May 03, 2020

東京バレエ団『ラ・シルフィード』(フィリッポ・タリオーニ原案による)ピエール・ラコット版再演の成果


東京バレエ団が、ピエール・ラコット版『ラ・シルフィード』を4年ぶりに再演した。芸術監督の斎藤友佳理がステージングを担当し、タイトル・ロールを沖香菜子(21日)と川島麻実子(25日)が踊った。私は沖の日を見た。

幕が上がると、農家の居間で居眠りしているジェイムズ(秋元康臣)にラ・シルフィードが寄り添うおなじみの場面。白いロマンティック・チュチュの沖の軽やかな妖精ぶりがまず目に焼き付いた。1984年に東京バレエ団がラコット版『ラ・シルフィード』を初めて上演した時にタイトル・ロールを踊り、2005年にマチュー・ガニオとの歴史的名演を残した斎藤友佳理の指導による舞台は、エフィー(秋山瑛)との結婚を目前にしたジェイムズの身に降りかかった「異変」を、手際よく物語るものだった。そこには、魔女マッジ(柄本弾)の不吉な占いの場面があり、ジェイムスとエフィーの間に割って入るラ・シルフィードの変幻自在ぶりなどの見せ場があった。それらを囲む、結婚を祝う客たちを踊った東京バレエ団の厚みある群舞がラコット版の特徴を際立たせた。

『ラ・シルフィード』は、1832年にフィリッポ・タリオーニの振付、ジャン・マドレーヌ・シュナイツホーファーの音楽により、マリー・タリオーニの主演で初演され大評判になったバレエだ。その評判を聞いたデンマーク王立バレエ団が上演を意図し、振付、音楽の使用許可を申し込んだ。しかし断られてしまったために、オーギュスト・ブルノンビルの振付、ヘルマン・ロヴェンショルドの音楽による独自の『ラ・シルフィード』をルシル・グラーンの主演で1836年に上演することになったのだ。その後、タリオーニ版はなぜか上演されなくなってしまったが、ブルノンビル版は世界のバレエ団に伝えられ、今ではロマンティック・バレエの代表作となっている。

100年以上も忘れられていたタリオーニ版の復活をパリ・オペラ座が計画した。再現を依頼されたピエール・ラコットは手を尽くして資料を収集し、1972年にシュナイツホーファーの音楽による復活上演を果たした。このフィリッポ・タリオーニ原案によるラコット版を、東京バレエ団は1984年にレパートリーに加えたのだ。

日本ではブルノンビル版が主流で、ラコット版をレパートリーに持つのは東京バレエ団だけだ。音楽はまったく別物なのだが、舞台の進み具合や衣裳はそっくりなので、さほどの違和感なく両方の版を見ることができる。しかし、ラコットの再現したものは20世紀のバレエの仕組みが背景にあり、語り口がいかにも流暢だ。19世紀のものを引き継ぐブルノンビル版の持つ素朴な感触からはやや遠い感じがある。第2幕のコール・ド・バレエの複雑な動きの流れにもその違いは、そっくりそのまま引き継がれる。

私は、2017年に来日したパリ・オペラ座バレエ団(芸術監督:オレリー・デュポン)の、ラコット版『ラ・シルフィード』を、アマンディーヌ・アルビッソンのラ・シルフィード、ユーゴ・マルシャンのジェイムスで見た。その時にアルビッソンのいかにも妖精らしい「軽さ」、マルシャンの時代を感じさせる確かな演技に、これぞロマンティック・バレエという感触を得た。シュナイツホーファーの作曲をアドルフ・ヌーリが編曲した音楽は、ブルノンビル版のロヴェンショルドよりも多彩な情景を描いていた。しかし、フランスで生まれたロマンティック・バレエ『ラ・シルフィード』の歴史的な持ち味は、ラコット版よりも、ブルノンビル版の方により多く残っているという実感はゆるがなかった。ラコットは、タリオーニの原案をいろいろと調べて復活上演したのだが、彼自身が生きている「今」を排除することはできなかった。

こんどの斎藤友佳理のステージングは、彼女自身がロシアのバレエ界で育っただけに、どこかに「ロシア風」を感じさせた。冒頭のジェイムスに寄り添う沖のポーズの美しさは、間違いなくロマンティック・バレエのものだった。しかし秋元の思い切りのよい動きは鮮やかなロシア風。ラコットが作った「今」を感じさせる第1幕の群舞のシーンあたりになると、その感じはいっそう強くなった。斎藤は、2011年にラコットがモスクワ音楽劇場バレエに『ラ・シルフィード』を指導した際に、助手として働いたキャリアを持つ。ラコットが『ラ・シルフィード』についてどう考えているかを知らないわけはない。彼女はその経験を踏まえ、自らのキャリアを賭けて独自の世界を舞台上に出現させたのだ。今の時代、ロシア風、フランス風の違いを前よりも厳密に区別しなくなっている。彼女は、フランス、ロシアに日本の舞踊の持つ細やかな情緒も加味して、東京バレエ団ならではの『ラ・シルフィード』を創った。第2幕のラ・シルフィードとジェイムスのパ・ド・ドゥを中心に広がる妖精の飛び交う別世界には、斎藤友佳理ならではの緻密な舞台づくりの極意が見えた。ラコット版の最後、マッジの魔法のショールにからまり命を失ったラ・シルフィードの遺骸が天上に飛び去り、打ちひしがれたジェイムスが倒れ伏す。このブルノンビル版よりも簡潔な幕切れには、しみじみとした余韻が漂い日本の能の諦観に通ずるものがあった。

(山野博大 2020/3/21 東京文化会館 大ホール)

jpsplendor at 18:03舞台評 
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