August 18, 2014

東京シティ・バレエ団 『ロミオとジュリエット』

構成・演出・振付は中島伸欣。石井清子も振付で携わっている。初演は2009年で、今回が三度目の公演である。7月12日は、ロミオを黄凱、ジュリエットを志賀育恵がつとめた。二人とも初演から踊っているが、今回が初共演。とはいえ、作品自体がこのコンビを想定して作られたのではないかと思わせる程の出来で、それぞれの個性に合わせた演出や振付が光った。


バルコニーのパ・ド・ドゥでは、満天の星の下、ロミオは時間をたっぷりと使って、美しい指先をバルコニーに指し向ける。そこに現れたジュリエットは、誰か に見られているとは知らず、無防備にロミオとの思い出に浸っている。そんな彼女を愛おしそうに、壁によりかかりながら見つめるロミオ。その表情から、気持 ちの高揚と人を愛する喜びがひしひしと伝わり、一気に物語に引き込まれる。伸びやかで優雅な動きやフォームもさることながら、表情やマイム、そして佇まい だけでも観客の心を打つ黄の個性を生かした演出と言えるだろう。

イタリアの仮面を着け、時にスカルを持った黒のロングドレスの女性達が、 要所要所で出てくる。彼女たちはモダンバレエテイストの狂言回しで、中島版の特徴の一つである。意志の強さを表すような、輪郭のくっきりとした踊りが持ち 味の志賀は、ジュリエットが彼女たちに囲まれ、心の葛藤を表現する振付がよく似合った。

一方ロミオは、舞踏会に忍び込む場面や乳母が届けるジュリ エットからの手紙を見る場面など、リフトで動かされたり、周りが動くことで彼が動くように見えたりする振付が目立つ。見えない力に押されるようにしてジュ リエットに出会い、やがて死へと導かれる、そんな運命に翻弄される姿を象徴している。しかし、黄のロミオは受動に徹するのでなく、ふとしたところで強い 意志を見せるところにドキリとする。

例えば、1幕の最後、ロミオがティボルトを刺してしまったシーンでは、通常ならひたすら嘆き悲しんで 去るところであるが、黄は一瞬、乾いた笑みを漏らす。後のことを考えれば絶望せざるを得ないが、この瞬間、親友マキューシオのためにしたことを悔いてはい ない。むしろ達成感を覚えているのである。そして、ラストの墓場のシーンでは、ジュリエットの手を取り、薬を飲む直前に、やはり一瞬笑みを浮かべる。数日 のうちに起きた一連の出来事は紛れもなく悲劇だが、ようやく静かに二人一緒になれると、恍惚とするのだ。こうした独自の解釈や役作りは、古典作品を鑑賞す る醍醐味である。

前回の公演のキャスティングでは、黄のロミオが断然大人で、ジュリエットをエスコートする形に見えた。しかし今回、志賀 のジュリエットとの関係は対等。それだけに、一夜を共にし、追放を前に憔悴するロミオを抱き、ジュリエットからキスをする演出が活きてくる。また、全編を 通して、ユニゾンの振付がよく映えて見応えがあったのも印象的である。

主演の二人とともに輝きを放ったのが、マキューシオ役のチョ・ミンヨンだ。黄凱と双璧をなす表現力の豊かさに加え、大人のゆとりと色気、そしてメリハリの効いたステップで、ドラマの質を大いに引き上げた。

も う一人特筆すべきは、キャピュレット夫人を演じた岡博美である。この役に若手を据えるのは稀であるが、結果的にこの試みが成功した。まだまだ女ざかりにも 関わらず、娘に望まない結婚を強いる冷徹な母親というキャラクターを、圧倒的な色香と凄みをもって見事に作り出しており、今作品におけるキャピュレット夫 人の存在の大きさを再認識させられた。

好適な主演キャストそれぞれの役作りが奏功し、一段と深みのあるドラマに仕上 がっていたのに加え、石井清子の振付により、市井の人々一人ひとりに命が吹き込まれ、街の喧騒や活気が迫力をもって伝わった。まさに、昨今のバレエ団の充 実ぶりを証明するかのような舞台であった。

(吉田 香 2014/07/12 16:00 ティアラこうとう大ホール)




jpsplendor at 15:05舞台評 
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