April 20, 2010

山下残 × STスポット 新作公演『大洪水』

 京都を拠点として活動している山下残が、8年ぶりに横浜に滞在して新作を制作し、4日間・全5回の公演を行った。会場はSTスポット横浜。50席ほどの小さな劇場が存分に活かされた、緻密な作品であった。


冒頭は宮原万智がソロを踊る。静かに腕を上下させるかと思えば、手足をじたばたさせ、頭を振ってもがくような、つかみどころのない動きだ。そして、中村達哉が加わる。舞台上には二人のダンサーが立っているのだが、彼らの間にコミュニケーションは生まれない。中村は少しおどおどしながら宮原の様子を伺うように視線を送る。宮原は動じずに立っている。彼らの距離は、舞台の半分を境になかなか縮まることがない。無音の中での緊張、というよりは少し間の抜けた距離感。そんな中で宮原が「大洪水。」と一言残して、舞台奥にあるドアのような黒い空間に消える。それからは中村のソロだ。膝を落とし、水をすくうように両手を高く持ち上げる仕草や、腕をふっと床と平行に持っていく動きが、「大洪水」という作品タイトルに反した、ささやかな「水」―あるいは「水平線」、というイメージを喚起する。

中村のソロの後、宮原と、さらに神林佳美が舞台に立つ。ここでも三人は、小さなトライアングル上に立っているにも関わらず、互いに触れることはない。身をかがめて相手を下から覗き込み、動物のように他者を伺うのである。それぞれが誰かに手を伸ばしつつ、誰もそれに応えない。相手に興味を持っているようであるのに噛み合わない。そんな中、再び宮原が言葉を一つ発する。

―「お話をしませんか」。

この抑揚無く発せられた一言を、観客の多くが待っていたことだろう。ぎこちなく、噛み合わない三人の姿がもどかしくてたまらなかったところに、我々の気持ちを代弁するように出てきた一言だった。しかしそれでもやはり、三人の様子伺いは続き、決して連動することなく、三人はそれぞれに動く。三人の対話は一体いつ始まるのだろうか、そんな疑問がじりじりと湧いてくる。

そのうちに機械音が響き出し、中村の動きがスピードを増していく。最後に舞台中心の奥に仰向けに倒れた彼を女性ダンサー二人が左右から見下ろすのだが、ようやくこの後に三人の動きがつながってくる。一人が手を打つと、その音に反射するように残り二人の身体が動く。一人が大きく腕を回すと、それに連動して他のダンサーの肩が小さく回る。三人が客席を向いて横一列に並ぶのも初めてだ。ユニゾンになることはないけれど、ようやくひとつのまとまりが生まれた、ワンシーンであった。

それから宮原が再度、「大洪水。」とつぶやく。劇場には水音が響き出し、天井の薄暗いライトが点滅する。雨が、降り出したのだ。STスポットという密な空間には、舞台と客席との境界がほとんどない。それはフロアのみならず天井も同様だ。天井に境が無いことで、舞台と客席とが一体となって、照明の効果が「雨」となって観客席に届く。天井に並べられた小さな画面には、動きの間に合わせるように断続的に、ゆらゆらとした水面の映像が映し出されていた。

舞台にはセットも装飾もなく、白い壁のみ。音楽も、作品の冒頭はかすかな雑踏の音から始まったものの、全体としてほぼ無音の状態が続く。ときたま響くのは、山下が横浜滞在中に街で録って来たというカラスや犬の声、それから水の音。途中、三人がそれぞれに持って現れたメロンソーダの小さなグラスの緑色と、カラン…と響くかすかな氷の音でさえくっきりと頭に残るほどに、余計な音や色彩がそぎ落とされたシンプルな舞台だ。最後は三人のダンサーがフロアに横たわり、暗転となる。暴れるようであったり、対話のようであったり、動物のようであったりと、様々な性質を見せた動きの絶え間の無さまでもが、あの小さな空間の中の静けさに集約されていた。

山下の横浜滞在は、拠点を離れて出会う音や風景、それから人との対話といった刺激に恵まれた、豊かな日々だったのだろう。彼が感じ取った「横浜」という街が、混沌を残しつつも綺麗に抽出されたような、ひそやかで心地の良い「大洪水」であった。

(中野三希子 2010/04/08 19:30 STスポット横浜)



skippercat_second at 03:49舞台評 
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