April 08, 2010

2010都民芸術フェスティバル日本バレエ協会公演 『ジゼル』

日本バレエ協会が、メアリー・スキーピング版の『ジゼル』を上演した。スキーピングは1902年にイギリスに生まれた。バレエの道を選び、1925年のコヴェント・ガーデンにおけるアンナ・パヴロワ・バレエ団の『ジゼル』にレペトワールとして関わったことが彼女とこのバレエとの最初の出会いだったようだ。1948年から51年、当時はまだサドラーズ・ウエールズ・バレエ団の時代だった後の、ロイヤル・バレエ団のバレエ・ミストレスに就任する。さらにロイヤル・スウェディッシュ・バレエ団などでも『ジゼル』の演出に携わり、独自の『ジゼル』観を育て上げた。
こんど日本バレエ協会で上演した『ジゼル』は、彼女が1971年にロンドン・フェスティバル・バレエ団(現在のイングリッシュ・ナショナル・バレエ)で演出したものがベースになっている。彼女は1984年に亡くなっているので、その演出復元は、イングリッシュ・ナショナル・バレエ所属のレペティター、内海百合により行われた。
渡邊一正指揮のロイヤル・メトロポリタン管弦楽団による序曲が演奏されたが、これがひじょうにゆっくりとしたテンポで、いつもとは別の『ジゼル』が出現する前触れのようにも聞こえた。幕が開いてみると、見慣れた妹尾河童の舞台美術、緒方規矩子の衣裳が目に入ってきた。しかしその先の展開は期待にたがわない、おもしろいものだった。
スキーピングの『ジゼル』は、歴代の演出家たちがこのバレエから芸術の名のもとに削ぎ落としてきた、細部に宿るドラマティックなどきどき感を復活したものと言ってよいのではないだろうか。社会主義リアリズムの影響でアルブレヒトとジゼルの間に横たわる階級的な問題に微妙に手が入れられたり、ウィリーたちの動きをより夢幻的なものに仕組み、このバレエの透明な感覚をいっそう高めようといった芸術的な配慮などのために失われた「おもしろさ」が、スキーピングの『ジゼル』には残っていた。コラッリとペローが初演した『ジゼル』には、このような生々しい勢いがあったのではないかと思わせる説得力がここにはあった。
ペザント・パ・ド・ドゥのすぐ後にジゼルのソロがあり、さらにアルブレヒトとのパ・ド・ドゥまである第1幕は、活気に満ちたものだった。またウィリーたちが、森に迷い込んだ男に容赦なく襲いかかる第2幕のスリリリングな展開も迫力満点。これらは、荒唐無稽な対立の場をことさらに舞台の上に作って観客の心を揺さぶろうとする、歌舞伎などではしばしば見られるエンターテイメントの原点だ。
ジゼルの酒井はなは、もともとキャラクターを際立たせる演技が得意なバレリーナだ。二転三転の末にイングリッシュ・ナショナル・バレエのファビアン・ライマーに落ち着いたアルブレヒトを相手に、このスキーピング版では、ほんとうに生き生きとしたジゼル像を見せてくれた。長身の美しさで見せたミルタの小川友梨、父親譲りの的確な演技力を示したヒラリオンの小林貫太、さらりと高貴さを演じたバチルドの依田久美子らも、スキーピングのドラマティックな展開にうまく溶け込んでいた。さらに特筆すべきは、ペザントの福田有美子・恵谷彰、ドゥ・ウィリーの大長亜希子・八島香奈恵の踊りだった。福田・恵谷のそれぞれにすっきりと仕上がったダンスのすばらしさ、大長・八島の場面ごとに的確にコール・ド・バレエをリードした連携の良さは、この『ジゼル』のポイントを引き締めるものとして注目に値した。(山野博大 2010/03/28 18:00 東京文化会館 大ホール)


emiko0703 at 10:33舞台評 
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