レポート

July 31, 2018

三年に一度のバレエの祭典『第15回世界バレエフェスティバル』(世界フェス)。AプロとBプロがそれぞれ5公演、そして恒例の特別ガラが今年は『Sasaki Gala』の名称で、東京公演最終日の15日に上演される。Aプロの開幕が間近に迫った7月30日、東京文化会館大ホール舞台上で記者会見が開催された。主催の公益財団法人日本舞台芸術振興会(NBS)専務理事の高橋典夫氏と、特別協賛の株式会社コーセー代表取締役社長小林一俊氏の挨拶ののち、すでに来日中の出演者34名が登壇。フランス語、ロシア語、英語の通訳を交えて、一言ずつ意気込みを語ってくれた。

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outofnice at 22:01

June 28, 2018

629日より、東京バレエ団がウラジーミル・ブルメイステル版『白鳥の湖』を上演する。2016年に初演された同作は、その前年芸術監督に就任した斎藤友佳理の手がけた初の大作であり、公演の成功は大きな話題を呼ぶとともに、彼女の秀抜な手腕を示すところとなった。再演となる今回は、上野水香・柄本 弾(29日)川島麻実子・秋元康臣(30日)、沖 香菜子・宮川新大(71日)の3組が主演。中でも、この4月にプリンシパルへと昇格したばかりの沖と宮川にとっては初役である。開幕を数週間後に控えた某日、このペアによる公開リハーサルが行われ、ブルメイステル版のハイライトと言っても過言ではない第3幕、舞踏会のシーンがお披露目された。

 ロットバルトの手先たちによる各国のキャラクター・ダンスが、不穏と高揚の入り交る圧倒的  な“悪”のパワーを舞台に漲らせてゆく同場面。この日は、一部変則的なキャストであったが、井福俊太郎を始めとする道化たちの快活な掛け合いや、スペインを踊った奈良春夏の力強さ、ナポリの秋山 瑛が醸し出すコケティッシュな雰囲気など、それぞれの踊り手の持ち味が物語の密度を高めてゆく。オディールとジークフリート王子のグラン・パ・ド・ドゥでは、妖艶ながらも高貴な魅力に溢れた沖と、端正かつ柔らかな動きが光る宮川との化学反応が、やがて待ち受ける展開をいっそうドラマティックに昇華させていた。 

写真 2018-06-12 18 07 23その後の記者懇親会には、沖・宮川と斎藤芸術監督が登壇。ふたりは、年明けから入念にリハーサルを重ねてきたというが、目指す理想は限りなく高い。

「『白鳥の湖』は、“古典の中の古典”であり、クラシックの基本。難しいのはもちろんですが、それはクリアしなければいけないことでもある。考えなければいけないこともたくさんですが、だからこそやりがいもありますし、この作品に取り組めることの幸せを感じながら、毎日のリハーサルに取り組んでいきたいと思います」と沖は語る。宮川も「自分の中でまだゴールが見えていないし、そもそもゴールというものはないのではないか」と感じているという。日々葛藤しながら、自分自身で王子像を作りあげてゆくことが、本番までに残された最後の課題のようだ。そして、お互いに関しては、「きちんと話し合ってパ・ド・ドゥを作り上げていけるので、一緒に踊れてよかったなと思います」(沖)、「どんなに疲れていても練習に付き合ってくれて、意見も言いやすいので、僕自身も勉強になる。沖さんが気持ちよく踊れるようにもっと努力していきたいです」(宮川)と、信頼関係の上にこそ成り立つパートナーシップも磐石である。

 また、会見の冒頭では、今回の上演に際し、約200点もの衣装を新製作したことも伝えられた。気鋭のペアを主軸に据えたキャスティングも、細部にまで一流の美意識が宿る真新しいコスチュームも、すべては「将来につながるように」という斎藤監督の切なる想いがあるからこそ。次世代を担う若きスターの誕生と、バレエ団の更なる飛躍を見届けたい。

(取材&文 宮本珠希)



piyopiyotamaki at 17:57

February 02, 2018

ハンブルク・バレエ団2018年日本公演に先立ち、記者会見が開かれた。同日日本に到着したばかりの、芸術監督ジョン・ノイマイヤー氏、ダンサーのアレクサンドル・リアブコ氏とアレクサンドル・トルーシュ氏、そして同団広報部長のフォン・ヨルン・リクホフ氏が出席し、作品への思いを語った。


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August 02, 2017

11月に予定されているモーリス・ベジャール・バレエ団の来日公演に先立ち、記者会見と映像上演会が催された。芸術監督のジル・ロマンと、バレエ団で長年活躍するダンサー那須野圭右がゲストとして登場。ベジャールと過ごした日々を振り返りつつ、来日公演で上演される演目の紹介や、現在のカンパニーの様子が語られた。さらに後半は、過去の来日公演を振り返り、懐かしい顔ぶれが次々と登場する記念映像が上演された。 続きを読む

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June 05, 2017

DSC_0010DSC_0006DSC_0001 谷桃子バレエ団の《コンテンポラリーダンス・トリプルビル》の制作発表と作品の公開リハーサルが行われた。バレエ団代表の赤城圭の短い挨拶があり、ただちに3作品のショーイングとなった。最初の島地保武作品『セクエンツァ』は、イタリアのルチアーノ・ベリオの音楽を使った激しい動きを多用した抽象的なダンス。佐藤麻利香、吉田邑那ら、島地の選んだダンサーたちが、彼の創る動きに体当たりした。バレエ的な動きも多く使われていて、バレエ団になじみやすいコンテンポラリー作品になりそうだ。それに対して柳本雅寛作品『Nontanz』は、松本じろの音楽を使ったコンテンポラリーの動き一色のダンス。これに三木雄馬、安村圭太、牧村直紀ら男性陣と女性の若手が懸命に取り組んだ。そして最後の広崎うらん作品『peches ペシュ』(注:pの後の[e]はaccent circonflexeが付いています)には、バレエ団代表の赤城圭をはじめ、尾本安代、睇尚子、伊藤範子、斎藤拓らの幹部を筆頭に、トップのダンサーたちはもちろん、中堅、若手までが幅広く出演した。ドラマの断片が次々と現れ、ダンスの渦の中で浮き沈みした。どの作品もまだ創作の途中にあり、細部のつめはこれから。ダンサーたちの熱心な取り組みがこのリハーサルではすでに形となって現れていたので、7月2日の本番にはこれまでの谷桃子バレエ団にない何かが出現しそうな成り行きだ。

 制作発表会見となり、振付者の3人の他に、芸術監督の睇尚子をはじめ、島地作品の創作アシスタントの酒井はな、柳本作品の音楽担当の松本じろ、谷桃子バレエ団幹部ら関係者がずらりと並んだ。まず芸術監督の睇瑤ら、これまで古典中心の公演を行ってきた谷桃子バレエ団がどうしてこのようなコンテンポラリーの公演を意図するに至ったかの説明があった。新しいことに挑戦して、特に若いダンサーたちの参加意欲をかきたてることを考えたようだ。意外に新しいことのお好きだった谷桃子先生のご意向にもかなうものではないかと、睇瑤聾譴辰討い拭

 三人の振付者の選定は、酒井はなとの古くからのお付き合いのつながりで島地保武、谷桃子バレエ団出身の黒田育世を通じて親しくなった柳本雅寛、制作担当のアンクリエイティブの紹介で広崎うらんということになったようだ。振付者は三人三様にバレエとの関わりを楽しんでおり、どんな結果が出るのか期待が持てる。芝居の舞踊場面を担当することの多い広崎とは、演技者として独特の味わいを持っていた谷桃子につながる何かが出て来そうな気配もある。

 この公演は、葛飾区のかめありリリオホールで行われる。葛飾区文化施設指定管理者との共催、葛飾区と葛飾区教育委員会の後援だ。寅さんの故郷の柴又に近いところで、谷桃子バレエ団への関心の度合いが高まることも考えられそう。評判が良ければコンテンポラリー作品公演のシリーズ化もあるかもしれないとのことだった。この5月に新たに芸術監督に就任した睇尚子の、かじ取りに注目しよう。(山野博大 2017/5/30 13:30 等々力・高田アートスペース)DSC_0004DSC_0014



inatan77 at 03:37

May 02, 2017

2017年2月27日、日本における創作バレエの歴史に、『美女と野獣』『城砦(とりで)』『リチャード三世』『オンディーヌ』『求塚』など、数々の名作バレエを残した横井茂さんが亡くなった。

横井さんは1930年5月24日、宝生流17代目家元の宝生九郎を父として生れた。1946年の東京バレエ団による『白鳥の湖』全幕日本初演の舞台を見てバレエを志し、1948年に小牧バレエ団に入団した。1949年4月9〜24日に東京バレエ団が帝国劇場で第6回公演を行った時の『シェヘラザード』で初舞台を踏んだ。以後、小牧バレエ団の全公演に出演するが、1951年に退団し、広瀬佐紀子、笹本公江、日高淳、太田招子らと共に、東京バレエ協会を結成した。1955年1月10日に行われたその第1回公演で『ジゼル』を広瀬佐紀子と踊り、切れ味のよい演技が注目されるようになった。

1957年6月27日、横井茂・太田招子バレエ団の結成公演で『美女と野獣』を太田招子と共に振付け、振付者デビューを果たした。この作品は、野獣の住みかをはじめとするさまざまな情景を、すべてダンサーのからだを組み合わせて作るというアイデアのおもしろさと構成の確かさで高く評価された。

1953年2月、テレビジョンの本放送が始まり、番組に舞踊が取り上げられることが多くなったことで、横井さんをはじめとする若手舞踊家たちは、多忙を極めた。そんなテレビの仲間などを集めて彼は東京バレエ・グループを結成し、1960年11月24日にその第1回公演を東横ホールで行った。そこで上演した横井茂振付『城砦(とりで)』が芸術祭奨励賞を受賞した。これ以後、創作バレエを発表し続けた横井茂と東京バレエグループは、毎年のように芸術祭賞を受賞することとなり、彼は「芸術祭男」とはやされた。その過程で彼は、シェイクスピアもののバレエ化を『ハムレット』『リチャード三世』『マクベス』『オセロ』『リア王』『ロミオとジュリエット』と行い、独特の作風を固めた。

彼の作風は、バレエのテクニックをベースにしながら、新しいジャズダンスなどのテクニックやリズム感も取り入れ、日本の古典芸能を思わせる夢幻の世界を出現させるというものだった。作中の人物像がしだいにくっきりと描き出されてくる独特の味わいが見る者の心に響いた。

1967年12月20日、横井さんは文部省派遣の第1回在外芸術研修員としてアメリカ、ヨーロッパへと旅立った。海外での経験は、その後の彼の作品の幅を広げたが、根にあたるところの変化はなかったように思う。

日本のバレエ界では、1950〜60年代に創作活動が活発になったが、バランシン、ロビンズ、プティ、ベジャールらの作品の日本での上演が増えるにつれて、日本人作家の新作への関心度は低くなった。しかし東京バレエ・グループは、1995年4月30日の第33回まで途切れることなく公演を続けた。第33回はパナソニック・グローブ座で行われ、『リア王』と『夕映えに』を横井茂と新井雅子の振付で上演した。それを踊ったのは、新井雅子、安達悦子、稲村真実、三谷恭三、堀内充、中島伸欣、柳下規夫、片岡通人ら。美術の藤本久徳、照明の沢田祐二、衣裳の田代洋子ら気心の知れたスタッフとの仕事が変わりなく行われた。横井さんの東京バレエ・グループの35年間は、どこまでも作品を発表し続け、日本発の創作バレエの確立を目指すものだった。

1982年2月19日、舞踊作家協会が設立され、その第1回公演を虎ノ門ホールで行った。そこで、若松美黄が『どぶろく』を、石田種生が『マイセルフ』を、小川亜矢子が『パ・ド・シス』を、アキコ・カンダが『晩歌』を、雑賀淑子が『台所のバラード』を、藤井公が『海を見ている馬』を、庄司裕が『冬の子守唄』を、そして横井茂が『ウィーン・ウィーン・ウィーン』を発表した。彼らは、日本の創作洋舞運動の中枢に位置する人たちであり、以後もティアラこうとう小ホールを拠点として、その後継者たちが息長く公演活動を続けている。横井さんはその代表として終世、創作舞踊活性化の運動に関わったのだった。

横井さんは、その生涯を日本の創作バレエのために捧げた。最近、日本のバレエ・ダンサーの技術水準は世界の一流に伍して行くほどに向上してきた。しかし「創作」の面では、残念ながらまだ世界に追いついていないのが実情だ。日本のバレエの歴史は、1920年にロシア革命に追われて来日したエリアナ・パヴロバがバレエを教えはじめてからのもの。カトリーヌ・ド・メディシスが、1581年10月15日に『王妃のバレエ・コミック』を催してから400年以上の年月を経ている西欧のバレエと、やっと100年の日本の差は、歴然たるものがある。しかしいつの日か、世界に日本のバレエの存在が認められる日が来るだろう。横井さんの生前のたゆみない創作活動が、その実現を早めるために役立つものであったことを忘れてはいけない。彼の生涯かけた献身に感謝し、その安らかな永遠の眠りを祈る。

合掌

(山野博大) 続きを読む

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April 11, 2017

オーディションによって選ばれた22歳以下の若手ダンサーで構成され、リハーサルから本番まで、プロフェッショナルな環境で舞台を作り上げてゆくKバレエ ユース。総監督・熊川哲也による2013年の創設以来、これまでに、同年の第1回記念公 演『白鳥の湖』、第2 回公演『トム・ソーヤの冒険』(2015年・世界初演)を上演してきた。そして、過去2度の舞台で古典とオリジナル作品の双方を経験した彼らが、次回の第3回公演では、大作『眠れる森の美女』に臨む。現在も厳しい練習を重ねる中、先月、ユースとしては初の試みである公開リハーサルが行われ、プロを目指す踊り手たちの成長著しい姿に触れることができた。

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piyopiyotamaki at 19:25

March 04, 2017

Noism01の近代童話劇シリーズvol.2『マッチ売りの話』+『passacaglia』さいたま公演に先立ち、2月9日のゲネプロを見た。異なるタイプの二つの作品を休憩を挟まず続けて上演することで、二つの世界に広がりが生まれた。続きを読む

outofnice at 17:57

June 26, 2016

 624日(金)、《ジゼル》東京公演の休憩中に、英国ロイヤル・バレエ団(以下、RB)から日本での教育プログラムについて記者発表があった。ケヴィン・オヘア芸術監督と教育部門担当デヴィッド・ピカリングが、少数の舞踊批評家・ジャーナリストに直接語りかけた、というよりロビーでの囲み取材のようなものだったので、周囲の雑音であまり聞き取れなかったのだが……わかる範囲でレポートする。DSC_0590

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inatan77 at 16:33

May 26, 2016

 笠井叡さんが舞踊批評家協会賞の受賞を辞退したと聞いて、とっさにこのままにしてはおけないと思いました。そして知っている限りの協会に属さない批評家、専門紙誌の記者等の方々に呼び掛け、4月10日に澁谷の貸会議室で「舞踊批評家の集い」を開催しました。緊急の呼びかけだったにもかかわらず、当事者の笠井さんをはじめ、20数名の方々が参加してくれ、率直に意見を交しました。その時のあらましは、THE DANCE TIMESの4月16日のレポートの通りです。

 出席者の発言の中には、憶測に基づくものがあったにもかかわらず、そのままを書いてしまったために、舞踊批評家協会賞の選考の模様等につき、誤った情報をお届けする結果となりました。私のチェックが行き届かなかったために各方面にたいへんなご迷惑をおかけしました。心よりお詫び申し上げます。

 舞踊界では、舞踊批評家のほとんどが舞踊批評家協会に所属していると思っている人が多いようです。私も、何人もの舞踊家から「笠井さんのことはどうするの?」と聞かれ、「会員ではないから知らない。どうなるのでしょうね」と答えるしかありませんでした。「集い」に参加してくださった方々からも同様の声があがり、そのような一般の認識とのずれを改めるには、協会に多くの批評家が参加して現状を改革するしかないのではないかということに話が進みました。そして協会へ入ってもよいという人を募ることになり、後日私宛に郵便又はメールで連絡してもらうことにしたのです。しかし、協会へ入ってもよいという人はわずか数名にとどまりました。入会のご決意を示された方にはまことに申し訳ないことながら、この人数では思い通りにことを運ぶことが難しいと判断し、協会への働きかけは取りやめることにしました。

 今年の舞踊批評家協会賞の贈呈式は4月23日にNHK青山荘で行われました。例年通りお招きを頂いたので、出席させてもらいました。当日配られたパンフレットに、小さな字で笠井さんが受賞を辞退されたと断り書きが載っていました。彼の辞退の理由に対する協会の姿勢は不明のままに、式はとり行われました。

 舞踊批評家協会賞の贈呈式では、まず受賞者の名前が披露され、協会員が立って賞を贈ることになった理由をたっぷりと時間をかけて説明し、賞状を渡します。そして受賞者が受賞の感想を語るという段取りになっています。このやり方は協会設立の頃から変っていません。

 賞を決めるために、年間3回、事前の会議を行います。会員ひとりひとりが賞の候補を持ち寄り、ここで意見をたたかわせます。そうしてとりまとめた年間の候補者の中からその年度の賞を選び出すのです。このやり方も変わっていないということでした。

 受賞者の発言は、お礼に終始する紋切型、舞台の模様を詳しく話す説明型、今後の活動の意気込みにまで話が及ぶ情熱型などさまざまですが、いずれの場合も賞を貰ったことの喜びに嘘はなく、聞く者にひとりひとりの「嬉しさ」がじかに伝わってきました。賞を受けたことが次の飛躍につながりそうだと思わせる場面にも出会いました。

 この賞は、1970年の第1回から今回の47回まで、途切れることなく贈り続けられています。今年が66回目となる芸術選奨・文部科学大臣賞、64回目の東京新聞・舞踊芸術賞に次ぐ歴史を重ねているのです。受賞者が貰って「嬉しい」と感じるのは、この歴史の重みによるものでしょう。尊敬する先輩が貰った舞踊批評家協会賞を、こんどは自分が貰うのだと思ったら、文句なしに嬉しくなるはず。少ない会員数で「よくやっている」と正直思います。

 この賞の持つ重みを協会の皆さんがよく認識して、いっそう舞踊家のやる気を高めて行ってくださることを期待します。軽々しい授章理由を発表したことで、笠井さんを困惑させたことをまず率直に反省し、それを何かのかたちで発表して協会の信用を取り戻してください。(2016/05/24 山野博大)



inatan77 at 08:37
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