レポート

February 26, 2021


我らがダンス・タイムズの代表であり、舞踊評論家の山野博大先生が、2021年2月5日に他界しました。享年84。前日にはいつもと変わらぬ様子で笠井叡さんの公演を観ており、本当に突然の旅立ちでした。山野先生はいつまでもお元気で、私達と共に舞台を観て、感動を分かち合い、そして導いてくれると信じていましたので、なかなか事実を受け入れることができません。舞台芸術の歴史や批評のイロハはもちろん、下町の粋や人情、お酒の飲み方まで、私達はありとあらゆる事を先生から学びました。そしてなにより、雨の日も雪の日もバレエでもコンテでも大劇場でも小劇場でも、日本中の舞台に足繁く通い続けたお姿、その舞台について記していた批評を日々目の当たりにしていた私達は、公演を観ること、(美辞麗句を連ねるよりも)そこで何があったかをきちんと書いて後世に伝えることが大切であると身を以て教えてもらいました。もう少し我慢すれば、劇場のロビーでお話したり、編集会議や勉強会をしたり、思いっきり飲んで、笑って…、そんな以前のような楽しい時間を取り戻せると思っていた矢先の出来事だっただけに、悔しくて堪りません。しかし一方で「コロナの騒動があって、余計に舞踊の素晴らしさに気づかせてもらったんだから、良しとしようじゃないの」と先生は微笑んでいるような気もしています。それを表すかのように、昨年は、公演数が少なかったにも関わらず、38編もの批評をダンス・タイムズに遺してくれました。いまはただ、舞踊への愛と情熱に溢れた素晴らしい恩師に巡り合えた幸運に心より感謝しています。

※タイトルは、山野先生がお仲間を悼む際に使っていたものに倣ってみました。

ダンス・タイムズ一同


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August 02, 2020


AFP通信の配信により、ルネ(愛称=ジジ)・ジャンメールの訃報を日本の新聞各社が伝えた。7月17日にスイスの自宅で亡くなったのだ。96歳だった。“ジジ”は1933年、パリ・オペラ座で踊りはじめる。しかし、クラシックの枠に収まり切れず、活動の場を新しいバレエの世界、ショー・ビジネス、映画など、多方面へと広げて行った。

彼女は、1924年4月29日生まれ。パリ・オペラ座でいっしょだったローラン・プティとは同い年だった。やはりクラシック・バレエにあき足りず早々にオペラ座を飛び出したプティの振付を踊るようになり、二人は臨時編成のダンス・グループ“バレエ・ド・パリ”を足場として新しい舞踊の世界を目指した。1949年にロンドンで初演したプティ振付、“ジジ”主演の『カルメン』は、当時としては異例のセクシーな演技で、大きな反響を呼んだ。二人は1954年に結婚する。

1964年2月、“ジジ”は40名のショー・ダンサーを率いて来日し、《ルネ・ジャンメール舞踊団公演》を日比谷公会堂で行った。当時39歳の彼女は、背中に大きな羽飾りをつけた豪華な衣裳で群の先頭に立った。プティは同行していなかったが、彼が振付けたイブ・サンローランの衣裳によるエンターテインメント作品『ダイヤモンドを噛む女』は、バレエのすぐ外側に別の世界が開けていることを、日本のバレエ・ファンに示したのだった。彼女が低音で語り掛けるように唄った歌も、深く心に響いた。

ちょうど同じ頃、リアンヌ・ダイデ、ミシェル・ルノー、ロゼラ・ハイタワー、アンドレ・プロコフスキーが来日し、《フランス・バレエ・4大スター合同公演》を同じ日比谷公会堂で行った。彼らのバレエの伝統に忠実な抑制を利かせた表現と、感情を身体の動きに込め、それを小粋なしぐさでさらりとつないだ“ジジ”の踊りの違いに、当時の日本のバレエ・ファンは目をみはった。東京オリンピック開催に沸き、新幹線が走り始めた当時の日本に、“ジジ”の一行は大きな刺激をもたらしたのだった。

(山野博大)


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July 20, 2020


史上初の緊急事態宣言が出され、舞台公演の中止が相次いだ2020年4月に嬉しいニュースが舞い込んだ。中止と思われていた《上野の森バレエホリデイ》がオンラインで開催されるというのだ。《上野の森バレエホリデイ》は、2017年に始まって以来、ゴールデンウィークの輝く太陽のもと、大勢の人が東京文化会館に集まり、拍手や子供達の歓声が入り混じる中、様々な催しが行われていた。果たしてオンラインではどうなるのかと、期待と同時に不安を抱きつつパソコンの前に座ったが、蓋を開けてみれば、世界中のダンサーがキャスティングされ、短い準備期間でよくぞここまでと感心するほど多彩なラインアップだった。公式ホームページによると、4月25日から29日までの6日間のサイト訪問者は15万6千人、訪問回数は27万9千回、動画視聴回数の合計は37万回。リクエストに応えて5月6日まで延長されたプログラムも含めると、サイト訪問者は16万9千人、動画の視聴回数は実に53万2千回にもなったそうだ。

日本のカンパニー(井上バレエ団、貞松・浜田バレエ団、東京シティ・バレエ団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 、東京バレエ団、Noism1、牧阿佐美バレエ団)による過去の舞台映像、東京バレエ団の海外ツアーに密着したドキュメンタリー、ダンサー同士の対談、スターダンサーへのライブインタビュー、ダンサー達によるレッスン、SNSと連動した視聴者参加型のダンスの企画やダンサーをスケッチする企画等々、全てには目を通せないほど多数の動画が公開されていた。その中でもコロナ禍の今を体現しているものや印象に残るものをメインにレポートし、この危機を乗り越えた後に「オンラインで開催されたこともあったなあ」と振り返れるよう記録に残しておきたい。

まず、今だから、遠隔だから、これだけ豪華に実現できた企画として、ダンサー同士の対談《ダンサー・クロストーク》と《ライブインタビュー》があった。二人のうち一人はモニターでの遠隔出演。どの回においても、外出自粛という初めての事態にダンサーとしてどう向き合っているかが話題になり、舞台に立てる、仲間とレッスンができるという日常はかけがえのないものだったという思いが吐露された。そして、自分に向き合える良い機会と捉えているというポジティブな意見も多く聞かれた。

《ダンサー・クロストーク》

以下の8組で対談が行われた。※五十音順
・秋元康臣(東京バレエ団 プリンシパル)× 柄本弾(東京バレエ団 プリンシパル)
・秋元康臣 × 福岡雄大 (新国立劇場バレエ団 プリンシパル)
・池本祥真 (東京バレエ団 ファーストソリスト)× 高田茜 (英国ロイヤル・バレエ団 プリンシパル)
・上野水香 (東京バレエ団 プリンシパル)×小野絢子(新国立劇場バレエ団 プリンシパル)
・上野水香×高田茜
・上野水香×町田樹(慶應義塾大学・法政大学 非常勤講師/元フィギュアスケート日本代表)
・高田茜×山本康介 (元英国バーミンガム・ロイヤルバレエ団 ファーストソリスト)
・柄本弾×八幡顕光(ロサンゼルス・バレエ団 ゲストプリンシパル)

◆秋元康臣×柄本弾

同じバレエ団に所属しながらレッスンも公演もない状況下で、対談は「久しぶり〜」からスタートした。器用に話をリードしていく柄本に対し、終始恥ずかしそうで、初々しさの残る秋元。初めて踊った役は「リス」、「隣で踊る女の子に5番ポジションを直された」と、幼い頃の記憶が鮮明な秋元に比べ、初めて観たバレエも初めて踊った役も「全く覚えていない」と、あっけらかんと話す柄本が、好対照で可笑しい。幸せを感じた演目は、秋元は『白鳥の湖』、柄本は『ボレロ』と二人とも予想通りの回答。秋元にとって、ロシアのバレエ団ではようやく踊れた作品であり、東京バレエ団の初の主役が『白鳥の湖』だった。たしかに東京バレエ団での彼のデビューは鮮烈であった。柄本がメロディ役でデビューした『ボレロ』は、横浜の屋外ステージで、雨が降りだし、赤い円卓の舞台が濡れている中で行われ、筆者もその状況をよく覚えているが(http://www.dance-times.com/archives/4949923.html)、本人も「滑るし、泣きそうだった」と回想した。舞台上での女性のサポートについての話になると、柄本が「特に本番では、良い意味で相手を信用し過ぎない。失敗する可能性を頭の片隅に入れながら、視野を広く持って臨む」と言うと、秋元が感心したように「さすがの包容力です」と反応。対して柄本は「褒めて頂いて、ありがとうございます!」と両手を広げる。柄本によると、バレエ団には秋元のファンが嫉妬するぐらい多く、秋元はクールなのに喋ると面白いという、一番ずるいパターンだそうだ。終始、仲の良さが伝わり、ほのぼのとした対談であった。

◆秋元康臣×福岡雄大

大阪のガラで出会った当初から、秋元は福岡を「完璧」と思っていると明かし、主に秋元が福岡に質問する形で進んだ。バレエを始めた時にはすでに小学3年生で、ぽっちゃり体形だった為、可愛い時代はなく、先生に「痩せなさい」と言われていたこと、コンクールは辛かった思い出しかないこと、スイスのチューリッヒ・バレエに留学した際は、はじめは英語ができなくて引きこもっていたが、当時バーミンガム・ロイヤルに留学していた福田圭吾と会うのが楽しくて、太ってしまったこと等々、福岡は、華々しい経歴にも関わらず、それを美化することなく、淡々と明け透けに話すのが面白い。筋力の維持について聞かれると、福岡は、根底にあるのはクラス、そしてリハーサルをきちんとすること、そして、例えば『マノン』の場合には、半年前から、ふくらはぎを鍛えようとか、ルルベを強くしようとか、パートナーとのバランスも考えて早めに対策をしておくと言い、プロ意識の高さがうかがわれた。秋元が「どこかが痛いと、僕はコントロールと言って休んでしまう。でも練習しておきたい。そのせめぎあいです」と告白すると福岡は「それは永遠の課題。正解は分からない。重症化させないのが大事」と返した。コンテンポラリーとクラシックにおける身体の使い分けについて聞かれると、福岡は、クラスから変えていくが、コンテの後のバレエは難しく「スイッチで変えられたらいいのに」と表現した。最後は、こんな時だからこそ、いつもは忙しい二人が対談できて良かったと締めくくった。

◆池本祥真×高田茜

同時期にボリショイ・バレエアカデミーに在籍していた二人。クラスが異なり、お互いに人見知りだった為、在籍時にはほとんど話したことがなかったそうだ。今回も二人ともはじめは緊張していたが、ロシアの思い出で盛り上がり、打ち解けていった。途中で、二人がアカデミーで踊った『パリの炎』のパ・ド・ドゥの秘蔵映像が流されるという嬉しいサプライズもあった。池本は、舞台上でのキリリとした佇まいとは異なり、シャイで、おっとりしている。対して高田には、いつもとは違って、しっかり者の一面が見られ、対談は、高田がリードする形で行われた。ボリショイ・バレエ団の元ファースト・ソリストの岩田守弘による講習会に参加したのをきっかけにボリショイ・アカデミーに入った池本は、はじめは言葉の違いに苦労し、緊張してバーを握りしめ、手にマメができてしまったと言う。高田は、バレエに加えて、キャラクター、ジャズ、宮廷舞踊と踊り漬けの毎日、そして、音楽史もバレエ史も学べる環境が本当に楽しかったと振り返る。また、食中毒が発生し、食堂で食べた子は学校の中の小さな病院に入院することになり、彼女もその一人だったことを明かして、懐かしそうに笑った。池本は、卒業後に国立バレエ・モスクワに入団。同級生が一緒だったこともあり、戸惑いはなかった。むしろ、日本に帰ってから最初に入団したバレエ団はロイヤル・スタイルだったため、池本はロシア的過ぎると言われ、あまり活躍の場がなく、プロは求められているものをきちんと見極めないといけないことを学んだと言う。一方の高田は、ローザンヌでの入賞をきっかけに、アカデミーを卒業することなくプロになることを選び、英国のロイヤル・バレエ団に入った。ロシアで伸び伸びと学生生活を送っていたのが一変し、プロになると自己管理をしっかりしなくてはならず、演目も多くて覚えることに必死、そして言葉が大変だった。2年間ロシアにいた為に「イギリスにいるのにロシア語で返事をする変な日本人になっちゃった」と笑った。初めてホームシックになったという。それぞれの苦悩の時を経て、充実の時を迎えている同年代の二人。満を持して対談の機会を持てたことを喜んでいた。

◆上野水香×小野絢子

「おうちでバレエしてますか?」との上野の問いかけに小野は「してます。今、流行りなんで」と答える。真っすぐに熱く語る上野に対して、小野は照れくさそうに少しはぐらかしながら、飄々と話すのが好対照だ。二人とも舞台が無い期間というのは久しぶりだが、一人で自分に向き合い、見直す機会になっており、悪くないと感じているそうだ。自宅等の小さな空間で自分の身体や動きを細かく見ていると、大きな空間では見過ごしていた悪い癖が目に付くと言う。上野が、小野には変なところがないから、同じように感じているのは意外だと話し、上野のプロデュースしたガラ公演に小野と福岡が参加した際のエピソードを紹介した。上野が二人の踊りを完璧だと見ていたのに、袖に入るや否や二人でずっと問題点について打ち合わせをしている姿に、ここまで突き詰めるからこそなせる緻密な踊りなのだと衝撃を受けたそうだ。一方、小野は上野に対し、白のレオタード一枚のようなシンプルな衣装で踊っていても、後ろにいつもダリアの花が咲いているようで、輪郭がくっきりとして匂い立つような踊りをすると感じていると言う。上野が「皆で集まってレッスンして、作品を作っていたのがどれだけ奇跡だったのかと思う。私生活で嫌なことがあっても、バレエ団に行ってレッスンすれば忘れられる」と話すと、小野がすかさず「忘れますか?」と反応したのには笑った。一点集中型で他は忘れてしまうのが、悪いところでもあると言う上野に対し、小野は、周りを見過ぎてしまい「集中して!」と言われるそうだ。「それだけ気遣いしつつ、プリマを続けているって強靭ですね」と指摘されると、「周りがどうにか扱ってくれているんです」と小野。そして上野も「私もそれはそうです」と微笑んだ。好きなバレエ音楽を聞かれると、小野は、難しくて選べないとしながらも、ストラビンスキー、そして、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』を挙げた。彼女を見出したデヴィッド・ビントレーが振付で、ビントレーは音へのこだわりが強くて大変だった。どの作品でも不可能と思われる課題を毎回与えられている感じだったと振り返る。上野は、彼女を見出したローラン・プティに同じことを感じており「こんなことできない」と思っても実際に踊ってみると自分にマッチしていて、評判も良く、こんな自分もいたのだと気づかされた。そういう出会いは貴重だと語った。日本を代表するプリマ二人の素の部分が垣間見られる対談だった。

◆上野水香×高田茜

本番に向けての意識の高め方について、高田は、英国ロイヤル・バレエ団では、カンパニー専属のサイコロジストにイメージトレーニングを習っているとのこと。過去にスタジオと舞台での感覚の違いに悩んでおり、舞台では身体のコントロールが思うように効かなかったことがあったが、スタジオで稽古中に舞台にいる自分を想像するトレーニングをするようになって、舞台上で楽になり、練習と同じことが本番でできるようになった。メンタルの大切さを痛感し、スタジオでの練習から、床を感じながらやっていくとうまく行くということも学んだと言う。トウシューズに話題が移ると、上野が「縫っている糸1本で変わるし、作品や幕によって使い分けている。トウシューズは永遠の課題」という言葉にプロとはそういうものかと感心した。どの作品が体力的にきついかという話では、パ・ド・ドゥだけで言うと二人とも『くるみ割り人形』で一致。バリエーションからコーダ、特にバリエーション後半のパ・ドュ・シャが辛いと本音を漏らした。スターダンサーの二人でもやっぱりここは辛いのだなと、深くうなずいた。

◆上野水香×町田樹

バレエとフィギュアスケートの第一人者が、それぞれの踊りに最も大切な「音楽」について深く語り合った。町田の何事も突き詰める姿勢に圧倒されながらも、上野の考えがどんどん引き出される形で対談が進んだ。町田は現在、高岸直樹にバレエを習っており、フィギュアスケートは音のダイナミズムを表現するのに対し、バレエは顕微鏡でミクロの世界を覗くような、細かい音の息遣いまで表現すると感じている。そのダイナミズムと繊細さを融合できたからこそ、自分の世界が創れたと言う。町田は、尊敬している人としてマリインスキー劇場の指揮者ワレリー・ゲルギエフを挙げ、彼は通常はタクトを持たず、指1本1本で指揮をして、色々な楽器から出る周波数を指で表現し、統御していく。指先で踊っている、その指先の繊細さがバレエに通じると語った。「バレエをしていると指先で空気を触っているようで、空気の抵抗に敏感になり、感覚が研ぎ澄まされていく」と表現すると、上野から思わず「私が、なんとなく感じていたことを言葉にしてくださった」と感嘆の声が漏れた。フィギュアスケートには古典がなく、オーダーメイドで作って、それをシーズン通して踊り込んでいくが、町田が上野のホームページを見て、レパートリーを数えたら54作品もあって驚いたことを告白すると、数えているのが町田らしく、笑いを誘った。そのレパートリーの殆どは踊り継がれてきた作品だが、そこではどのようにして自身の個性を出すのかという質問に対して、上野の答えは「間(ま)」だった。音符と音符の間の無の瞬間をどうアーティストが捉えているかによって、個性が出る。音と振りが決まっているところは同じでもその「間」にその人が見えると言う。町田のパフォーマンスを見た上野が、音楽に対して敏感で、ジャンプから着地の音まで決めているのに感銘を受けたと伝えると、町田は、モットーは音楽を視覚化すること。そしてシンフォニックな要素に、思想や感情も入れたいので、一つの動作の必然性を考える。だから、ジャンプの着地まで計算している。音楽に合うとテクニックも成功しやすいという面があると明かした。他にもベジャールとプティなど振付家と音楽の話や家でのトレーニングの様子など、話は尽きない。分野は違えど、互いの踊りや音楽に対する姿勢を知り、良いところを取り入れようとする姿勢が印象的だった。

◆高田茜×山本康介

イギリスからの帰国後の隔離期間を経て久しぶりに外出した高田に対し、帰ってきた姿を見てホッとしていると、山本が声を掛ける。山本はロイヤル・バレエの平野亮一と仲が良く、その関係で、自身を人見知りと言う高田は、気さくに声を掛けてくれる山本に感謝していると言う。高田の所属するロイヤル・バレエと山本が所属していたバーミンガム・ロイヤルバレエは姉妹関係にあり、カンパニー間での移動も多い。ロイヤルの監督であるケヴィン・オヘアもバーミンガム出身であるし、ロイヤルに移ったアレクサンダー・キャンベルもウィリアム・ブレイスウェルもそうだが、バーミンガムは気さくで優しい人が多いイメージだと高田が語る。山本の場合は、ロンドンにいた親戚経由で資料を取り寄せ、国際郵便で手書きの願書を送り「頼もう!」とドアを叩いて入学した感じで、 ローザンヌでの入賞を機にイギリスに渡った高田に比べ、アンティークな手法だったと笑う。ダンサーからどのように次のキャリアに移ったのかという質問に対し、山本は、バーミンガムでは自分で求めた以上に王子を含め全ての役をさせてもらい、達成感があった。また、日本に住んでみたいという気持ちが強くなり、若くてパワーがあるうちに次のステップに行く準備をしたほうが良いと思うようになった。イギリスでは、ダンサーの次のキャリアについてサポートする体制がしっかりしており、講習会に参加してみてやはり、イギリスのバレエと日本をつなぐことをやってみたいと、10年ぐらい前から思うようになった。今、こうしてお話しができる環境にいられて嬉しいと話すと、高田も同じように、日英の懸け橋になって行きたいと明かした。最後に、今の状況でモチベーションをどう保っているか聞かれると、高田は、好きな役を一つ決めて、「一人バレエ」をしている。子供の頃から行っているので、これが原点だとはにかんだ。山本は、ストレスをためる期間じゃなく、踊りたい気持ちを育てる期間だと思って、「一人バレエ」でもなんでもして、頑張って行こうと結んだ。

◆柄本弾×八幡顕光

12年以上前に初めて会った二人。当時の印象は、柄本については「少年」、八幡に対しては、憧れのダンサーであり、テクニックの切れが素晴らしく、なんでも100%というイメージだったと言う。八幡は、自身について、体力的にそれほど衰えているとは思わないが、最近はコントロールしていかないといけないと感じていて、昔より無駄な力が抜けたと言う。柄本が、数年前に足首を痛めて手術をしたことで、ジャンプが今迄通りにはできなくなったり、調子が悪い日が多くなったりしたのを機に、踊り方を変えないといけないと思うようになったと告白したのに対し「痛みが出るというのは、自分を見つめ直すきっかけになる」と八幡が返した。お互いに観てみたい役を聞かれると、八幡は、今迄あまり観る機会がなかったから、改めて、柄本によるベジャール作品を観てみたいと言い、柄本は八幡のブロンズ・アイドル(『ラ・バヤデール』)を挙げた。八幡は、東京バレエ団のマカロワ版は、3幕がブロンズ・アイドルが座っているところから始まっていて、憧れている。ただ、金粉を塗っているとヌルヌルしてウォーミングアップが儘ならないし、転ぶと床に付いてしまうから、実際は大変だと笑った。ダンサー冥利に尽きると思った瞬間については、八幡は、やはり『アラジン』の初演で主演したことと答えた。一から作らせてもらえたし、小柄なダンサーが全幕物の主役を踊る機会になったことで、格別な思いだったそうだ。柄本もバレエ団の初演の主役に選んでもらえるのは、バレエをやっていて良かったと思う瞬間と言う。マッツ・エックの『カルメン』でシルヴィ・ギエムがカルメン、柄本がエスミリオを踊った折には、スウェーデンに一緒に行き、エック夫妻を尋ねたことがあった。とても緊張して、ギエムに対して、エック独特の振付(お腹を蹴ったり、顔をベチョっと触ったり)をどこまでしていいのか葛藤があったが、あれこそダンサー冥利に尽きる経験だったと振り返った。

《ライブインタビュー》

バレエ専門WEBメディア「バレエチャンネル」提供で、編集長の阿部さや子がゲストアーティスト4人に1対1でそれぞれ約1時間のインタビューを行った。視聴者からの質問がたくさん寄せられ、基本はそれに答える形で進んだ。

◆飯島望未(ヒューストン・バレエ団 プリンシパル)

所属するヒューストン・バレエ団の拠点、アメリカはテキサス州ヒューストンからの参加。プリンシパルに登り詰め、そのステータスを維持し続けるには、当然、並々ならぬ努力があるのだろうが、ストイックさを表に出さず、言われなければバレリーナとは思えない、おしゃれな今どきの若者という話しぶりだ。15歳で単身渡米した際にもホームシックはなし。マイムでは、バレエバレエしないように、日常生活のおしゃべりの延長のように、現代の人に伝わることを重視していると言う。メイクは、特にストーリーを伝えるような作品の場合には、薄目に、ナチュラルに。マメなどができないので、トウシューズはパット等は使わずに素足で履く。食生活を聞かれると、朝、昼はコーヒーのみだから参考にならないと笑う。技術的なことを問われると、自身は説明が下手だからと、仲良しのマリインスキー・バレエの石井久美子の動画を薦めた。日々のレッスンにおいて辛い時の乗り越え方を問われると、自分は感情の起伏が激しいが、それを敢えてコントロールしようとしない。辛いものは辛いし、落ち込むときは落ち込む。でもやるしかないと言い聞かせて誠実に続けて行けば、必ず見えてくるし、気付くことがあると回答。すると、インタビュアーの阿部が「本当に素直で真実しか言わない方だと、以前にインタビューした時にも感じました。それが舞台での魅力になっていると思います」と返した。モデルやファッションアイコンとしても活躍するだけあって「バレエ」という分野に縛られず、しなやかに、自分を取り繕うことなく進み続ける姿が垣間見られた。

◆オニール八菜(パリ・オペラ座バレエ団 プルミエールダンスーズ)

光差し込むパリの自宅から中継。飼っているのだろうか、鳥のさえずりが聞こえる和やかな雰囲気の中、インタビューが進んだ。ルームシェアしており、3食を自炊しながら、ルームメートとあれこれ話して過ごしていると言う。大切にしている言葉は「我慢」。日本のおばあちゃんから教わった言葉で、オペラ座の正団員になるまでは、まさに我慢の2年間だった。入ってからはトントン拍子で、昇進。しかし、プルミエールダンスーズになって、いきなりストップした感じがした。さらにケガで全然踊れなかった6カ月を経て、今年2月の日本公演ぐらいから、コントロールできない緊張がなくなり、やっと大人になったと感じて、バレエが何倍も楽しくなって来た矢先のこの外出制限。オペラ座が閉鎖されたのは初めてのことで、それはショックだった。しかし、ケガをして休養しているときには「どうして自分だけ?」と思ってしまうが、今は皆が同じ状況なので、ポジティブに捉えて、自宅でレッスンしていると言う。オペラ座の正団員になるための試験は、バーからセンター、最後にバリエーションと続くが、途中で落とされていく。また、オペラ座内での昇進試験では、決められたバリエーションを二つ踊り、自分で選んだバリエーションも二つ踊る。回転で軸を中心に保たなくてもよかったり、前に出てくるジャンプがしやすかったり、オペラ座の傾斜のあるステージが大好きで、特に『パキータ』や『ラ・シルフィード』はオペラ座で作られたから踊りやすいと言う。オペラ座の団員ならではの貴重な話も披露された。

◆金森穣(りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 舞踊部門芸術監督/ Noism 芸術監督)

Noismの本拠地である新潟からの出演。2018年の《上野の森バレエホリデイ》に参加し、東京文化会館の小ホールで公演を行った際の思い出話から始まった。金森本人がケガをしていたり、劇場が狭くて不安だったりしたが、ベジャールの没後10年で彼へのオマージュ作品、ベジャールと言えば東京文化会館ということで決行した。ベジャールのカンパニーには10代の頃にたった2年しかいなかったのに、歳を重ねれば重ねるほど、彼の事を思い出す。人生最小の舞台だったが、上野で公演ができたのは良い思い出で、温かい拍手など本番は鮮明に覚えていると言う。当時43歳で、半ば引退かと思っていたが、この公演を機に、実演家への復帰を決めたのだとか。自粛期間にあっては、Noismのメンバーには若く、一人暮らしのダンサーが多く、とても心配しており、グループLINEで体調等の確認をしているなど、リーダーとしての一面をのぞかせた。Noism結成からの15年を振り返ると、今迄もこれからも「戦い」と表現した。全て自分で要望しなければならない。全く舞踊の事は分からない行政の専門家達にどういう言葉で伝えれば理解してもらえるのか、どうすれば魅力を伝えられるのか、行政の成り立ちや考え方を勉強して、常に考えて来た。今もまさにこういう環境にあって、これからも戦っていかなくてはいけない。昨年の活動延長が大きな話題になったことに触れられると、今迄も同じような状況に陥っていて2、3年おきにこの波は潜り抜けてきているが、市長が変わって、メディアが取り上げて、全国的なニュースになった。今回も延長を許された途端にこの世界。その中でいかに志を全うすべく道を切り開いて行けるか、その為に賛同を得て行けるかが重要と話した。インタビュアーの阿部が、以前に金森が言った「舞踊は一回性の燃焼である。映像は時空を飛び越えられるけれども、舞踊は時間と空間にいつも縛られている」「再現不可能だからこその感動を伝えるのが我々のミッションだ。だから映像という記録ではなく、私たちの記憶に残す」との言葉が、胸にささった。その為、今回、Noismが映像を公開したことに驚いたと指摘すると、それに対する金森の返答が実に印象的だった。「それは単純に我々Noismのことを忘れないで欲しいって言葉に尽きるかな」。今後いつ、どのような形で一回性の燃焼を見せられるか分からなくなった世の中において、Noismが新潟で頑張っていることを忘れないで欲しいし、今度公演があったら観に行きたいと思って欲しい。今迄嫌がってきたことでも、あらゆることを尽くして皆さんと繋がっていたい。すべて映像で見られる時代にあって、今の若者達にいかにして劇場に足を運んでもらえるかが課題。映像を見て興味を持ってもらって「いつか、生でみたらどうなんだろう?」、「劇場に行ってみたい!」と思ってもらいたい。すべてはまた劇場で会うためにやれることをやろうと思っている。金森をしてこう言わしめる今回の危機はただ事ではないと筆者が痛感した瞬間であり、そうした本音を吐露してくれたことで、金森に対する親しみが湧いた。その他、金森が開発し、実践しているトレーニング方法「Noismメソッド」と「Noismバレエ」の説明、作品の創作における最大のインスピレーションである音楽についてなど、様々なテーマについて語った。そして最後に「いつか必ず劇場で会いましょう!」と締めくくった。

◆菅井円加(ハンブルク・ バレエ団 プリンシパル)

ドイツのハンブルクからの参加。ドイツでは、インタビュー当日の4月29日から少人数でのレッスンが許可され、インタビュー後に久しぶりにレッスンに向かうとのことで、ワクワクしている様子が伝わってくる。今をときめくトップバレリーナには聞きたいことがいっぱいで、次々と質問が投稿されるが、どんな質問に対しても、ユーモアを交えながら、自分の言葉で真摯に答える姿が印象的だ。おうち時間の過ごし方を問われると、カンパニーのバレエマスターが開催しているオンラインのクラスを受けたり、自主トレをしたりしている。モチベーションが無い時には落ち込むこともあるが、集中しているときには、飼っている猫(菅井を批判的な目でねっとりと見ている)をスマイルさせるぐらいに気持ちを上げて、ポール・ド・ブラなどをしているとか。食事は、良い機会なので、自炊をしていて、身体に良いものを積極的に取り入れている。彼女にはパーフェクトなイメージがあるが、身体のコアが弱く、それ補うために別の筋肉を使ってしまっていることに、この自粛期間中に気づけたのが収穫で、体幹を鍛えるためにピラティスやヨガ、そしてプランクを取り入れていると言う。ハンブルグ・バレエ団については、とにかくダンサーの表現力が素晴らしく、皆、個性が強い。監督のジョン・ノイマイヤーは、リハーサルでも新作のクリエーションの時にもダンサーからインスピレーションを得て、どんどん振りを変えていく。菅井自身の個性については「無いのが致命傷」と謙遜するが、皆から「エネルギッシュな踊りが似合う」と言われていて、そういう自分を発掘させてもらっているそうだ。そして、ノイマイヤーは挑戦的な役を与えてくれるので、その指導を受けるのが、とても勉強になると言う。踊ってみたい役は『椿姫』のマルグリット。経験も表現力もまだまだだから、いつか踊ってみたいと控え目だが、踊る日はそう遠くないだろう。「男性並みの身体能力はどのように培ったのか」については、子どもの時からとにかく動くのが好きで、体力から来ていると思う。男性のバリエーションが好きで、ソデバスクも動画でアップしている。「華とかオーラは意識しているか」については、ワクワクは音楽から来るので、音楽が自然と助けてくれると言う。昨年プリンシパルになって変わったことを聞かれると、それほどないが、仕事に対する気持ちが高まった。舞台に立つ回数が減ってモチベーションが下がったことはあったが、他のプリンシパルから、皆がそういう時期を乗り越えて来ていると聞いて、頑張ろうと思ったと語った。そうこうしているうちに50分が経過し、菅井がレッスンに行かなくてはいけない時間に。最後にコメントを求められると「家でトレーニングをしていると気分のアップダウンが激しくなり、この先どうなるんだろうと不安になるけど、みんな同じです。いまできることを全力でして、1日に何十回かは笑って、一緒に乗り越えたいです。では、行ってきます!」と言って、インタビューを後にした。菅井の話を聞いただけでもたくさんの人が笑顔になったことだろう。舞台で、あれほどまでに観客を惹き付ける理由が、分かった気がした。

『The Tour Story−東京バレエ団第34次海外公演密着ドキュメンタリー』

東京バレエ団は、日本では珍しい海外ツアーを行うバレエ団である。ツアーのニュースを聞くにつけ、どんな様子なのだろうといつも気になっていた。今回、2019年6月19日から28日間でポーランド、オーストリア、イタリアの5都市を巡った様子をまとめた待望のドキュメンタリー『The Tour Story』が公開された。『ザ・カブキ』、『ドリーム・タイム』、『タムタム』『春の祭典』等々、同バレエ団の珠玉のレパートリーの映像、大興奮の観客の歓声とともに、その裏側の努力や海外ならではの苦悩、そしてハプニング等々が臨場感たっぷりにまとめられていた。芸術監督の斎藤友佳理が涙しながらダンサー達を抱き寄せて好演を労ったり、野外劇場では、口に虫が入るのを気にしながらの公演になったり、普段見られないダンサー達の素の表情や名だたる荘厳な劇場の雰囲気、そして圧巻のパフォーマンスに惹き込まれ、あっという間の1時間であった。
    
《#みんなで踊ろう》

星野源がSNSで発表し、様々なユーザーがコラボして話題になった『うちで踊ろう』に東京バレエ団の岡崎隼也とブラウリオ・アルバレスがそれぞれ振付し、踊り方を詳しく解説した。SNSと連動しており、投稿があると彼らがチェック。うちでもどこでも、踊りがあれば楽しい時間、そして、つながりあえるんだという時代を象徴する企画だ。

《#バレリーナを描こう》

東京バレエ団のバレリーナがポーズを取り、カメラを360度回して撮影する。視聴者がスケッチしたら、それをツイッターに上げて、スタッフが感想を述べるという双方向の企画。工夫すれば、オンラインでもできるのだなあと、スタッフの努力と企画力に感心した。

その他にも、様々なバレエ団のダンサーが次々とメッセージを発信する《ダンサー・メッセージ・リレー》、ダンサー自身が色々な視点から丁寧に指導する「オンラインレッスン」等々、書ききれないほど、様々な配信があった。舞台を観られないのは残念だが、こうしたオンライン企画は、公開中には繰り返し再生できるメリットがあり、且つ、普段は聞けないダンサーの声が聞けて、彼らを身近に感じるようになったのも確かだ。

残念ながらコロナ前の形で公演を行うには、まだまだ時間がかかりそうだ。しかし、舞台芸術の灯を消さない為に、手をこまねいている訳にはいかない。そんな中、このような大規模なオンラインイベントを行ったのは、国内の舞踊界では初であり、今後のモデルケースになるだろう。このイベントを通して、バレエファン、ダンスファンが増え、安心して公演が行えるようになった暁には、劇場に足を運ぶ人の増加につながるよう切に願う。

(吉田 香 2020/4/25-29, 一部プログラムは5/6まで延長)



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October 18, 2019


舞踊作家協会のメンバーだった花柳寿南海と折田克子を追悼する会が行われた。雑賀淑子がエルガーの音楽を使って振付けた“プロローグ”に、黒衣の石黒節子、江原朋子、加藤みや子、ケイタケイ、雑賀淑子、田中いづみ、玉田弘子、平多実千子、木許恵介、小島直子、桑原麻実、伊藤友里絵が登場し、舞台中央に立つ木許から、ひとりひとり白い花を受け取り、それを二人の霊に捧げた。

第1部《折田克子の思い出を語る》は、彼女が踊る『紅い月夜』の映像から。これは1991年2月に行われた舞踊作家協会女流展《それぞれの四季》でのソロ。折田のしっかりした体幹からあふれ出す動きによる確かな語り掛けが、観客に在りし日の折田の実力を実感させた。次いでパッヘルベルの音楽を使った『カノン』を石井みどり・折田克子舞踊研究所の手柴孝子、仲野恵子、松永茂子、阿部友紀子、木許恵介、日野利和が踊り、師を追悼した。

《座談会》となり、雑賀淑子の司会で、尾上墨雪、手柴孝子、仲野恵子、花柳茂珠、新井雅子、山野博大が二人の思い出を語った。手柴、仲野が折田の日常を紹介し、花柳茂珠が彼女との交友を、また尾上墨雪らが花柳寿南海の踊りの奥深さを語った。

第2部の《花柳寿南海の俳句を踊る》では、彼女が詠んだ俳句を、花柳面、森嘉子が踊り、雑賀淑子の琵琶と松尾慧の笛が語りかけた。「ものうげに梅雨の晴れ間の白き人」を白い衣裳の花柳面がしみじみと舞い、「風鈴のビードロ涼し夏座敷」をアフロ・ジャズ・ダンスの森嘉子がゆったりとした動きを使い、日本の家の夏の風景を創り出した。そして「けい古日の夜は必ず冷や奴」を雑賀淑子の琵琶と語り、松尾慧の笛が、寿南海の好みを観客に伝えた。これらの俳句は、舞踊関係者で作る“まよい句会”の席で寿南海が披露したもの。この句会はすでに半世紀近い歴史を有し、故人となった貝谷八百子、谷桃子、志賀美也子、有馬五郎、庄司裕らもメンバーだった。句作は二の次で、おしゃべりと飲み食い優先の“句会”が今も年に1,2度、神楽坂で開かれている。

花柳寿南海が舞踊作家協会女流展《それぞれの四季》で踊った『立春の舞』の映像となった。きりりと引き締まった寿南海の動きの迫力が客席を圧倒した。

二人の稀有な才能に恵まれた舞踊家が遺したかけがえのない成果は、それを見た人の記憶の中にしかとどまらないという舞踊芸術の潔さに想いを馳せた会だった。

(山野博大 2019/9/3 ティアラこうとう 小ホール

jpsplendor at 23:39

October 06, 2019


小㞍健太と湯浅永麻が指導する“さいたまダンス・ラボラトリ”の夏季集中ワークショップ公開リハーサルを見た。このワークショップは昨年8月にもやっており、その時はオーディションで選んだ24名がリハーサルに登場したが、今回は22名。まず小㞍と湯浅が属していたネザーランド・ダンス・シアター(NDT)のイリ・キリアン作品『Whereabouts Unknown』の練習に22名が4組に分かれて取り組んだ。からだの束縛を振り切って思いきり跳んだり、回ったり、走ったりを繰り返す彼らは、元気に遊ぶ開放感を共有していた。さらに小㞍振付の『Inscription』の一部を踊った。これも何組かに分かれて同じ動きを繰り返し、動きと掛け声により場面がいろいろに変わって行くプロセスを追った。

小㞍と湯浅が共に振付けたデュエット『Breakwave』の抜粋を二人が踊った。全力でぶつかり合うところも多くあるのだが、両者の呼吸がぴたりと合ってひとつの緩やかで濃密な流れが現れた。ワークショップ参加者に彼らの遠い到達点を示すデュエットだった。

最後は湯浅の振付けた『妖精の庭』を22名のワークショップ参加者が踊った。しだいに中心のふたりに焦点を合わせて行く流れに、ひとりひとりが自分の持ち場を考えながら懸命に取り組む。このような繊細な場面の変化を力一杯で動きながら、かなりのところまで表現できることを、オーディションで集めた22人に短期間で教えたワークショップの驚くべき成果に、大きな拍手がわいた。

(山野博大 2019/8/31 彩の国さいたま芸術劇場 大稽古場)

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September 27, 2019


第39回ニムラ舞踊賞の授賞式が行われた。今回の受賞者は東京シティ・バレエ団の芸術監督の安達悦子だった。授賞式は例年、新村英一の出身地である諏訪市で行われる。
ニムラ舞踊賞を出している諏訪市の関係者、受賞者、選考委員などが集まり、新村英一の眠る頼岳寺での墓参から例年同様一連の行事が始まった。彼は生前、故郷の墓で眠ることを考え、そこに詣でてくれる人が絶えないことを願ってニムラ舞踊賞の制定を目論んだ。そして諏訪湖畔に建つ古い名旅館“ぬのはん”の当主に賞の基金を託した。それを途中から諏訪市が受け継ぎ、ニムラ舞踊賞は現在に至っている。

今まで授賞式は諏訪市の図書館で行われていたが、今回から上諏訪駅前に新しく出来た“テラスすわっチャオ”に変わった。この会場は一般にも開かれた場所であり、通りがかりの諏訪市民にもニムラ舞踊賞の意義がよりいっそう知られるようになった。

式は選考委員の山野博大による選考経過の報告から始まった。ニムラ舞踊賞は、日本の舞踊界で優れた業績をあげた舞踊家、その関係者の中から選ぶ。しかし他の舞踊賞よりもきめ細かく選考の目を配ることで、受賞者の範囲を広げてきた実績を持つ。そして今回は、芸術監督という舞台全体の運営に関わる仕事の果たした業績に着目した。加藤みや子、三谷恭三、稲田奈緒美、長野由紀、山野の5委員が選考にあたり、東京シティ・バレエ団の創立50周年記念公演における『白鳥の湖』再演で藤田嗣治がこのバレエの全幕日本初演のためにデザインした舞台美術の復刻を果たし、ウヴェ・ショルツ作品の上演で古典と現代の有機的統合の成果をあげた安達悦子を選んだのだった。2009年の芸術監督就任以来の日本バレエ界への貢献も選考理由に加味された。

ニムラ舞踊賞に関わるスポンサー企業の紹介があり、運営委員長の金子ゆかり諏訪市長から賞状、賞金、賞牌が贈られた。地元の舞踊家から贈られた花束を抱えた安達の丁重な謝辞があり、式は終了。その後、関係した舞台の映像上映に続き、安達と稲田奈緒美によるトークショーが行われた。この中で安達は、外部に対するバレエ団の働きかけにいっそう力を注ぎ、地元の人たちをはじめ、広く社会全体のためになるよう努力して行くことを約束した。

“ぬのはん”宴会場で、金子市長と受賞者の安達悦子を囲む祝賀会が行われた。ニムラ舞踊賞を諏訪市が引き継ぐ時に力を尽くした山田前市長も出席して、諏訪市醸造の銘酒が行き交うにぎやかな祝宴となり、最後は諏訪湖畔で打ち上げられる花火を見物して散会した。

(山野博大 2019/8/21 上諏訪・テラスすわっチャオ)


jpsplendor at 20:28

August 02, 2019

5月10日、戦後のバレエ・ブームの頃にスターの座につき、以後ずっと日本のバレエ界をリードし続けてきた関直人が亡くなった。享年89。7月26日、彼が長く芸術監督として働いた井上バレエ団が“関直人先生お別れの会”を渋谷エクセルホテル東急6階のプラネットルームで行った。彼と共に日本バレエ界を盛り立ててきた同年代の仲間たちをはじめ、彼の教えを受けた多くの後輩たち、彼の周囲にあって共に人生を歩んだ者などが集い、その功績を偲んだ。

まず、井上バレエ団理事長の岡本佳津子が立ち、彼の最後の様子について語った。前の日に体調が悪いので「教え」を休むという電話があったのが最後だったようだ。患うこともなく、前の日まで元気に日本のバレエのために働いてこられた関直人の終焉を、うらやましく思った人は多かったのではないか。

指揮者の福田一雄、松山バレエ団の清水哲太郎・森下洋子ら多くの者から、さまざまな関直人像が語られた。近くのオーチャードホールから仕事着のまま駆けつけた熊川哲也は、北海道で教えを受けた頃の想い出を語り、日劇で彼の教えを受け、後に“マツケン・サンバ”で大いに売った真島茂樹は、彼の振付の奥の深さを実演入りで明かして会場を沸かせた。

福島県に生まれた関直人(本名=関根直治)は、1946年の東京バレエ団による『白鳥の湖』全幕日本初演を見て、その振付を担当した小牧正英の門を叩く。たちまち頭角を現し、1948年11月に東京バレエ団が有楽座で行った第4回公演で『白鳥の湖』を谷桃子と踊った。19歳だった。1950年11月に小牧バレエ団が行った『ペトル―シュカ』日本初演では、ペトルーシュカを演じた小牧正英、バレリーナの広瀬佐紀子/笹本公江(ダブルキャスト)と共にムーア人を踊り、世界初演のニジンスキー、カルサヴィナ、チェケッティの向うを張った。1952年に小牧バレエ団がソニア・アロワを招いて行った『眠れる森の美女』全幕日本初演では、新進の須永晶子と『青い鳥』を踊り、当時の日本バレエ界若手の技術力の高さを内外に示した。

彼は創作の面でも早くから才能を顕した。1956年7月、日比谷公会堂で行われた小牧バレエ団新作公演でドビュッシーの音楽による『海底』を発表した。魚に見立てた女性ダンサーを男性がリフトして泳がせる動きの執拗な繰り返しが、大自然の奥深さに通ずる舞踊表現となった。

小牧バレエ団で多くの経験を積んだ関直人を、日本各地のバレエ団が迎えて舞台づくりを頼むことが多くなり、彼の日常は超多忙となった。そんな彼のことを、小林紀子、三谷恭三、佐々保樹、森田健太郎、うらわまことらがさまざまな角度から語った。彼は関わるバレエ団ごとに、実情に合わせて舞台を作ることのできる稀有な「職人技」の持ち主だった。

福島県に住む関直人の親族から、無事に納骨が済んだことの報告があった。生涯独身を貫きバレエの道に専心した彼を、親戚の人たちは「彼の魂は福島のお墓にとどまることなく、日本中のバレエの現場に寄り添い続けるにちがいない」と語った。さらに彼の隣人で飲み友達だったという人が登場して、バレエ以外の関直人の飾らぬ日常を語るという一幕もあり“関直人先生お別れの会”は終始暖かい空気に包まれたまま進行した。

私は、井上バレエ団の諸角佳津美から献杯発声の依頼を受けていた。若い頃には近寄ることもできなかった大スター関直人の“お別れの会”で、こんな大事なことをやらせてもらってよいのだろうかという想いがあった。4月7日に行われた“小牧正英先生を偲ぶ会”の世話人代表として、同じ渋谷エクセルホテル東急の、同じ会場で、師の遺影に杯を献じた関直人の姿を思い出しつつ、大役を果たした。日本のバレエ界は大事な人を送り出してしまった。(文中敬称略)

(山野博大)


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July 31, 2018

三年に一度のバレエの祭典『第15回世界バレエフェスティバル』(世界フェス)。AプロとBプロがそれぞれ5公演、そして恒例の特別ガラが今年は『Sasaki Gala』の名称で、東京公演最終日の15日に上演される。Aプロの開幕が間近に迫った7月30日、東京文化会館大ホール舞台上で記者会見が開催された。主催の公益財団法人日本舞台芸術振興会(NBS)専務理事の高橋典夫氏と、特別協賛の株式会社コーセー代表取締役社長小林一俊氏の挨拶ののち、すでに来日中の出演者34名が登壇。フランス語、ロシア語、英語の通訳を交えて、一言ずつ意気込みを語ってくれた。

写真 2018-07-30 16 58 36
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outofnice at 22:01

June 28, 2018

629日より、東京バレエ団がウラジーミル・ブルメイステル版『白鳥の湖』を上演する。2016年に初演された同作は、その前年芸術監督に就任した斎藤友佳理の手がけた初の大作であり、公演の成功は大きな話題を呼ぶとともに、彼女の秀抜な手腕を示すところとなった。再演となる今回は、上野水香・柄本 弾(29日)川島麻実子・秋元康臣(30日)、沖 香菜子・宮川新大(71日)の3組が主演。中でも、この4月にプリンシパルへと昇格したばかりの沖と宮川にとっては初役である。開幕を数週間後に控えた某日、このペアによる公開リハーサルが行われ、ブルメイステル版のハイライトと言っても過言ではない第3幕、舞踏会のシーンがお披露目された。

 ロットバルトの手先たちによる各国のキャラクター・ダンスが、不穏と高揚の入り交る圧倒的  な“悪”のパワーを舞台に漲らせてゆく同場面。この日は、一部変則的なキャストであったが、井福俊太郎を始めとする道化たちの快活な掛け合いや、スペインを踊った奈良春夏の力強さ、ナポリの秋山 瑛が醸し出すコケティッシュな雰囲気など、それぞれの踊り手の持ち味が物語の密度を高めてゆく。オディールとジークフリート王子のグラン・パ・ド・ドゥでは、妖艶ながらも高貴な魅力に溢れた沖と、端正かつ柔らかな動きが光る宮川との化学反応が、やがて待ち受ける展開をいっそうドラマティックに昇華させていた。 

写真 2018-06-12 18 07 23その後の記者懇親会には、沖・宮川と斎藤芸術監督が登壇。ふたりは、年明けから入念にリハーサルを重ねてきたというが、目指す理想は限りなく高い。

「『白鳥の湖』は、“古典の中の古典”であり、クラシックの基本。難しいのはもちろんですが、それはクリアしなければいけないことでもある。考えなければいけないこともたくさんですが、だからこそやりがいもありますし、この作品に取り組めることの幸せを感じながら、毎日のリハーサルに取り組んでいきたいと思います」と沖は語る。宮川も「自分の中でまだゴールが見えていないし、そもそもゴールというものはないのではないか」と感じているという。日々葛藤しながら、自分自身で王子像を作りあげてゆくことが、本番までに残された最後の課題のようだ。そして、お互いに関しては、「きちんと話し合ってパ・ド・ドゥを作り上げていけるので、一緒に踊れてよかったなと思います」(沖)、「どんなに疲れていても練習に付き合ってくれて、意見も言いやすいので、僕自身も勉強になる。沖さんが気持ちよく踊れるようにもっと努力していきたいです」(宮川)と、信頼関係の上にこそ成り立つパートナーシップも磐石である。

 また、会見の冒頭では、今回の上演に際し、約200点もの衣装を新製作したことも伝えられた。気鋭のペアを主軸に据えたキャスティングも、細部にまで一流の美意識が宿る真新しいコスチュームも、すべては「将来につながるように」という斎藤監督の切なる想いがあるからこそ。次世代を担う若きスターの誕生と、バレエ団の更なる飛躍を見届けたい。

(取材&文 宮本珠希)



piyopiyotamaki at 17:57

February 02, 2018

ハンブルク・バレエ団2018年日本公演に先立ち、記者会見が開かれた。同日日本に到着したばかりの、芸術監督ジョン・ノイマイヤー氏、ダンサーのアレクサンドル・リアブコ氏とアレクサンドル・トルーシュ氏、そして同団広報部長のフォン・ヨルン・リクホフ氏が出席し、作品への思いを語った。


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