもホームシックはなし。マイムでは、バレエバレエしないように、日常生活のおしゃべりの延長のように、現代の人に伝わることを重視していると言う。メイクは、特にストーリーを伝えるような作品の場合には、薄目に、ナチュラルに。マメなどができないので、トウシューズはパット等は使わずに素足で履く。食生活を聞かれると、朝、昼はコーヒーのみだから参考にならないと笑う。技術的なことを問われると、自身は説明が下手だからと、仲良しのマリインスキー・バレエの石井久美子の動画を薦めた。日々のレッスンにおいて辛い時の乗り越え方を問われると、自分は感情の起伏が激しいが、それを敢えてコントロールしようとしない。辛いものは辛いし、落ち込むときは落ち込む。でもやるしかないと言い聞かせて誠実に続けて行けば、必ず見えてくるし、気付くことがあると回答。すると、インタビュアーの阿部が「本当に素直で真実しか言わない方だと、以前にインタビューした時にも感じました。それが舞台での魅力になっていると思います」と返した。モデルやファッションアイコンとしても活躍するだけあって「バレエ」という分野に縛られず、しなやかに、自分を取り繕うことなく進み続ける姿が垣間見られた。

◆オニール八菜(パリ・オペラ座バレエ団 プルミエールダンスーズ)

光差し込むパリの自宅から中継。飼っているのだろうか、鳥のさえずりが聞こえる和やかな雰囲気の中、インタビューが進んだ。ルームシェアしており、3食を自炊しながら、ルームメートとあれこれ話して過ごしていると言う。大切にしている言葉は「我慢」。日本のおばあちゃんから教わった言葉で、オペラ座の正団員になるまでは、まさに我慢の2年間だった。入ってからはトントン拍子で、昇進。しかし、プルミエールダンスーズになって、いきなりストップした感じがした。さらにケガで全然踊れなかった6カ月を経て、今年2月の日本公演ぐらいから、コントロールできない緊張がなくなり、やっと大人になったと感じて、バレエが何倍も楽しくなって来た矢先のこの外出制限。オペラ座が閉鎖されたのは初めてのことで、それはショックだった。しかし、ケガをして休養しているときには「どうして自分だけ?」と思ってしまうが、今は皆が同じ状況なので、ポジティブに捉えて、自宅でレッスンしていると言う。オペラ座の正団員になるための試験は、バーからセンター、最後にバリエーションと続くが、途中で落とされていく。また、オペラ座内での昇進試験では、決められたバリエーションを二つ踊り、自分で選んだバリエーションも二つ踊る。回転で軸を中心に保たなくてもよかったり、前に出てくるジャンプがしやすかったり、オペラ座の傾斜のあるステージが大好きで、特に『パキータ』や『ラ・シルフィード』はオペラ座で作られたから踊りやすいと言う。オペラ座の団員ならではの貴重な話も披露された。

◆金森穣(りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 舞踊部門芸術監督/ Noism 芸術監督)

Noismの本拠地である新潟からの出演。2018年の《上野の森バレエホリデイ》に参加し、東京文化会館の小ホールで公演を行った際の思い出話から始まった。金森本人がケガをしていたり、劇場が狭くて不安だったりしたが、ベジャールの没後10年で彼へのオマージュ作品、ベジャールと言えば東京文化会館ということで決行した。ベジャールのカンパニーには10代の頃にたった2年しかいなかったのに、歳を重ねれば重ねるほど、彼の事を思い出す。人生最小の舞台だったが、上野で公演ができたのは良い思い出で、温かい拍手など本番は鮮明に覚えていると言う。当時43歳で、半ば引退かと思っていたが、この公演を機に、実演家への復帰を決めたのだとか。自粛期間にあっては、Noismのメンバーには若く、一人暮らしのダンサーが多く、とても心配しており、グループLINEで体調等の確認をしているなど、リーダーとしての一面をのぞかせた。Noism結成からの15年を振り返ると、今迄もこれからも「戦い」と表現した。全て自分で要望しなければならない。全く舞踊の事は分からない行政の専門家達にどういう言葉で伝えれば理解してもらえるのか、どうすれば魅力を伝えられるのか、行政の成り立ちや考え方を勉強して、常に考えて来た。今もまさにこういう環境にあって、これからも戦っていかなくてはいけない。昨年の活動延長が大きな話題になったことに触れられると、今迄も同じような状況に陥っていて2、3年おきにこの波は潜り抜けてきているが、市長が変わって、メディアが取り上げて、全国的なニュースになった。今回も延長を許された途端にこの世界。その中でいかに志を全うすべく道を切り開いて行けるか、その為に賛同を得て行けるかが重要と話した。インタビュアーの阿部が、以前に金森が言った「舞踊は一回性の燃焼である。映像は時空を飛び越えられるけれども、舞踊は時間と空間にいつも縛られている」「再現不可能だからこその感動を伝えるのが我々のミッションだ。だから映像という記録ではなく、私たちの記憶に残す」との言葉が、胸にささった。その為、今回、Noismが映像を公開したことに驚いたと指摘すると、それに対する金森の返答が実に印象的だった。「それは単純に我々Noismのことを忘れないで欲しいって言葉に尽きるかな」。今後いつ、どのような形で一回性の燃焼を見せられるか分からなくなった世の中において、Noismが新潟で頑張っていることを忘れないで欲しいし、今度公演があったら観に行きたいと思って欲しい。今迄嫌がってきたことでも、あらゆることを尽くして皆さんと繋がっていたい。すべて映像で見られる時代にあって、今の若者達にいかにして劇場に足を運んでもらえるかが課題。映像を見て興味を持ってもらって「いつか、生でみたらどうなんだろう?」、「劇場に行ってみたい!」と思ってもらいたい。すべてはまた劇場で会うためにやれることをやろうと思っている。金森をしてこう言わしめる今回の危機はただ事ではないと筆者が痛感した瞬間であり、そうした本音を吐露してくれたことで、金森に対する親しみが湧いた。その他、金森が開発し、実践しているトレーニング方法「Noismメソッド」と「Noismバレエ」の説明、作品の創作における最大のインスピレーションである音楽についてなど、様々なテーマについて語った。そして最後に「いつか必ず劇場で会いましょう!」と締めくくった。

◆菅井円加(ハンブルク・ バレエ団 プリンシパル)

ドイツのハンブルクからの参加。ドイツでは、インタビュー当日の4月29日から少人数でのレッスンが許可され、インタビュー後に久しぶりにレッスンに向かうとのことで、ワクワクしている様子が伝わってくる。今をときめくトップバレリーナには聞きたいことがいっぱいで、次々と質問が投稿されるが、どんな質問に対しても、ユーモアを交えながら、自分の言葉で真摯に答える姿が印象的だ。おうち時間の過ごし方を問われると、カンパニーのバレエマスターが開催しているオンラインのクラスを受けたり、自主トレをしたりしている。モチベーションが無い時には落ち込むこともあるが、集中しているときには、飼っている猫(菅井を批判的な目でねっとりと見ている)をスマイルさせるぐらいに気持ちを上げて、ポール・ド・ブラなどをしているとか。食事は、良い機会なので、自炊をしていて、身体に良いものを積極的に取り入れている。彼女にはパーフェクトなイメージがあるが、身体のコアが弱く、それ補うために別の筋肉を使ってしまっていることに、この自粛期間中に気づけたのが収穫で、体幹を鍛えるためにピラティスやヨガ、そしてプランクを取り入れていると言う。ハンブルグ・バレエ団については、とにかくダンサーの表現力が素晴らしく、皆、個性が強い。監督のジョン・ノイマイヤーは、リハーサルでも新作のクリエーションの時にもダンサーからインスピレーションを得て、どんどん振りを変えていく。菅井自身の個性については「無いのが致命傷」と謙遜するが、皆から「エネルギッシュな踊りが似合う」と言われていて、そういう自分を発掘させてもらっているそうだ。そして、ノイマイヤーは挑戦的な役を与えてくれるので、その指導を受けるのが、とても勉強になると言う。踊ってみたい役は『椿姫』のマルグリット。経験も表現力もまだまだだから、いつか踊ってみたいと控え目だが、踊る日はそう遠くないだろう。「男性並みの身体能力はどのように培ったのか」については、子どもの時からとにかく動くのが好きで、体力から来ていると思う。男性のバリエーションが好きで、ソデバスクも動画でアップしている。「華とかオーラは意識しているか」については、ワクワクは音楽から来るので、音楽が自然と助けてくれると言う。昨年プリンシパルになって変わったことを聞かれると、それほどないが、仕事に対する気持ちが高まった。舞台に立つ回数が減ってモチベーションが下がったことはあったが、他のプリンシパルから、皆がそういう時期を乗り越えて来ていると聞いて、頑張ろうと思ったと語った。そうこうしているうちに50分が経過し、菅井がレッスンに行かなくてはいけない時間に。最後にコメントを求められると「家でトレーニングをしていると気分のアップダウンが激しくなり、この先どうなるんだろうと不安になるけど、みんな同じです。いまできることを全力でして、1日に何十回かは笑って、一緒に乗り越えたいです。では、行ってきます!」と言って、インタビューを後にした。菅井の話を聞いただけでもたくさんの人が笑顔になったことだろう。舞台で、あれほどまでに観客を惹き付ける理由が、分かった気がした。

『The Tour Story−東京バレエ団第34次海外公演密着ドキュメンタリー』

東京バレエ団は、日本では珍しい海外ツアーを行うバレエ団である。ツアーのニュースを聞くにつけ、どんな様子なのだろうといつも気になっていた。今回、2019年6月19日から28日間でポーランド、オーストリア、イタリアの5都市を巡った様子をまとめた待望のドキュメンタリー『The Tour Story』が公開された。『ザ・カブキ』、『ドリーム・タイム』、『タムタム』『春の祭典』等々、同バレエ団の珠玉のレパートリーの映像、大興奮の観客の歓声とともに、その裏側の努力や海外ならではの苦悩、そしてハプニング等々が臨場感たっぷりにまとめられていた。芸術監督の斎藤友佳理が涙しながらダンサー達を抱き寄せて好演を労ったり、野外劇場では、口に虫が入るのを気にしながらの公演になったり、普段見られないダンサー達の素の表情や名だたる荘厳な劇場の雰囲気、そして圧巻のパフォーマンスに惹き込まれ、あっという間の1時間であった。
    
《#みんなで踊ろう》

星野源がSNSで発表し、様々なユーザーがコラボして話題になった『うちで踊ろう』に東京バレエ団の岡崎隼也とブラウリオ・アルバレスがそれぞれ振付し、踊り方を詳しく解説した。SNSと連動しており、投稿があると彼らがチェック。うちでもどこでも、踊りがあれば楽しい時間、そして、つながりあえるんだという時代を象徴する企画だ。

《#バレリーナを描こう》

東京バレエ団のバレリーナがポーズを取り、カメラを360度回して撮影する。視聴者がスケッチしたら、それをツイッターに上げて、スタッフが感想を述べるという双方向の企画。工夫すれば、オンラインでもできるのだなあと、スタッフの努力と企画力に感心した。

その他にも、様々なバレエ団のダンサーが次々とメッセージを発信する《ダンサー・メッセージ・リレー》、ダンサー自身が色々な視点から丁寧に指導する「オンラインレッスン」等々、書ききれないほど、様々な配信があった。舞台を観られないのは残念だが、こうしたオンライン企画は、公開中には繰り返し再生できるメリットがあり、且つ、普段は聞けないダンサーの声が聞けて、彼らを身近に感じるようになったのも確かだ。

残念ながらコロナ前の形で公演を行うには、まだまだ時間がかかりそうだ。しかし、舞台芸術の灯を消さない為に、手をこまねいている訳にはいかない。そんな中、このような大規模なオンラインイベントを行ったのは、国内の舞踊界では初であり、今後のモデルケースになるだろう。このイベントを通して、バレエファン、ダンスファンが増え、安心して公演が行えるようになった暁には、劇場に足を運ぶ人の増加につながるよう切に願う。

(吉田 香 2020/4/25-29, 一部プログラムは5/6まで延長)



jpsplendor at 22:56

July 11, 2020


勅使川原三郎+KARASの《アップデイトダンス》シリーズ第72弾は『空気上層』だった。その3日目を見た。白いロングドレスに身を包んだ佐東利穂子が中央に立ち、そろそろと動き出した。勅使川原がいつもオープニングでやるように両腕を小さく動かしはじめる。それをしだいに広げて行き、約70分間をひとりで踊り切った。勅使川原も踊るものと思って見ていたが、彼が出てきたのは、アフター・トーク。上演を重ねる過程で「日々新たに進化する」KARASの《アップデイトダンス》シリーズの仕組みを語り、後半には自ら登場することを約束した。
 
勅使川原は入門したての頃の佐東に、何もやろうとせずスタジオの空間にただ浮かんでいることを指示した。佐東はそれに従い、毎日数時間、ただ浮かび続けていたようだ。順を追ってしだいに高度なテクニックを身につけて行くのが通常の舞踊の訓練だが、佐東はそのような過程をたどることはなかった。このような勅使川原のトークを聞いて、佐東のソロの背景が見えたような気がした。『空気上層』のタイトルは、スタジオの空気の上層に浮かび続けた若き日の佐東のためにつけたものかもしれない。

佐東はしだいに動きを広げて行った。しかし何かを表現することはなく、ひたすらその場に存在し続けた。そんな佐東を天井の多数のライトが的確に追った。照明のデザインを勅使川原がやっているので、佐東の動きに事細かく同調できるのだ。アパラタスでは、照明が舞台の重要な部分を常に担っている。
 
歴史に名を残すような偉大な舞台人は、最後には何を演じても本人自身のキャラクターで観客の心を動かすようになる。例えば、晩年のマーゴ・フォンテインは、ジゼルを踊っても、オーロラ姫を踊っても、何を踊ってもマーゴであり続けた。プリセツカヤ、ギエムもそうだった。それと同じことは日本の芸能の世界にもある。例えば武原はんがそうだ。何を演じてもまず“おはんさん”で観客を魅了した。
 
勅使川原が、佐東に指示した「何もしないで浮かんでいる」状態は、何をやっても自分そのものを演じてしまう名人上手の究極の姿に近いような気がする。勅使川原が加わってアップデイトするシリーズ後半の『空気上層』は、はたしてどんなことになるのだろう。

(山野博大 2020/7/1 カラスアパラタス)

jpsplendor at 16:33

June 22, 2020


勅使川原三郎+KARAS《アップデイトダンス》シリーズの第71弾で、勅使川原三郎と佐東利穂子が『永遠の気晴らし』を踊った。KARASの本拠、荻窪のアパラタスの入口では、フェイス・シールド着用のスタッフが、観客の体温をチェックし、手、靴底の消毒を行うなどして、新型コロナウイルスの感染に備えた。客席の間隔を十分にとり、定員をいつもの半分に抑えての公演だった。音楽、演劇は、電子映像でもあるていどのところまで感動を共有できるような気がする。しかし舞踊は、密着・密閉・密集のどれを外しても、その本当の良さを受け取ることができない。どうしても手間をかけて劇場を開き、観客とじかに向き合うことになる。

舞台が明るくなる。いつもと同じように勅使川原が何気なく立つオープニング。舞踊公演を見るのは2ヵ月半ぶりだ。踊りを見始めてそろそろ70年になるが、見ない間隔がこんなにあいたのは初めてのこと。勅使川原の動きは繊細そのものだ。それでいてパワーがある。小さく両手を動かし、それを全身に伝え、さらに舞台いっぱいに広げて行く。佐東の力強く流麗な動きが続く。観客は、作品につけられたタイトルを頼りに踊り手の動きと向き合い、それぞれに自分の身内に作品を形作る。それが舞踊を見るということなのだ。私は舞踊にひどく飢えた状態でこのプロセスをたどり、いつも以上に自分のからだの中で激しくうごめく何かを感じた。

『永遠の気晴らし』というタイトルには、コロナ禍のなかで外出を自粛し、そこに発生した長い時間をどう過ごすかという、今の世界の人々の日常につながるところがある。しかし勅使川原は「身体の奥底のうごめき/無目的な戯れ/機能性から外れた無限再生遊戯/危機/ある晴れた日々」と公演案内に目指すところを記し、この作品ががより根源的な問題の提起であることを示した。二人の動きは冒頭から、観客のうっとうしいコロナの日常を瞬時に遠く引き離すものだった。

勅使川原と佐東の微妙に異なる心地よい動きのリレーから、観客は身辺に起こるかもしれないドラマをさまざまに思い描いた。二人は、曲想をいろいろと変え、踊りの世界を多彩に広げた。しかし『永遠の気晴らし』はあっという間に終わってしまったという印象だった。ダンス・シリーズ恒例のアフター・トークがあり、初日に集まった観客はそれをいつものように楽しんだ。佐東はたくさんの植物を自宅で育てている日常を語った。久しぶりにたっぷりと踊りを見たという満足感が身内に残った。
    
 永遠の気晴らしありや夏の宵
 永遠の気晴らし探す梅雨晴間
 ほどほどの気晴らし果てゝ明け易く
 気晴らしの後のあれこれ梅雨はじめ
 永遠の気晴らし初夏のアパラタス    博大

(山野博大 2020/6/12 カラスアパラタス)



jpsplendor at 19:12

May 04, 2020


笠井叡が《DUOの會》を行い、『犠儀』『丘の麓』『病める舞姫』『笠井叡の大野一雄』の4つのデュオを、川口隆夫と笠井瑞丈に踊らせた。笠井叡自身は振付と「語り」の役割で、踊ることはなかった。

笠井叡は、今年の1月にセルリアンタワー能楽堂で能楽師の津村禮次郎と『nevermore』を踊ったばかり。昨年1月には、世田谷パブリックシアターで《迷宮ダンス公演》を行い、黒田育世、近藤良平、笠井瑞丈、上村なおか、酒井はなといった豪華な顔ぶれをそろえて澁澤龍彦原作の大作『高岳親王航海記』を踊っている。その5月には国立劇場の特別企画公演《神々の残照》“伝統と創造のあわいに舞う”で、近藤良平、酒井はな、黒田育世、上村なおか、笠井瑞丈らを従えて“古事記祝典舞踊”と名付けた『いのちの海の声が聴こえる』を自作自演するなど、相変わらず全力投球の日々を送る。

80歳近くという年齢を少しも感じさせない笠井叡が客席最前列に座り、最初の『犠儀』が始まった。この作品は1963年、朝日講堂初演。19歳の笠井の死骸を、隠坊の大野一雄が焼くところを描いたものであることを、客席から立ち上がった彼が語った。川口隆夫が大野一雄を、笠井瑞丈が笠井叡を踊る。川口は、すでに今世紀初めには山田うんと踊り、2006年頃から白井剛と、2008年頃から岩淵多喜子、太田ゆかりらと、2011年には大野一雄舞踏研究所の面々と舞台を共にし、2013年には自作のソロ『大野一雄について』を披露しているベテラン。適切な人選だ。

笠井叡は、大野一雄との出会い、大野の踊りの特質を語り、同時に自分の舞踊人生スタートの頃の様子も観客に伝えた。日本の古典芸能の義太夫は、舞台の人形の動きに合わせて脇の台座に並ぶ太夫と三味線弾きが物語る。舞台の動きに「言葉」が合わさって演目の内容がはじめて観客に伝わる仕掛なのだ。笠井叡の力強く言い切る「語り」と舞台の川口隆夫と笠井瑞丈のデュオが義太夫の舞台に重なった。

私が笠井叡の踊りを初めて見たのは、1966年8月26日に銀座のガスホールで行われた《笠井叡処女璃祭他瑠(リサイタル)》だった。彼はお母さんの弾くオルガンの調べに乗って『磔刑聖母』『母装束』『龍座の森』などを、高井富子と踊った。細身の肉体から繰り出される、見たこともないとげとげしい動きの奔流が印象に残る。このリサイタルを、土方巽に勧められた澁澤龍彦が見ていた。笠井は、それから53年後の2019年に上演した『高岳親王航海記』で高岳親王を演じ、巨大なベンガル虎を退治したりの大暴れを見せ、最後はパイプをくわえた原作者の澁澤になって幕を下ろす。半世紀の時の経過が心にしみた。

次の『丘の麓』は、1972年に青年座で初演したもの。笠井叡と大野一雄が踊る当時のぼやけた映像を見せ、その前でドレス姿の川口が大野一雄を、洋式の軍服姿の笠井が笠井叡を踊り、王家の愛の物語を繰り広げた。ここにも笠井の「語り」が入り、彼と大野一雄との間にあった「日常」とそこで伝えられたであろう動きの神秘を浮かび上がらせた。

『病める舞姫』は、2002年にスパイラルホールなどで行われた《JADE2002 舞踏サミット・土方メモリアル》でのもの。大野一雄が車椅子で笠井叡と踊った。二人を取り囲んで喝采する観客も見える当時の映像を、川口と笠井瑞丈がていねいになぞる。ここでの「語り」は、当時の情景を控え目に説明するものだった。

最後は新作『笠井叡の大野一雄』。これもデュオで、大野一雄・笠井叡を踊った若い二人の実力を示す舞台となった。日本の古典芸能では、親が子に自分の「芸」を伝承する。子は親のものを受け継ぎ、それに自分のものを足して新たな名跡を創る。笠井叡も自分の作品を息子の瑞丈に渡してきた。例えば、2017年にシアタートラムでやった『花粉革命』だが、この作品は笠井叡が日本各地、アメリカ、フランスなどで上演してきた大事な一本。それを息子の笠井瑞丈が踊った。その時の笠井叡とのカーテンコールは、日本の古典芸能の「代替わりの口上」を思わせた。

笠井叡が踊らない《DUOの會》は、内容豊富な「笠井叡、舞踏一代記」となった。この舞台は、今年の1月8日に81歳で他界した少し年上の盟友、大野慶人に捧げられた。

(山野博大 2020/3/27 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ)

jpsplendor at 18:02

May 03, 2020


東京バレエ団が、ピエール・ラコット版『ラ・シルフィード』を4年ぶりに再演した。芸術監督の斎藤友佳理がステージングを担当し、タイトル・ロールを沖香菜子(21日)と川島麻実子(25日)が踊った。私は沖の日を見た。

幕が上がると、農家の居間で居眠りしているジェイムズ(秋元康臣)にラ・シルフィードが寄り添うおなじみの場面。白いロマンティック・チュチュの沖の軽やかな妖精ぶりがまず目に焼き付いた。1984年に東京バレエ団がラコット版『ラ・シルフィード』を初めて上演した時にタイトル・ロールを踊り、2005年にマチュー・ガニオとの歴史的名演を残した斎藤友佳理の指導による舞台は、エフィー(秋山瑛)との結婚を目前にしたジェイムズの身に降りかかった「異変」を、手際よく物語るものだった。そこには、魔女マッジ(柄本弾)の不吉な占いの場面があり、ジェイムスとエフィーの間に割って入るラ・シルフィードの変幻自在ぶりなどの見せ場があった。それらを囲む、結婚を祝う客たちを踊った東京バレエ団の厚みある群舞がラコット版の特徴を際立たせた。

『ラ・シルフィード』は、1832年にフィリッポ・タリオーニの振付、ジャン・マドレーヌ・シュナイツホーファーの音楽により、マリー・タリオーニの主演で初演され大評判になったバレエだ。その評判を聞いたデンマーク王立バレエ団が上演を意図し、振付、音楽の使用許可を申し込んだ。しかし断られてしまったために、オーギュスト・ブルノンビルの振付、ヘルマン・ロヴェンショルドの音楽による独自の『ラ・シルフィード』をルシル・グラーンの主演で1836年に上演することになったのだ。その後、タリオーニ版はなぜか上演されなくなってしまったが、ブルノンビル版は世界のバレエ団に伝えられ、今ではロマンティック・バレエの代表作となっている。

100年以上も忘れられていたタリオーニ版の復活をパリ・オペラ座が計画した。再現を依頼されたピエール・ラコットは手を尽くして資料を収集し、1972年にシュナイツホーファーの音楽による復活上演を果たした。このフィリッポ・タリオーニ原案によるラコット版を、東京バレエ団は1984年にレパートリーに加えたのだ。

日本ではブルノンビル版が主流で、ラコット版をレパートリーに持つのは東京バレエ団だけだ。音楽はまったく別物なのだが、舞台の進み具合や衣裳はそっくりなので、さほどの違和感なく両方の版を見ることができる。しかし、ラコットの再現したものは20世紀のバレエの仕組みが背景にあり、語り口がいかにも流暢だ。19世紀のものを引き継ぐブルノンビル版の持つ素朴な感触からはやや遠い感じがある。第2幕のコール・ド・バレエの複雑な動きの流れにもその違いは、そっくりそのまま引き継がれる。

私は、2017年に来日したパリ・オペラ座バレエ団(芸術監督:オレリー・デュポン)の、ラコット版『ラ・シルフィード』を、アマンディーヌ・アルビッソンのラ・シルフィード、ユーゴ・マルシャンのジェイムスで見た。その時にアルビッソンのいかにも妖精らしい「軽さ」、マルシャンの時代を感じさせる確かな演技に、これぞロマンティック・バレエという感触を得た。シュナイツホーファーの作曲をアドルフ・ヌーリが編曲した音楽は、ブルノンビル版のロヴェンショルドよりも多彩な情景を描いていた。しかし、フランスで生まれたロマンティック・バレエ『ラ・シルフィード』の歴史的な持ち味は、ラコット版よりも、ブルノンビル版の方により多く残っているという実感はゆるがなかった。ラコットは、タリオーニの原案をいろいろと調べて復活上演したのだが、彼自身が生きている「今」を排除することはできなかった。

こんどの斎藤友佳理のステージングは、彼女自身がロシアのバレエ界で育っただけに、どこかに「ロシア風」を感じさせた。冒頭のジェイムスに寄り添う沖のポーズの美しさは、間違いなくロマンティック・バレエのものだった。しかし秋元の思い切りのよい動きは鮮やかなロシア風。ラコットが作った「今」を感じさせる第1幕の群舞のシーンあたりになると、その感じはいっそう強くなった。斎藤は、2011年にラコットがモスクワ音楽劇場バレエに『ラ・シルフィード』を指導した際に、助手として働いたキャリアを持つ。ラコットが『ラ・シルフィード』についてどう考えているかを知らないわけはない。彼女はその経験を踏まえ、自らのキャリアを賭けて独自の世界を舞台上に出現させたのだ。今の時代、ロシア風、フランス風の違いを前よりも厳密に区別しなくなっている。彼女は、フランス、ロシアに日本の舞踊の持つ細やかな情緒も加味して、東京バレエ団ならではの『ラ・シルフィード』を創った。第2幕のラ・シルフィードとジェイムスのパ・ド・ドゥを中心に広がる妖精の飛び交う別世界には、斎藤友佳理ならではの緻密な舞台づくりの極意が見えた。ラコット版の最後、マッジの魔法のショールにからまり命を失ったラ・シルフィードの遺骸が天上に飛び去り、打ちひしがれたジェイムスが倒れ伏す。このブルノンビル版よりも簡潔な幕切れには、しみじみとした余韻が漂い日本の能の諦観に通ずるものがあった。

(山野博大 2020/3/21 東京文化会館 大ホール)

jpsplendor at 18:03

April 09, 2020


加藤みや子ダンススペースが新作『帰点』を上演した。加藤は、アフロ・ジャズダンスの第一人者、森嘉子のところで舞踊をはじめている。森は当時、日本の現代舞踊を代表するソロの名手、彭城秀子の門下だった。しかし森は、加藤の教育を藤井公・利子夫妻に託してアメリカへ。加藤は藤井夫妻のところで才能をのばし、1966年頃から東京創作舞踊団公演で藤井公作品の主要パートを踊るようになる。文化庁の在外研修で新しい舞踊の動向に触れ、1977年、29歳で加藤みや子ダンススペースを立ち上げ、独自の舞踊を探し始める。

70年代の日本の舞踊界をにぎわせたポスト・モダンダンスをはじめ、加藤は新しい舞踊表現の方法を探し続け、『白い壁の家』(1992年)、『植物の睡眠』(1997年)、『点と遠景とカンタータ』(2002年)、『笑う土』(2007年)、『赤い土』(2010年)、『あなたについていく』(2017年)などの佳作を残してきた。

『帰点』は、加藤が異色の彫刻家、金沢健一と出会ったことでできた作品だった。冒頭、シモ手に立つ金沢が空色に輝くガラス玉をテーブルにこすりつけて発する不思議な「音」が聞こえてきた。中央の大テーブルの上に加藤が立ち、それに反応した。金沢の美術、音響と、加藤みや子ダンススペースの踊りとの融合反応が『帰点』を生んだ。

金沢は、鉄、ステンレス、アルミニウムなどの金属を使って作品を創る造形作家だ。そこで使う金属が発するさまざまな「音」も作品の一部なのだ。加藤が立っていた大テーブルの金属の表面に置かれた多数のボールが、またさまざまな「音」を発し、ダンサーの肉体を刺戟した。西名糸江、立花あさみら、加藤みや子ダンススペース創立以来の古参の面々がテーブルを囲んでボールをもてあそび、男性トップの木原浩太がその下から這い出して踊りに加わった。舞台に奥行きを与える斎藤香の照明が、時の経過を作り出し、その中で創立40年超の加藤みや子ダンススペースのベテランから若手までが自分の踊りをやり切った。ひとつの型にはめ込まない加藤のダンス教育の成果を示すにぎやかな世界が、いろいろな形で金沢の「作品」と関わった。しっかりと区切りをつけて場面をつなぐダンスの積み重ねが生み出す快適なリズム感が『帰点』の空間を広げて行った。

ダンスを堪能したところで、オープニングの加藤と金沢のやりとりを思い出させる場面があり、彼女のソロとなった。これまで見てきた加藤の諸作品でも同様の場面があり、エンディングを迎えたことが思い出された。彼女は少女時代からソロに生きる「ダンサー」だった。師の藤井夫妻が主宰する東京創作舞踊団で、何度も主役のソロ・パートを踊った。また最近では、森嘉子との共演の機会をいろいろと作り、そこで森の他をよせつけない独特の風格に、自分のダンスを対置することも試みている。加藤は「記憶に刻まれた帰点を探す。鉄のテーブルに話を吐き出して…。〈中略〉でもあるのは今、この時だけ」とダンス・ノートに記す。彼女は永年積み重ねてきた舞踊的蓄積を、金沢の「音」を触媒に使って最後のソロに凝縮し、今の自分をさらけ出した。

(山野博大 2020/2/29 俳優座劇場)

jpsplendor at 22:37
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