November 29, 2020

日本舞踊の可能性 vol.3


藤間蘭黄が、創作舞踊『徒用心(アダヨウジン)』〈セビーリャの理髪師〉と『禍神(マガカミ)』〈ファウスト〉の再演により《日本舞踊の可能性》を広げるための公演を行った。

モーツァルトのオペラ『セビーリャの理髪師』を翻案した『徒用心』は、2012年11月の第18回蘭黄の会で初演。台本を河内連太が書き、蘭黄の振付・主演で、五耀會のメンバーの協力出演を得ての上演だった。しかしその振付は、蘭黄の弟子の女性たちを使ってまず創り、それを五耀會のメンバーに移して初演の幕を開けたのだった。今回は、かつて最初に稽古場で『徒用心』を踊った女性たちの出演により再演を果たした。

アルマヴィーヴァ伯爵(藤間蘭翔)とロジーナ(花柳楽彩)をめぐる、髪結いフィガロ(花柳喜衛文華)らの大騒ぎを、色違いの衣裳を着た5人の女性舞踊家が達者に演じた。ナヴィゲーター役の桂吉坊(落語家)が開演前に内容をていねいに説明したばかりか、公演パンフレットにもストーリーを詳細に記し、ことの顛末を観客に伝えることに万全を期した上での上演だった。しかしそこまでやっているにもかかわらず、元のオペラになじみのうすい日本舞踊の観客には、入り組んだ人間関係のおかしさが完全に通じていなかったのではあるまいか。女性舞踊家5人の動きのやりとりのおもしろさを楽しむ段階で満足していたような気がする。

舞踊で複雑なストーリーを語ることは、なかなか難しい。だから日本舞踊は三味線伴奏の語りで成り行きを説明する。この『徒用心』もそうしているのだが、初めての場合はなかなか歌詞を聞き取れないものだ。だから、再演を重ねて、観客に慣れてもらわなければならない。この『徒用心』は、動きのおもしろさは十分に出来ている。何度も上演して観客の心にストーリーを焼き付けて行くうちに《日本舞踊の可能性》が拡がり、海外の人たちにも理解してもらえる演目になると思う。

『禍神(マガカミ)』は、ゲーテの長編「ファウスト」を藤間蘭黄が一人芝居に仕立て直し、2008年に中村梅玉が踊った。今回は蘭黄自身が、ファウストの多くの登場人物のすべてを一人で演じた。杵屋勝四郎の作曲・作調、藤舎呂英の作調で筋書を流し、ファウストの数奇な行状を手際よく伝えているのだが、一回聞いただけでは複雑なストーリーをなかなか理解できない。紫綬褒章受章が報道されたばかりの蘭黄の、多彩な動きのおもしろさに目を瞠るうちに幕が下りてしまう。このソロ作品も、再演を重ねて観客に十分に慣れてもらう必要がある。《日本舞踊の可能性》を広げて行くのは、なかなか大変だ。

(山野博大 2020/11/3 浅草公会堂)

jpsplendor at 16:50舞台評 | 短評
記事検索